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【マカオの歴史】
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革命により海外領土の全てを放棄
背景にあったのは単純な理由。当時のポルトガルで独裁を布いていたサラザールという人の意向です。
この人は強烈な反共産主義で、中華人民共和国と手を組むのは何が何でもイヤでした。
が、サラザールは”昼寝中にうっかりハンモックから落ちて意識不明の重態に”という暗殺……もとい不幸な事故によって長期療養の後に亡くなります。
さらに数年後、カーネーション革命によってポルトガルは全ての海外領土を放棄することが決まり、マカオも返還されることになりました。
この間にポルトガルは中華民国と断交し、中華人民共和国と正式な国交を結んでいます。
ポルトガルとしては、海外にお金をかけている場合でもなく、すぐにでもマカオを返還したかったようです。
中華人民共和国に「もうちょっとそっちで預かってくれない?」と言われて20年ほど待つことになります。
これはすぐお隣の香港がイギリスから戻ってきていなかったため、影響を懸念したのだとか。まだBUNKAKU中でしたしね。
埋め立てが進み大陸と地続きになる!?
そんなこんなであっちこっちの国に振り回され続けましたが、1999年、ポルトガルから中華人民共和国へ無事返還され、今日のマカオはあります。
最近は埋め立てが進んでどんどん中国本土と近くなっているそうで、そのうち地続きになるかもしれません。
ヴェネツィアを模した町並みやカジノなど新しい建物が増える一方で、ポルトガル統治時代の建物や教会なども多く残されており、観光客を楽しませています。
一方、食文化は各国のものがうまく融合し、「マカオ料理」という一ジャンルになっているとか。返還後のマカオは貿易港としての役目をほぼ終え、カジノで外資の呼び込みに成功して経済を発展させました。
日本では料理よりもエッグタルトのほうが有名ですかね。
ごはんを控えている方がいらっしゃいましたらスミマセン。意地悪ついでに画像を用意しておきたいと思います^^
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長月 七紀・記
【参考】
『マカオ歴史散歩』(→amazon)
マカオの歴史/wikipedia