今の日本なら「美魔女」って言葉をご想像されますかね。
もちろんそれは結構なことでありますが、美容法の中にはとんでもない結果を引き起こしてしまう危険なものもあります。
例えば、江戸時代の白粉。
鉛が含まれていて、数多の中毒者が出ました。
中世フランスの美魔女ディアーヌ・ド・ポワチエもまた、美貌を保つために服用していたエリクサーに金が入っていて、中毒を患ったとか。
いや、もちろん、彼女たちも好きでやっているワケですから、周りがとやかく騒ぎ立てるべきではない……とは絶対に言い切れない、どう考えても「アウト!」な美容法も歴史的にはあります。
1614年8月21日に亡くなったハンガリーのバートリ・エルジェーベト。
「血の伯爵夫人」と称されたこの貴婦人は、その名の通り「人の血」を己の美のために用いた悪魔のような女性でした。
※以下はポワチエの関連記事となります
中世フランスの美魔女ディアーヌ・ド・ポワチエ~19歳の若い王をメロメロに
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美少女で評判の花嫁はSの極み乙女
エルジェーベトは1560年、ハンガリー有数の貴族の家に生まれ、幼い頃から評判の美少女でした。
おまけに数カ国語を操る教養にもあふれているものですから、結婚適齢期になれば、多くの求婚者たちが現れます。
彼女の結婚相手に選ばれたのは、ナーダシュディ・フェレンツ伯。
彼はいわゆる「逆玉の輿」狙いで、エルジェーベト本人の美貌や知性よりも、家名を求めていました。
結婚後、夫が妻の姓名を名乗るという異例の形式が取られたのはそのためです。
肖像画を見ると、ナーダシュディは見るからにマッチョでワイルドな顔立ちをしています。
見た目に違わず、彼は勇敢な軍人であり身体能力も高い反面、性質は粗暴で、教養からはほど遠い男性でした。
一見「美女と野獣」のようなこのカップルですが、意外なところに共通点がありました。
夫婦そろって重度のサディストであったのです。
このことは、花嫁が十四歳の頃には早くも判明しました。
十四歳の美少女サディスト花嫁って設定盛りすぎだろ、とつっこみたくなりますが彼女の伝説はまだまだ続きます。
夫の留守中にSMと黒魔術にハマる
ナーダシュディは荒くれ者で、カッとなるとすぐ人を殴り、鞭打つ悪評がありました。
周囲が彼を「ハンガリーの黒い英雄」と呼んでいたのは、その性格のせいでした。
しかしそのナーダシュディですら、妻の残忍さにはドン引き。軍人として死体と血に慣れている夫ですら、妻が使用人を虐待し出すと顔を背け、部屋から出て行くのでした。
もともとエルジェーベトの家系には、黒い噂がつきまとっていました。
色情狂、悪魔崇拝者、サディズム、マゾヒズム、癇癪持ち……。
親類にはこうした人々が多く、しかも近親婚の繰り返しでこうした傾向はより強まっていくのです。
おまけに彼女は、甘やかされてわがまま放題に育っております。
どんなに残酷なことをしても、叱りつける人がいない。
そんな環境下で、エルジェーベトは頭痛が起こると使用人を虐待し、その悲鳴で痛みをやわらげるという、単なるサディストを通り越した、恐るべき性格に磨きをかけていったのです。
ナーダシュディが軍人として遠征に赴くと、夫婦の暮らすチェイテ城は彼女の自由。
夫の目が届かず、退屈をもてあましたエルジェーベトがハマったのが、不倫……だけならまだしも、黒魔術と際限の無い虐待でした。
城で彼女の話し相手となった伯母はSM好みで鞭打ちが得意。
使用人のソルコは神秘術が得意。
城には恐怖の拷問虐殺チームが誕生していました。
やっぱり設定盛りすぎではないかと思いますが、これでもまだ途中です。
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