1781年(日本では江戸時代・天明元年)2月17日は、ルネ・ラエンネックというフランスの医師が誕生した日です。
医学用語で彼の名前を関したものもあるので、その筋の方には割と有名でしょうか。
彼が発祥となった「とあるモノ」は、我々一般人にもおなじみの存在です。
それは聴診器。
彼の一生と共に振り返ってみましょう。
お好きな項目に飛べる目次
パリで「音を利用した診察方法」という概念を教わる
ルネは、フランス北西部にあるブルターニュ半島のカンペールという町に生まれました。
幼い頃に母が結核で亡くなり、その後、聖職者の大叔父の元に引き取られたそうです。
ルネ自身も喘息持ちだったようで、その辺から医学に興味を抱いたと思われます。
12歳のとき、ナントの大学で医学部の教授をしていた叔父を頼って引っ越し。
父は法律家だったため、ルネが医師になることに大反対されます。
理解を得られず傷心したルネは、しばらくフランス国内を旅して周り、18歳のときパリで再び医学を志しました。
ここでルネは、ジャン=ニコラ・コルヴィサールという医師から「音を利用した診察方法」という概念を教わります。
彼が生まれるよりもちょうど20年前の1761年、レオポルト・アウエンブルッガーという人が提唱したものでした。
当時は斬新過ぎて、医学界から「はっ?」と思われだだけで終わってしまっていたものです。
しかし、ジャンは一理あると思っていたようで、ルネにこれを教えたのだとか。
子どもたちの筒遊びを見てひらめく
ナポレオンの台頭などにより、パリがいろんな意味で騒がしかった頃。
ナントに戻って外科医をやっていたため、アレやコレやに巻き込まれずに済んだようです。
この間、カトリックへの信仰心を深め、医業のかたわらで、貧しい人たちを助ける慈善活動も行っていたとか。
医師の鑑みたいな人ですね。
そしていつの頃からか、ルネは胸を病んだ患者を診ることが多くなり、
「胸部を診察するために、もっといい方法はないだろうか」
と考え始めました。
それまでは、患部の近くをトントンと軽く叩く“打診”や触診が主な診察方法だったのですが、肥満した患者を診察する場合は、なかなか正しい状況が把握できません。
また、女性の患者の場合、道徳的な問題もありました。
そこでルネは「心音も“音”には違いないのだから、音響の仕組みが応用できるのではないだろうか」と思いつきます。
そして、近所の子供が筒に耳を当てて遊んでいるのを見て、「これだ!」とひらめきました。
紙を丸めて筒状にし、その一端を患者の胸に当て、もう一方に耳を当ててみたのです。
すると、直接耳を当てるより、ずっとよく心音が響くではありませんか
この仕組みを応用して、ルネが作ったのが聴診器です。
最初の聴診器は木製の筒 25cmほどの大きさ
聴診器といっても、今日、我々がイメージするようなものとはずいぶん違います。
ルネが作った聴診器は、約25cmほどの木製の円筒だったそうです。
また、心音の異常にもいろいろな種類があることがわかり、ルネはそれらを分類して用語を作りました。
1819年には、聴診器や心音の分類などの論文をまとめて出版しています。
ルネが作った分類や用語は、現代でも医学界で使われているのだそうですよ。
しかし、どの分野でもよくあることで、聴診器も全ての医師にすぐ受け入れられたわけではありません。
発明から半世紀以上経った1885年頃にも「耳があるなら耳で聞け(聴診器なんかに頼るな)」という意見の医師もいたそうです。
よりハッキリ音が聞こえて、患者も医師も恥ずかしい思いをせずに済む便利なものなのに……なんで毛嫌いしたのでしょうね(´・ω・`)
もちろん、ルネと聴診器を評価する人もいました。
1822年にルネはコレージュ・ド・フランス(パリの市民大学のような教育機関)で授業を受け持つようになり、翌年教授にもなっています。
おそらく、聴診器や心音についての研究が認められたことも、この職に就けた一因でしょう。
彼自身、1826年に亡くなる前、聴診器を「私の人生における、最大の遺産だ」と言っていたとか。
「患者の返答より、客観的に見られる現象を重視する」キッカケに
その言葉は、他の医師たちによって証明されていきます。
まず、より心音が大きく聞こえるよう、患者の胸に当てる部分を大きくした「じょうろ式」と呼ばれるタイプができました。
その後、医師が耳につける部分がゴム管になり、さらに両耳で聞く形になり、大量生産できるような形に改良が行われています。
現代のような両耳を使う聴診器は1851年に発明され、翌年に別の人物によって商業生産できるような形に改良されたものなのだそうです。
さらに1926年には呼吸音と心音、それぞれに適した面を切り替えて使えるタイプが生まれました。
また、聴診器の発明は、「問診における患者の返答より、客観的にみられる現象を重視する」という考えが生まれるきっかけにもなりました。
データ主義とでもいいましょうか。
思い込みやヤセ我慢、あるいは家族の干渉などによって、患者の言うことがコロコロ変わるということも、当時はよくあったのでしょうね。って、それは今も同じかな。
他の機材が発達してきたため、聴診器だけが重要というわけでもなくなってきましたが、今でも聴診器の改良は続けられています。
機械の異音など、医学以外の分野でも使われるようになりました。
聴診器が人類にとって有意義な道具になったことを、ルネも喜んでいるでしょう。
長月 七紀・記
【参考】
ルネ・ラエンネック/wikipedia
聴診器/wikipedia