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【フランシス・ドレーク】
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迫りくるスペイン無敵艦隊
スペイン艦隊は1588年4月29日に出港。
風に恵まれず北上が遅れ、食料や水が不足、かつ赤痢や壊血病などが蔓延し、戦う前から士気がガタ落ちしていました。
メディナは見るに見かねて、フェリペ2世へ作戦の延期を願い出る使者を立てましたが、聞き入れられず……もうこの時点で勝敗が見えてきますよね。
引けなくなったメディナは、スペイン北岸のラ・コルニャで船の修理や物資の補給、病人の治療などを行って体制を整え、7月12日に再び北上を始めました。
一方、イングランド艦隊は、5月23日にチャールズがプリマスに到着。
フランシスは、悪天候や食料の準備に手間取り、遅れてしまいます。
7月7日にいったん出港するのですが、風向きが変わってスペイン艦隊に有利となってしまったため一時戻り、イギリス艦隊がプリマスへ帰港したのは、奇しくも7月12日だったとか。
こうして両軍ともにアレコレあった後の7月19日、スペイン艦隊がブリテン島の南西に姿を表します。
この知らせを受けたとき、チャールズやフランシスは陸地でボーリングを楽しんでいたとか。のんきか。
もちろんチャールズは慌てましたが、フランシスは
「ゲームを終わらせる時間はあります。その後でスペイン軍を相手しましょう」
とジョークを飛ばし、長官や他の船長たちを落ち着かせたそうです。
ピンチのときこそユーモアって大事ですよね。
実は、このときプリマスを直接狙って上陸すれば、スペイン艦隊のほうが有利になる可能性もありましたが、フェリペ2世の命令を忠実に守ったメディナはネーデルラントへ向かおうとします。
命令に逆らったとしても、結果として勝利すれば後で罰されることはなかったんじゃないでしょうか……。
この動きを見たイングランド艦隊も7月21日に行動を開始すると、スペイン艦隊と付かず離れずの距離を保って追跡。
ちなみに、フランシスが乗っていた船は「リベンジ号」という名前だったそうです。
命名の経緯まではわかっていませんが、積年の恨みのこもりようがわかりますね。
ちなみにフランシスをライバル視していたマーティン・フロビッシャーは「トライアンフ」(Triumph/勝利、成功)、ジョン・ホーキンズは「ビクトリー」(Victory/戦勝)という船でした。
軍艦に勇ましい名前をつけるのはよくありますが、フランシスら庶民出身者の殺る気がうかがえます。
チャールズがフランシスに先導を命じると、さっそくスペイン艦隊からはぐれた船を二隻を捕まえました。
そして7月23日のポートランド沖海戦、7月25日のワイト島沖海戦と戦闘が続き、いずれも決定打に欠けたまま戦況が進み、両軍とも東へ進み続け、7月27日にはカレー沖へ。
ここまでくると、ネーデルラントにいるスペイン艦隊の合流も現実的になってきます。
しかし、実際はそうなりません。
同時期のネーデルラントでは住民による反乱が起きており、「ゼーゴイゼン」と呼ばれていた海賊たちがスペイン艦隊の行動を妨害し、思ったように合流できなかったのです。
状況を悟ったメディナは、仕方なくカレー沖に投錨して補給を急がせました。
ファイヤー!!! 火船突撃→大勝利
一方、緒戦でのイングランド艦隊優位を伝え聞いた志願兵が多く駆けつけると、フランシスたちは士気を大いに高めていました。
スペイン艦隊が補給中であることに気づいたチャールズは、とどめを刺すべく火船の準備を急ぎます。
フランシスがかつてスペインの植民地を攻撃したのと同じ戦法を、もっと大規模にしたものです。
本当はこのための船を新たに用意するつもりでしたが、手配が遅れ、艦隊の中から適当な船を八隻選出すると、火薬やタール、布類、バターなどの可燃物を山積みにして火をつけ、停泊中のスペイン艦隊に突っ込ませました。
戦術自体は以前からあるものでした。
しかし、このときイングランドが使った船は、それまでの火船よりもずっとデカイ船。
積載できる可燃物も多く、ついでに「船が燃えたらその火で発射する」という仕掛けを施した砲台まで用意していました。怖っ!
スペイン艦隊側も一応防御していましたが、狭い海域に多数の船が泊まっていたこともまずかったようです。
火船をかわすことができずに大炎上!
イングランド艦隊も驚くほどの戦果となります。
火船はあくまで出鼻をくじくためのものであって、その後決戦を挑むつもりだったのです。
かろうじて逃げたメディナたちは対抗しますが、やはり押し切られて逃げざるを得ません。
カレーはかつてイングランド領だったこともあり、そもそもこの地域とブリテン島は数十kmしか離れていません。
ついでにいえば電灯のない時代ですから、カレーの対岸にあるドーバーからは間違いなく戦火が見えたでしょうし、そこからロンドンへ向けて報告が飛んだことでしょう。
7月29日には最後の戦闘としてグラーベリーヌの海戦が行われ、このときは互いに砲撃を浴びせあいました。
途中で天候が崩れ、両軍ともに隊列が乱れたり、沈没、挫傷する船が相次いで戦闘は強制終了。
メディナも敗北を認めざるを得ず、そのまま帰国を決意します。
天候の悪化をいち早く察知していたフランシスは、途中で戦線を離脱したのであまり被害を受けません。
敵前逃亡と勘違いされて、マーティンに後から文句を言われたそうですけれども、仕方ないですよね。
天候が回復した後、イングランド艦隊はスペイン艦隊を追跡したが、距離が開いたことと弾薬・食糧不足のため引き上げました。
本土へ戻ったのは8月8日頃だったそうです。
こうしてスペイン艦隊の撃破に成功したフランシスは、まだまだ物足りなかったらしく、1589年、スペイン艦隊の母港ともいえるリスボンを目指します。
リスボンといえば現代のポルトガル首都です。前述の通り、当時はスペインに併合されていたため狙われたのですね。
ただ、思ったような成果は得られず、女王からも少々お咎めを受けてしまいます。
手ぶらでは帰れないと考えたフランシスは「せめてスペインに持ち込まれる物資や財宝を奪おう」と考え、今度はアゾレス諸島へ向かいますが、再び悪天候と病気の蔓延により断念し、帰国せざるを得ません。
結果としてこの航海は完全に赤字になってしまい、女王や兵たちの不満が高まります。
まだ冷めぬ闘志 しかし病に勝てず
フランシスは陸にとどまり、行政の仕事に専念します。
プリマス市内に用水路を作ったり、近隣の島に要塞を築いて国防に貢献したり、下院議員として演説したり、ありあまるパワーを政治で発揮したのです。
その間、他の私掠船がフランシスの後任のようになった形で、スペインに打撃を与え続けていました。
しかしスペインが、足が早くて武装も備えている”ガリサブラ”というタイプの新しい船を作ると、思うように行かなくなってしまいます。
そこで再び求められたのがフランシスの海賊的な能力でした。
彼はジョンに相談し、1595年1月、カリブ海への侵略をエリザベス1世に進言します。
しかし、今度はなかなか承認がおりません。
この頃になると、エリザベス1世の気持ちが侵攻よりも防衛に傾いていたためです。
最終的には許可は出るものの、スケジュールが非常にシビアでした。
当時の船や航海技術では、スケジュールを守るというのは至難の業。
しかし折よく「プエルト・リコ島のサン・ファンに金銀を満載した船団が来ている」という情報を手に入れ、フランシスとジョンは現地へ急行します。
ただし、情報が古く、しかもスペイン漏れていたためうまくいきません。
そうこうしているうちにジョンが赤痢で病死してしまうと、否が応でもイングランド艦隊の士気は下がり、撤退せざるを得なくなりました。
かつてのようにパナマ近辺で別の町を襲撃する計画もあったのですが、この頃になるとかつて協力してくれていたシマローンたちがスペインに鎮圧されていて、搦め手を突くこともできません。
全く成果を得られない状況にフランシスは苛立っていると、ジョンと同じく赤痢に体を蝕まれ、それどころではなくなってしまいました。
1596年1月27日、妻や末弟・トーマスへ遺言を書くと、高熱の影響なのか、フランシスは錯乱状態に陥ります。
武人としての意地だったのでしょうか。甲冑を持ってこさせて身につけようとしていたそうで。
一人では着られるようなものではないため、さぞ近臣が困ったことでしょう。
そして翌28日の早朝、フランシスはこの世を去り、29日にはフランシスの遺体は鉛の棺に収められてカリブ海へ沈められました。
残った船はスペイン艦隊の妨害を受けつつもなんとか帰国し、エリザベス1世の定めた期限にも間に合ったといいます。
今もイギリスを守り続けている!?
フランシスの遺言と遺品には、こんな伝説があります。
彼は航海の際に用いていた自分の紋章つきの太鼓を、妻エリザベスの元へ届けるよう頼んでいました。
「その太鼓を鳴らしてくれれば、いつでも国を守るためにあの世から帰ってくる」
そう言い残し、現代に至るまで三度鳴ったというものです。
オランダとの戦争、ナポレオン戦争、第一次世界大戦――フランシスがそのときどきの提督に姿を変えて現れ、イギリスに勝利をもたらしたとされています。
日本でいうところの「神風」みたいなものでしょうかね。
それだけフランシス・ドレークという人間が国家的な英雄と見られ、信じられているということです。
これからもイングランドにとっては英雄、スペインにとっては海賊の代名詞として彼の名が語り継がれることでしょう。
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長月 七紀・記
【参考】
杉浦昭典『海賊キャプテン・ドレーク イギリスを救った海の英雄 (講談社学術文庫)』(→amazon)
君塚直隆『物語 イギリスの歴史(上) 古代ブリテン島からエリザベス1世まで (中公新書)』(→amazon)
青木道彦『エリザベス一世 (講談社現代新書)』(→amazon)
THE NATIONAL ARCHIVES(→link)