剣闘士

剣闘士たち(ジャン=レオン・ジェローム画)/wikipediaより引用

欧州

歴史上最もツラいブラック仕事は何だ?古代ギリシャ・ローマから探す

ラッシュアワーの通勤電車に揺られながら。

嫌な上司に怒鳴りつけられながら。

あるいは、残業代のつかない給与明細を眺めながら、大河ドラマが終わった日曜夜九時頃、明日は月曜日だと考えながら。

こんな風に落ち込まれる方は日本中に大勢いらっしゃることでしょう。

『あーあ、俺、なんでここまでして働かなければいけないんだろう?』

同じ悩みを、人類は有史以来ぼやいてきたはず。

生まれながらの貴族でもなければ、社会を構成する人間とは労働から逃れられないものです。

しかも、労働者の権利といった概念、労働基準法という法律などなかった昔。

歴史の中で人類は、どんなブラック労働、3K職場に耐えてきたのか。

古代ギリシア・ローマから、過酷な職種を五種類とりあげてみました。

 


剣闘士:スーパースターか猛獣の生き餌か

きつさ:★★★☆☆
汚さ:★☆☆☆☆
危険度:★★★★☆

鍛え抜かれた半裸の肉体に派手な兜をかぶり、グラディウス(古代ローマの剣)、盾を身につけた剣闘士。

それを見守る観客は熱心に歓声を送り、冷酷な皇帝は負けた方を殺せと親指を下に向ける……剣闘士と聞けば、こんなイメージが浮かび上がってくることでしょう。

ハリウッドでも幾度となく映画化されてきた、古代ローマの残酷で華やかな職業の代表格です。

戦い負ければ残酷な死が待っているものの、うまく勝ち抜けば名声、賞金、そして「私を抱いて!」と熱視線を送ってくる貴婦人のファンが得られます。

ただし、こうした血腥いイメージは誇張されている部分があります。

まず剣闘士という職種のマイナス面を見てみましょう。

成人男性として、ローマ市民としての権利は持てません。はじめからこうした権利のない奴隷、戦争捕虜、死刑囚が剣闘士にさせられていました。

志願して剣闘士になる人もいましたが、そうなった時点で権利は失われます。

志願者の中には女性剣闘士もいました。

彼女らはもともと女性ですからローマ市民としての権利はありません。考えようによっては、男性の志願剣闘士よりも失うものが少なかったと言えるでしょう。

市民の権利を失うことがマイナス面だとすれば、プラス面ももちろんあります。

剣闘士たちには訓練中は高水準高タンパクの特別な食事、寝泊まりできる宿舎が提供されました。

衣食住を心配することなく、剣闘士訓練生たちは宿舎で練習用の木剣を手にして厳しいトレーニングに励むのです。

生活を保障されている点が、この職種のプラス面です。福利厚生はバッチリです。

デビューを迎えた剣闘士たちは、試合が面白くなるようマッチメイクされます。負けた、あるいは卑劣な戦い方をした剣闘士がその場で殺されるというのは誤解です。

高い金をかけて鍛え上げた剣闘士をむざむざ殺してしまっては、剣闘士の教官にとっては損害です。興行主たちは剣闘士の体調を慎重に管理し、死傷者が出るような事態はなるべく避けようとしていました。

試合中に剣闘士が死亡した場合、教官は剣闘士のランクごとに市場価格の100倍の金額を賠償金として興行主に請求しました。

また剣闘士が実際に戦いに出る日数は、人気があっても一年のうちせいぜい一週間から二数週間程度です。

相撲にたとえるならば、一人の力士が一年につき一場所しか出場しないということです。

剣闘士は引退後の生活も、恵まれたものでした。

教官となる道がありましたし、引退する際にはファンから賞金が贈られます。さらに幸運な者となると、市民権まで授けられる者もいました。

奴隷から市民まで、サクセスストーリーを歩める者もいたわけです。

雇用側が住まいと食事を提供し、職業訓練を実施。体調管理も行われ、し合いに出るのは一年間で一週間か、二週間程度。引退後の生活も保障されている。

思っているよりもホワイトかも、と感じる方も多いのではないでしょうか。

ただし、これはあくまで訓練についていけた剣闘士たちの話です。

訓練に脱落した者は「闘獣士」になるしかありません。

訓練から脱落した者が罪人であった場合、闘技場で猛獣の前に投げられ、生きたまま食べられる役を割り振られることになるのでした。

 


ガレー船の漕ぎ手:労働時間の上限は一日17時間

きつさ:★★★★☆
汚さ:★★★☆☆
危険度:★★★★☆

ブラック労働は、しばしば現代における「ガレー船の漕ぎ手」に譬えられます。

重たい鎖に縛られ、狭い船底でひたすらオールを漕ぐその姿は、まさに悲惨な労働者そのものです。

ただし、ああしたフィクションの姿は正確ではありません。

実際のところ、古代ギリシアでは、都市国家の市民たちが漕ぎ、古代ローマの場合は属国から募集した人が漕いでいました。

彼らの身分は下級兵士です。

ボートを漕ぐだけではなく、ひとたび上陸したらば、剣と盾を手にして戦いました。つまり、兵士が移動するために漕いでいたわけです。

ガレー船/wikipediaより引用(photo by Myriam Thyes

彼らがオールを漕ぐ時間は一日あたり17時間です。

そうなるとコキを使うだけではなく、快適性も大切になってきます。尻の下には革製のクッションをしき、楽師たちがリズミカルな音楽を奏でていました。

食事はパンやワインを時には座ったまま食べます。

そのくらいの気遣いもなく、鎖でつないだままらなば、長時間漕ぎ続けることはできなかったでしょう。

労働時間の長さだけではなく、彼らには危険もつきまといます。

ひとたび軍船が沈めば、彼らが助かることはありません。激しい戦争の際には、数万人もの漕ぎ手が船ごと海に沈んでいきました。

 


重装歩兵付き奴隷:30キロの防具を持ち歩く

きつさ:★★★★★
汚さ:★★★☆☆
危険度:★★★☆☆

色鮮やかな甲冑に身を包んだ兵士たちが、土埃をあげながら戦地に向かう――。

まさに時代劇の花と言えるシーンですが、実はこの風景、正しくありません。

どの時代でも国でも、移動中は甲冑を着込んでいるわけではないのです。

そんなことをしていたら、くたびれ果ててしまい戦場では役に立たない。

戦地に着いて、戦う前に着替えるんですね。

この行軍中、重たい甲冑を運んでいるのは着用する兵士自身ではありません。古代ギリシアでは、お付きの奴隷の仕事でした。

当時は二輪車も輸送車もまだ発明されていません。人力で運ぶしかなかったのです。

ファランクス(密集方陣)で戦う重装歩兵の装備は、兜、盾、甲冑、臑当て、剣、2メートル半の槍等。

総重量はおよそ30キロにもなります。

それだけの重さがある荷物を運んで歩くだけでも重労働ですが、彼らの仕事はそれだけでは終わりません。

戦闘終了後は血と泥のこびりついた装備を綺麗にし、補修します。主人にワインをふるまい、食事を作らねばなりません。

主人と違って戦功を上げて名をあげられるわけでもない、地味なブラック労働でした。

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