イギリス海軍の歴史

トラファルガーの海戦/wikipediaより引用

イギリス

海賊行為で世界を制覇~イギリス海軍の歴史が凄まじくてガクブルです

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英国海軍が築く「大英帝国」への道のり

労働条件は悪いのは合点した。

しかし、海軍だから海賊ほど略奪しないのではないか?

うーん。これが残念ながら、そんなことはなくて。

海軍士官および水兵の収入は、それはもちろん給与です。

それではボーナスは?

賞金です。

半年ごとにもらえるわけではなく、海戦に勝利するか、船を拿捕して得られるわけです。艦長以下、水夫までこうして得た賞金を山分けするのです。

他の船を撃破すれば一攫千金! という状況は、海賊も海軍も同じことでした。

他国からすれば、国がバックについた海賊よりも危険な海軍がウロウロしているとなれば、そりゃもう洒落になりません。

アメリカも、スペインも、そしてフランスも。どの国もみな『英国海軍ヤバイ……あいつら本当に一体なんなんだよ……』と恐れ慄いていたものです。

こうした国の中で、最も英国海軍を恐れていたのがフランスです。

ルイ16世は暗君呼ばわりされがちですが、実際にはかなり聡明な人物です。

英国海軍に対抗できるように海軍改革を行い、アメリカ独立戦争でその成果をあげております。

ルイ16世
無実の罪で処刑されたルイ16世なぜ平和を願った慈悲王は誤解された?

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しかし、こうした改革もフランス革命で台無しに……。

フランス海軍士官は貴族出身者が多かったため、革命で身の危険を案じた彼らは辞職し、海外亡命する者も相次ぎました。

革命後に台頭したフランス史の誇る大英雄といえばナポレオンです。

陸軍に関しては優れていたものの、海軍に関しては知識が不足。

それなのに性格はワンマン思考であり、海軍にも口出しをしてしまい事態を悪化させることになります。

そんなナポレオンの艦隊を、二度壊滅させたのがネルソン提督です。

トラファルガーの海戦
激突 トラファルガーの海戦! 英海軍のネルソンタッチにナポレオンが壊滅した日

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「ナイルの海戦」にせよ。

ナイルの海戦

トラファルガーの海戦」にせよ。

トラファルガーの戦い/wikipediaより引用

見つけたと思ったら即座に攻撃開始!という殲滅っぷりであります。

それでも『陸で勝てばいい』とばかりに戦争を続行するナポレオンでしたが、どうしたって無理がある。

イギリスは、海での利があるぶん、ナポレオン戦争でも有利だったのです。

オーストリア、プロイセン、ロシアといったフランスと地続きの国が疲弊する中、ほぼ無傷のまま戦争のなりゆきを見守っていました。

そしてナポレオンの無敵ぶりに翳りが見えて来た、半島戦争。

そのとき!

「待ってたぜェ!! この瞬間(とき)をよぉ!」とばかりに、イギリス陸軍がついに参戦を果たします。

アーサー・ウェルズリー率いる英国陸軍は、史上初の狙撃部隊の活躍もあり、ナポレオンを追い詰めてゆきました。

グリーンジャケット
世界初のスナイパー部隊・英軍グリーンジャケットがナポレオンを撃破する

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そして【ワーテルローの戦い】で、完全に相手の息の根を止めたのです。

ナポレオン戦争において、他国よりはるかに少ない犠牲で勝利したイギリス。大英帝国大躍進の基礎は、この時代に築かれたようなものです。

それもこれも、海軍がナポレオンを上陸させなかったから。

海を制圧したことで、イギリスは植民地獲得で他国をリードしました。

「日の沈まない大英帝国」は、まさに海軍あってのものであったわけです。

かつて存在したイギリス連邦/wikipediaより引用

 


英国海軍は危険!江戸幕府も認識していた

ナポレオン戦争――薄っすらと耳にはしながら、日本からは遠い国で起こったことであり我々には関係ない。

そう思われますよね。

いえいえ。江戸期の日本にも影響を与えています。

北に目をやりますと、樺太や蝦夷地へ南下しつつあったロシアが、ナポレオン戦争の影響でそうした動きを停止しています。

松前藩にとっては、ありがたやナポレオン様、といったところでしょう。

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そして南に目を転じますと、英国海軍が日本をも襲っていたことがわかるのです。

フェートン号事件】です。

1808年(文化5年)、ナポレオン戦争真っ最中のころ、英国海軍フリートウッド・ペリュー艦長は考えをめぐらせます。

ヨーロッパ大陸では、ナポレオンの傀儡国家が増えております。オランダもその一つでした。

「極東のジャパンには、あのナポレオンに膝を屈したオランダが出入りする場所があるらしいな。そこを襲撃して食料をゲットだぜーッ!」

このように、英国海軍としてはフツーのことですが、江戸幕府からすれば全く意味がわからない。

しかもこのフェートン号は、オランダ国旗で偽装していたのだからたちが悪いのです。

まっ、英国海軍ではよくあることです。

ついに長崎へ入港してきたフェートン号は、出迎えたオランダ商館員を誘拐!

フェートン号/wikipediaより引用

長崎奉行所が人質返還を依頼しても、相手は聞く耳を持ちません。

「水と食料をよこせ! あ、できればうまい肉がいいなあ〜。言うこと聞かないと長崎の船を焼き払うもんね!」

そんなわけで、長崎奉行は大ピンチに陥ったのです。責任者は結局、切腹にまで追い込まれているのですから酷いトバッチリでありますね。

オランダ商館も焦りました。

それというのも、ナポレオン戦争の結果国王が亡命し、ナポレオンの弟が王となり、実質的に別の国になっていたからです。

そんなこと、江戸幕府に知られたら一大事ですよね。

何か隠していないか? と、追及する江戸幕府。そしてシラを切りたいオランダ商館。

江戸幕府はロシアや他国ルートを通して、ヨーロッパ情勢を探ります。

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江戸幕府、そして南の海に面した薩摩藩は、イギリスの脅威を感じていました。

薩摩藩はイギリス人船員が領内に上陸した【宝島事件】でも、痛い目にあっています。

アヘン戦争】にも警戒感を強めておりました。

何かあるとすれば……国外から危険な奴らがやって来るとすれば、それはきっとイギリスだ!

そう警戒し、英語の通訳養成にも取り組んでいたわけです。

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そう思っていたら、結果的にやって来たのはペリーでした。

このあたり、アメリカ側も意識していたようです。

「いやあ、日本の皆さんはラッキーなんですよ。私たちがもし、あの極悪海賊集団イギリスだったら、もっと酷いことになっていたでしょうねえ」

アメリカからやって来たハリスは、そんなスピーチをしたほどです。

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要するに、江戸幕府と薩摩藩も英国海軍被害者の一員に数えてもよいわけですね。

はい、地球の裏側までボコボコにする英国海軍ヤバイっす。

ついでに言えば、そんなイギリスに喧嘩を売ってしまった薩摩藩もヤバイ。

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イギリス側は薩摩や長州に手を貸し、日本を有利に運べばいいという判断をしたわけですが、これが明治以降も影響を与えます。

樺太問題では、イギリスが干渉。

日露戦争に至る経緯にも、イギリスの影がちらついておりました。

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海賊が違法行為となった時代

突如襲いかかって、荷物や人をぶんどっていく海賊行為――現代人からすれば、言うまでもなく悪の極みです。

しかし、実はこの海賊行為が悪だと認識されたのは、19世紀後半になってからのこと。

英国海軍黄金期とされており、フィクションでも人気があるのは、ネルソン時代の18世紀後半から19世紀初頭にあたります。船艦の見た目も麗しい木造帆船最後の時代でした。

これ以降となると、海軍や海賊のあり方も変貌して来ます。

人権の観点から見た私掠船の野蛮さ。

伸びゆくアメリカ合衆国の脅威。

ロシアへの警戒心。

英国海軍さえあれば何とかなる時代は、過去のものとなりつつありました。

1856年の【パリ宣言】により、私掠船は違法とみなされたのです。

【トラファルガーの海戦】からほぼ一世紀後に起こった第一次世界大戦は、英国海軍がもはや世界最強とは言えないことを知らしめるものでもありました。

1915年の【ドッガー・バンク海戦】では、イギリスがドイツに勝利をおさめたと言えます。

ドッガー・バンク海戦/wikipediaより引用

1916年、ユトランド沖海戦。

イギリス艦隊は戦略的勝利をおさめたとはいえ、大損害を受けました。

戦術面でのミスも目立っております。

ユトランド沖海戦/wikipediaより引用

こうした戦闘の経過や結果以外にも、問題点は山積みです。

ナポレオン戦争時代のような海軍の作戦を遂行することは、もはや危険極まりなく、時代遅れとされました。

アメリカ独立戦争のころからは、潜水艦が本格的に利用できるようにもなっています。

このような科学技術により戦艦が変わりゆく中、イギリスは宿命的なトンデモ戦艦を開発し、のちに国王であるジョージ6世の命すら奪いかけております。

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人権意識の変化や、活発化した国際交流も背景にあります。

ドイツはアメリカ人乗客が乗り込んでいるイギリス民間船を沈没させ、アメリカの激しい怒り買い、第一次世界大戦への参戦すら招いてしまいました。

金銭事情も変化します。

英国海軍は賞金の分配法を変更しました。賞金を艦長以下分配するのではなく、一旦海軍側が預かることにするのです。

これにより、船を拿捕する金銭的メリットが海軍人や水兵にとっては低下したのです。

第一次世界大戦は、それまでの海賊と英国海軍を変えてしまったのでした。

その後、第二次世界大戦を経て、英国連邦はその役割を終えます。

海洋国家イギリスは、海賊と英国海軍の衰退により、斜陽に入ったとも言えます。

これも海洋国家の皮肉な結末と言えるのかもしれません。


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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
薩摩真介『〈海賊〉の大英帝国 掠奪と交易の四百年史 (講談社選書メチエ)』(→amazon
ニーアル・ファーガソン『大英帝国の歴史 上下』(→amazon
ロバート・サウジー『ネルソン提督伝 上下』(→amazon
ロイ・アドキンズ『トラファルガル海戦物語 上下』(→amazon

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