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スウェーデンのベルナドットを仏国王に!?
1814年にナポレオンが失脚すると、スタール夫人はパリに戻りました。
この頃はスウェーデン王太子ベルナドット(後のカール14世ヨハン)を売り込むため、ヨーロッパ諸国を味方につける必要があり、パリをその拠点にしたようです。
彼女の主張からすると、ベルナドットを新しいフランスの王にしようとした可能性もありますね。
その場合、既にベルナドットはスウェーデン王太子なので、フランスがスウェーデンの属国か同君連合になるも同然なのですが……。
でもベルナドットは元々フランス人ですから、この場合さほど問題にならないんですかね? ややこしいわ!
スタール夫人はベルナドットを非常に高く評価しており、こんな発言をしたことがあるほどです。
「彼こそは真面目な人々のためのナポレオンである」
この期に及んでナポレオンが基準になっているあたり、まだフラれたときの恨みを抱いていたのでしょうか。
結局、彼女の活動は実を結ばず、ブルボン家による王政復古が成立しました。
最後はアヘンの常習者になり、脳出血で倒れる
亡くなる前年まで積極的に著作・出版活動を継続したスタール夫人。
しかし、ブルボン家の復帰などに落胆すると、一気に生力を失ってしまったようで、阿片の常用者になっていたとか。
まぁ、革命中から穏健な方針を掲げ、王妃の助命を主張していた彼女からすれば、
「今さら王政を復帰させるならば、ルイ16世夫妻を殺さなくても良かったじゃないの!」
とでも言いたくなったでしょう。
しかし、かつてのように著作で反論せず、阿片に走ったということは、それ以前から心身に何らかの支障をきたしていたのかもしれません。
一度、脳出血で倒れた後も、半身不随と引き換えに命をとりとめているので、元々の生命力が強かったと思われますが。
まぁ、彼女の言動をみれば納得できるような気もしますね。
エネルギーに満ち溢れ、頭脳もある面では明晰だっただけに、もう少し手段を選べていたらその後のフランスはどうなっていたか。
特に、彼女がナポレオンの浴室に突撃していなければ、ナポレオン政権やフランスにもっと良い影響を与えていたかもしれません。
反適材適所というか、宝の持ち腐れというか。彼女自身がその生涯に悔いがなければそれで良いのですが……。
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長月 七紀・記
【参考】
両角良彦『反ナポレオン考―時代と人間 (朝日選書)』(→amazon)
ほか