大航海時代――。
いかにもワクワク気分で「お宝目指して冒険の旅に出かけるぞ!」的な印象を受けますよね。
しかし、この言葉はあくまで冒険に出かける欧州人からの目線であり、征服された側の先住民にとっては悪夢以外の何物でもありません。
特に世界規模で、人類に大きな瑕疵となったのが「奴隷」でしょう。
この時代、ポルトガル人等は世界各国で現地人を捕まえては売り払う、極めて非人道的な奴隷貿易を行っていました。
織田信長に仕えた黒人侍「弥助」もアフリカ(モザンビークと推定)から連れてこられた一人です。

南蛮人が連れてきた黒人奴隷/wikipediaより引用
ここで勘違いしてはならないのが、この奴隷売買は、一方的に日本へ持ち込まれたものではないということ。
日本からも大勢の日本人が奴隷として売りに出されていたのです。
「乱取り」特に人身売買はおいしいビジネス
戦国時代、合戦は人々を巻き込む惨禍でありました。
農作物が刈り取られ、田畑は踏み荒らされ、建物は焼き払われる――その関連記事が以下にございますので、併せてごらんいただければ幸いです。
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戦場では、田畑が被害に遭うだけでなく、捕えられた人々には過酷な運命が待ち受けていました。
「乱取り」された人々は、束にされて人身売買の商品とされたのです。
戦が終わると人を売る市場ができるという話は、2017年大河ドラマ『おんな城主直虎』にも出てきました。これは奴隷以外の何物でもありません。
ヨーロッパから宣教師たちがやってくる以前の時代、売られる先はせいぜい隣村や隣国あたりだったでしょう。
こうして売られた人々は、合戦後に親族たちが行方を捜し、身代金を払って買い戻すこともしばしば行われ、まだ救いの道も残されておりました。
しかし、宣教師たちの来訪が、この状況を劇的に変えてしまいます。
日本で買い取った奴隷を、ヨーロッパにまで運ぶと、実に元値の百倍となりました。
奴隷は、遠くへ行けば行くほど価値が高まったのです。
まさに濡れ手に粟の、美味しいビジネス。
こうした人身売買は日本人に悪印象を持たれ、心あるイエズス会の人々は「布教の妨げになる」と考えていました。
天下人である豊臣秀吉も強く問題視しており、キリスト教布教を禁じる理由のひとつとしてあげました。

豊臣秀吉/wikipediaより引用
むろん他ならぬ秀吉も、自身の合戦で人身売買が行われてたことは認知しており、自身の天下統一によって外国人による人身売買を問題視するようになったのですが、これだけ大々的に利益が出るとなるとなかなか止むものではありません。
かくして人身売買は慶長3年(1598年)、イエズス会が教会法により奴隷取引を罰すると決めるまで続いたのでした。
マカオが奴隷貿易の中継地点だった
では、日本から旅立った奴隷たちはどこへ向かったのか。
ポルトガル人やスペイン人が向かった先に、彼らの消息が残されています。
日本から比較的近いマカオは、貿易の中継地点として賑わいました。
ポルトガル人やスペイン人は、母国の女性を妻として航海に連れて来ることはまずありません。
そのため、日本人や中国人女性を妻とすることがありました。マカオには、こうした女性たちが数多く存在していたのです。
子守や家事を行う女性使用人として働く人たちもいました。
一方で男性は、肉体労働や傭兵として活動していました。
日本人傭兵は、戦国の世を渡り歩いてきたためもあってか、かなりの強さでした。
当局はしばしば彼らの武力を恐れ、帯刀して行動することを禁止する命令を出したほどです。
ヨーロッパのみならず中南米へも売られた
傭兵には、奴隷と、自ら好んで戦う道を選んだパターンがありました。
自らこの世界に飛び込む者たちは、大半がワケアリ。
犯罪を犯して故郷にいられなくなった者にとって、マカオは自由になれる場所としてとらえられたのです。
こうした人々はトラブルを起こしやすく、追い剥ぎになって原住民を襲う盗賊団を結成することもありました。
当時マカオを支配していた明朝はこうした日本人に手を焼き、しばしば追放令を出すほどだったのです。
フィリピンのマニラには、日本人コミュニティもありました。
高山右近や内藤如安のように、キリシタン追放令で行き場を失った日本人が流れてきたからです。

マニラでの高山右近/Wikipediaより引用
17世紀前半、日本の鎖国まで、こうしたコミュニティは膨張し続けていました。
日本から見れば地球の裏側にある、中南米にも日本人奴隷はいました。
ただし、彼らは日本名を捨てていることもあり、その足取りをたどることは簡単ではありません。
ヨーロッパにたどり着く日本人奴隷もいました。
オリーブ色の肌をして、顔が小さく、身長は平均的であると当時の人々は記録に残しています。彼らは家事や手工業に従事していたようです。
奴隷たちを待ち受けていた厳しい運命
こうした奴隷たちを待ち受ける運命は、当然ながら優しいものではありません。
若いうちはキビキビと働くことができても、主人を失い、歳を取ったならばそうはいきません。
年老いた奴隷たちは、しばしば「解放」されました。
解放というとよいことのように思えますが、その実態は年をとって使い物にならなくなった奴隷を、体よく追い出すようなものです。
故郷から遠く離れてしまえば、物乞いにでもなるほか道はなかったことでしょう。
虐待の問題もありました。
当時、奴隷が虐待されても誰も咎めることはありません。
インドのゴアを旅したフランス人冒険家は、悲惨な話を聞いて書き留めました。
それはこんな話です。
なんとも惨い話ですが、当時はこんなことがあっても奴隷主が咎められることはありませんでした。
そもそも海難事故が多かった時代です。
目的地にたどり着く前に海難事故で亡くなる者、船内で病に倒れる者も多くいたことでしょう。
こうした奴隷たちについては、断片的な記録しか残されていません。奴隷とはそういうものなのです。
「日本人には奴隷がいなかった」
そう思われがちですが、実際のところは違います。
ポルトガル人やスペイン人だけを責めるのも間違いで、そもそもは日本人が戦乱の最中で人を売り買いしていた事実があるのです。
戦国武将が華々しく武功を挙げる、そのスグそばで、人知れず国外へ売られていった者も大勢いる――。
歴史の中でとりわけ人気の高い戦国時代は、話題にこそなりませんが、こうした哀しい側面もあるのです。
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【参考文献】
ルシオ・デ・ソウザ/岡美穂子『大航海時代の日本人奴隷 (中公叢書)』(→amazon)






