ヨーロッパ大陸の西北にあるブリテン諸島(イギリスとアイルランド)。
この島に暮らす人々は、海を越えて来襲する侵入者を、海の上で倒すことを強みとしてきました。
たとえば16世紀。
エリザベス1世は、スペインの無敵艦隊を海軍で粉砕し、王国を危機から守りました。
19世紀初頭のナポレオン戦争では、伝説的なネルソン提督が幾たびもの海戦でフランス艦隊を撃滅。
上陸の野望を阻止しています。
※以下はネルソン提督の関連記事となります
ネルソン提督の英海軍は世界最強~そのカリスマには男も女も惚れてまうやろ!
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20世紀の第二次世界大戦では、ドイツ軍が「アシカ作戦」を計画。
これに対しイギリス軍は前哨戦となる「バトル・オブ・ブリテン」で勝利をおさめ、上陸の野望をまたもや阻止することに成功しました。
しかし、です……。
強い艦隊も飛行機もない時代、侵入者を防ぐ術はありません。
紀元前55年、ローマ人の侵入。
5世紀からはアングロ人、サクソン人、ジュート人の侵入。
11世紀には「ノルマン・コンクエスト」。
ブリテン諸島は、長いこと侵入者に苦しめられてきたのです。
そんな数多の厳しい歴史の中でも、ヴァイキングに侵入された9世紀は、それこそ同国存亡の危機でした。
ヘタをすれば文化は根絶され、王族も人民の血も軒並みdeleteされかねない――。
そんな風前の灯火のような状況を救ったのが、ウェセックス王国の王アルフレッド大王。
899年10月26日はその命日です。
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デーン人ヴァイキング襲来 文化も言語も消滅か
「ヒャッハッハッ修道院だ――っ!!」
「お宝タップリ持ってやがったぜ!」
「ホホホーッ!」
時は9世紀――ブリテン諸島はデーン人からなるヴァイキングの襲来に荒廃していました。
デーン人とはデンマーク地方にいたノルマン人の一派で海賊行為をしながら大帝国を築いた荒くれ者たちです。
ヴァイキングにとって修道院は、非武装の修道士がしかおらず、それでいてお宝山盛りの素晴らしい略奪対象でした。
しかもその立派な建物は、暮らすのにピッタリ。
美しい十字架や宗教儀式に用いる道具は、彼らにとっては単に“キラキラしたもの”に過ぎません。
彼らは聖遺物が入った箱をぶち撒けると、中身を捨てて美しい箱だけを持ち帰りました。
豪華な装幀の本は、綺麗な表紙だけを剥ぎ取ると、あとは捨てるか燃やすかしてしまいました。
「こんなもんはケツを拭く紙にもなりゃしねえのによぉ〜!」
「あぁ……貴重な書物が……orz」
当時の修道院は、ただの宗教施設ではありません。
誕生時の洗礼、結婚、葬式を司る役所。
住民に文字や神の教えを教える学校と図書館。
そうした生活と知識を司る場所でした。修道院の破壊は、文化の破壊に直結したわけです。
このままでは、この地方の文化や言語は消滅してしまうのではないか?
人々は震え上がっていました。
デーン人のヴァイキングは、略奪して去ってゆくだけの存在ではありません。
彼らは戦士だけを連れて来るのではなく、妻子も同伴。
そして修道院、家屋、農場を破壊するのではなく、住民を殺して住み着いたのです。
狙いは明白でした。
比較的温暖で、ヨーロッパ各地へ適度な距離を持つブリテン諸島を、新たな祖国として支配しようとしたのです。
裕福な人々はヨーロッパ大陸へ逃れ、そうできない人々は痩せた土地や山の中に逃げ込む。
まさに悪夢の時代。
ブリテン諸島の言語や文化が、これほどまで滅亡に近づいたことは、かつてないことでした。
最後の王国ウェセックス
ヴァイキングたちは、アングロ・サクソン人の王や諸侯殺害に執念を燃やしました。
彼らを殺すことで、支配力を高めようというわけです。
マーシア王国の王バーグレッドは、民と国土と王冠を捨てて逃亡。
ノーサンブリア王国のイール王は惨殺。
イースト・アングリア王国のエドマンド殉教王は、大量の矢を射かけられて死亡。
もはやアングロ・サクソン王国の王でたった一人生き延びているのは、ウェセックス王(現在のウィンチェスター周辺)アルフレッドだけでした。
ヴァイキングたちは、この勇敢な王の首が欲しくてたまりません。
かくしてその首を狙い、デーン人の将グスルムは、密かに軍を率いて彼のウェセックス王国に忍び込んだのです。
878年1月、チップサム。
まだ30歳を迎えていないアルフレッドは、自宅で家族と夕食を採り、一日の疲れを癒していました。
そこへ急を告げる知らせがやって来ました。
「すぐにお逃げください! 敵の軍勢が城門を破りました!」
一家団らんの平和な空気は突如破られました。
アルフレッドと従者は最低限の荷物をまとめ、妃エアルスイフはまだ幼い三人の我が子をベッドから起こします。
寒い夜の中、アルフレッドは家族と僅かな供回りだけを連れて、剣戟の音と悲鳴が響く中を落ち延びてゆきました。
「無念……必ずや捲土重来を果たす!」
アルフレッドとその一家が逃れたのはアセルニー島でした。
パンを焦がして怒られる
アセルニー島は、身を隠すにはうってつけの場所でした。
背の高い草の茂みは視界を防ぎますし、島の中には豊かな食料があるのです。
ひとまずここに身を落ち着け、捲土重来を果たす。それが彼らの考えでした。
逃亡の途中、王の一行はとある農家に宿を借りました。
その家のおばちゃんは、まだショックから立ち直れないアルフレッドを見て、呆れたように言いました。
「いい若いもんが、ぼさっとして。宿を借りるなら手伝いでもしてくれよ。今からパンを焼くから、焦げないように見張るんだ」
「あっ、はい」
アルフレッドはおばちゃんに言われるがまま、パンを入れた炉の前に座りました。
しかしヴァイキング対策で頭がいっぱいで、パンのことはすっかり忘れてしまったのです。
ここでおばちゃん、帰宅します。
そして焦げ臭さに顔をしかめ、あわてて炉に駆け寄ります。
「ちょっとあんた、パンを見てろって言ったのを聞いていなかったのかい!」
「あっ、すんません」
「すんませんじゃあないよ! この焦げたパンはあんたが責任持って食べなよ。アツアツでさぞうまいだろうさ」
そう言うとおばちゃんは、箒でバシッと王を叩きました。
「無礼者! 王に何をする」
家臣があわてて咎めると、おばちゃんはびっくり仰天。即座に謝りました。
しかしアルフレッドは
「いや、約束を破ったのは自分だから。パンを焦がしてしまってすまなかった」
そう告げると、唖然とするおばさんを後にして農家を立ち去ったのです。
このパンを焦がしたアルフレッドの話はイギリスでは有名で、アルフレッドを語る上で欠かせない逸話です。
この逸話と、吟遊詩人に変装して敵陣を偵察した逸話は、彼の生きた二百年後から書物に記録されるようになったため、創作ではないかともされています。
ただし、口述で語り継がれていた可能性も否定できません。
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