世界中どこでも「異国情緒の漂う街」って人気の観光スポットですよね。
日本だと横浜や神戸辺りの港町が多いでしょうか。
本日は日本からも程近い、東西の文化を併せ持つ町のお話です。
1887年(明治十年)3月26日、リスボン議定書によりポルトガルがマカオを正式に植民地としました。
リスボンというのはポルトガルの首都の名前ですが、実際に書面が交わされたのはおそらくマカオでしょうね。
植民地というと実力で土地をぶんどった後に「ここ俺んちだから! ハイ書面!!」というジャイアンなイメージ強いですが、マカオの場合は割と穏便に済んでいます。当社比みたいなものですけども。
では、マカオの歴史を見ていきましょう。
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「媽祖廟(まそびょう)」の「まそ」がなまって
「マカオ」という地名は、16世紀の始めにやってきたポルトガル商人がつけたものだと言われています。
元々このあたりは漁業の盛んな土地で、地元の人に「ここは何という土地か?」と尋ねたところ、「媽祖廟(まそびょう)です」という答えが返ってきたので「まそ」がなまって「マカオ」になったというものです。
「媽祖」とは中国(道教)の海の女神のこと。
漁師の守り神と見なされたり、「航海の前に媽祖へお祈りすると無事帰ってこられる」と信じられていました。そのためマカオ付近でも信仰を集めていたんですね。
そのおかげもあったのか、ポルトガル人がやってきてしばらくの間、マカオは貿易港として栄えました。貿易の相手には日本も入っていて、長崎からの船がよく出入りしていたそうです。
おそらく日本で一番有名な宣教師フランシスコ・ザビエルも、マカオを拠点にして東アジアの各国へ布教しに行っていました。
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もちろんマカオでもカトリックの布教が進められ、今でもあちこちに教会が残っています。
ただし、九州とマカオは、日本人奴隷売買の拠点となっていたため、後に豊臣秀吉がキリスト教を弾圧していく流れに繋がっていきます。
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「日本では奴隷売買なんてない!」と声高にする方もおりますが、各種史料が多く残されていて、今や疑念の余地もない状態です。
『おんな城主 直虎』でも井伊直虎が口にしていましたね。
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最近はアマゾンプライムビデオの『MAGI(マギ)』でもその様子が描写されておりました。
キリスト教の禁止は、その後、徳川家康を経て、江戸幕府へと引き継がれて参ります。
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香港や広州の台頭で貿易の第一線からは退いた
時が流れ日本でキリスト教を禁じる動きが出るのとほぼ同時期に、マカオは貿易拠点としては一線を退くことになります。
ごくごく近所の香港や、もう少し南シナ海寄りの広州のほうが貿易には都合が良かったからです。
これは私見ですが、もしかするとマカオ周辺に多く自生している蓮の花が、出入りする船を増やすのに邪魔だったというのもあるかもしれません。
蓮は今でもマカオの旗に使われたり、数々の美称に使われるくらいなので、当時はもっと多かったでしょう。茎が水底にあるので完全に除去するのも難しそうですよね。
さらに、イギリスがアヘン戦争(1842年)に勝って香港を手に入れると、この差は決定的なものとなりました。
清の力が強かった頃はポルトガルもそう荒っぽいことはできませんでしたが、香港がイギリスの植民地になったのを見て路線を変更。
「ウチは前からマカオに行ってますし、くれてもいいですよね?^^」(超訳)
と強引に要求しました。勝ち馬に乗っかるというか輩というか。
ちなみにイギリスとポルトガルは世界で最も古い同盟国だったりします(が、イギリスはナポレオン時代に無理やりマカオをかっさらおうとしたこともあります)。
第二次世界大戦が終わると次は2つの中華に挟まれて
20世紀に入ると、本国・ポルトガルは諸般の事情で国力が地平線スレスレ状態になり、第二次世界大戦で中立を宣言します。
マカオでも同じ方針だったため、この一帯はおおむね戦火を免れることができました。
が、中国からの難民が大量に押し寄せるわ、タングステン(中国でたくさん採れる希少金属/武器・電球など用途が多い)の密貿易会場になるわ……と、他国に翻弄される日々が続きます。
一番のとばっちりは「お前ら日本に燃料売りそうだから先にやっつけるね!^^」という超理論を押し付けられて、アメリカに爆撃されたことでしょうか。
戦争が終わっても、マカオの受難は終わりません。
中華民国と中華人民共和国の間に挟まれることになったのです。
地理的には「間」でもないですが、ポルトガルが当初中華民国側についていたため、中華人民共和国に距離の近いマカオは、微妙な立場になってしまいます。
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