風光明媚な山谷が入り組み、イングランドとはまるで別の顔を持つ英国・スコットランド。
そこは山や谷ごとに、血族でまとまった「氏族(クラン)」と呼ばれる人々が暮らしていました。
日本の戦国時代における「国衆(地域の領主で武士階層)」のようなものです。
同族の結束は強い反面、他の氏族とは激しく対立する彼ら。
時には敵を追い落とすためイングランドの助力を借りることもありました。
スコットランドの人々は勇猛果敢さが仇となって、なかなか団結できなかったのです。
しかし……。
長く続いたこの氏族制度も、18世紀半ばからわずか半世紀ほどで消滅してしまいます。
氏族長は追放され、土地は没収。
それは農業改良、土地の有効利用等と称されましたが、非常に強引な手法で、実質的にスコットランドの伝統を壊すものでもありました。
【土地清掃】と呼ばれます。
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土地をキレイにするとは……
「土地清掃」とはなんぞや?
英語では“Highland Clearances”と、特にひっかからない言葉です。
汚い土地を綺麗にしようかな?程度だと思われるかもしれません。名目上も「土地の有効活用」ですし。
ところが実態はこうです。
「農業より牧畜の方が、利益が出るじゃん。とりあえず邪魔な小作人を追い払って羊を飼おう!」とまぁ、かなり強引なやり口でした。
スコットランドのハイランド(高地地方)には、食料生産に適した「ストラス」と呼ばれ、川の流れる大渓谷がありました。
人々が暮らし、耕す、豊かな土地。
今では「ストラス」という言葉は、スコッチウイスキーの銘柄名に多用されているようです。
しかし、ちまちまと原住民に農業をやらせるよりも、牧羊をした方がいい、と領主たちは考え始めました。
牧羊は大規模な方がよく、かつ人はあまりいりません。
そうなると人が余ります。
なんだかキナ臭くなってきましたね。
「小作人の家は消毒だー!」
牧畜ともなれば、小作人はいらないから出て行け、となります。
こうした領主はローランドやイングランド系の人が多く、要するによそ者でした。
人口が減ったら困るし生産性も下がると思うのですが、当時は「人より羊の方が儲かる」と思ったそうで。
「小作人の家は消毒だー!」
これがシャレでも何でもありません。
小作人も帰る場所がなければ土地を去るしかないだろうと、彼らの家は焼き払われることすらあったのです。
土地から人が減り、それが羊に替わることが「土地清掃」なのですから……。
かくして最も「成功した」土地清掃はネイヴァ川渓谷で、ここは1811年からの20年間で人口が1574人から257人にまで減少しました。
それは伝統の破壊にほかならない
ハイランドから追い出された小作人たちは、ローランド地方や北米大陸に移住することになります。
この過程で、スコットランドをスコットランドたらしめていた氏族制度は崩壊しました。
ローマ帝国の支配以前から暮らしていた、ピクト人から続く文化の連続性も途切れてしまいました。
あまりに容赦ない土地清掃は、スコットランド人にとってトラウマとなります。
民族浄化のようなものだと評価する歴史家もいます。
実際、この影響が現在でも続いているのか。スコットランドは人口密度もかなり低いのです。
平方キロあたり65人で、同68人の北海道と同水準。
全人口は550万人で、イングランドの十分の一程度です。
大虐殺だとか、大飢饉だとか、疫病とちがって、表面的にはあまり悲惨に思えない土地清掃ですが、長期的に悪影響を及ぼしています。
何より破壊された制度や文化は元通りになりません。
人為的な人口減少が何をもたらすか。
その悲惨な実例は、スコットランドハイランド地方にあるのです。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
『図説 スコットランドの歴史』(→amazon)