803年(延暦二十二年)8月9日は、東ローマの女帝エイレーネーが亡くなった日です。
「父なる神がアダムのあばら骨からイヴを作ったのだから、女性は男性よりも劣った存在だ」
そんな考えが根強かったキリスト教の国で、西暦三ケタの時代に女帝がいたというのは驚きですよね。
実は東ローマ帝国には、エイレーネーのほかにも三人の女帝がいます。
ただし、姉妹共同で帝位についていたり、すぐに退位して息子に玉座を譲っているため、記録が乏しいようで、そういう意味でも、エイレーネーは特異な存在というわけですね。
もっとも、記録に残った理由としてはあまりほめられたものではないのですが……。
順を追って見ていきましょう。
偶像崇拝禁止の「イクノクラスム」って?
エイレーネーが歴史に登場するきっかけとなったのは、他の多くの女性と同様、君主の妻になったことでした。
東ローマ帝国ですので、皇帝の妻=皇后ですね。
しかし780年、夫である皇帝は亡くなってしまいます。
30歳という、当時にしても若い死でしたが、この辺のことはあまりよくわかっていません。
何だか陰謀のかほりがしますが、まあそれは本題に関係ないので次へ進みましょう。
夫の死後、当初は息子のコンスタンティノス6世が皇位を継ぐことになります。
ただし、当時わずか9歳だったため、親政を行うことは不可能。
そこで摂政になったのが、母であり前皇帝の皇后であるエイレーネーだったのです。
東ローマ帝国は「神の像を作るなんてけしからん! 聖書にも書いてあるだろうが!!」(超訳)ということで、偶像崇拝を禁じ、既にある像については片っ端からぶっ壊すという運動がありました。
専門用語だと「イコノクラスム」というんですが、たぶんテストには出ないので覚えなくても大丈夫です。
語源になった「イコン」だけは、覚えておくと世界史で役に立つかもしれませんね。
キリスト教の聖人や事件を描いた絵のことです。
「偶像」には立体だけではなく平面も含みますからね。
旧約聖書の中には「いかなる像も作ってはならない」と書かれているので、イコノクラスムも間違いではありません。
しかし、東ローマ帝国の領内には、もともと多神教かつ神々の像がごく自然に作られていたいた地域がありました。
ギリシアです。
そして、エイレーネーはギリシア・アテナイの出身だったため、夫の存命中からイコノクラスムには反対でした。
摂政になってもそれは同じことで、ついに「イコノクラスム禁止!」と言い渡します。
五体不満足になればローマ皇帝になれないので
これに反対したのが、息子のコンスタンティノス6世と真面目な仲間たちでした。
が、一枚岩になる前にコンスタンティノス6世は母親だけでなく、自分の仲間たちとの関係まで悪くしてしまい、母親にバレてとっ捕まってしまいました。
何がしたいんだアンタは。
しかし、エイレーネーの恐ろしいところはここからで、なんと自分の息子の目をくり抜いて、追放してしまうのです。痛い痛い痛い痛い痛い!!
コレには、ちゃんとした理由がありまして……。
ローマ皇帝は「五体満足なものでなければならない」という暗黙の了解がありました。
このため、失脚した皇帝や皇帝候補のライバルの身体一部を切断し、即位・復権を防ぐということが度々行われていたのです。
殺さないだけ優しいと見るべきか。
一思いにやらないから余計ひどいと取るべきか。
それは皆さんにお任せします。
中には、鼻を削がれても決してめげず、作り物の鼻をつけて復帰した皇帝もいたりします。
日本史で鼻の逸話がある人といえば結城秀康ですが、彼にもそのくらいのガッツがあればまた歴史が変わっていたかもしれません。
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閑話休題。
話をエイレーネーに戻しましょう。
財政は火の車で国は弱体化 おまけにイスラム勢力に領地を削られ……
そんな感じで息子を玉座からも都からも追いやった彼女は、摂政から正式に皇帝になります。
が、いくら慣例であっても自分の息子の目をえぐってそのポジションに付いた彼女に人心はなびいていきませんでした。
そりゃそうですよね。
エイレーネー自身もそれはわかっていて、何とか残虐なイメージを取り去ろうと、気前よく税金を減らしてみたりします。
が、今度はそのせいで財政が火の車になってしまい、ますます敵が増えてしまいました。
いつでもどこでも、目の前のことしか考えてないと失敗するもんですね。
それでもイコノクラスム賛成派に対する弾圧は続けたため、余計に国は弱体化。
建国してまだ半世紀ほどだったイスラム帝国(アッバース朝)にジリジリと領地を削られ、目に見える形で東ローマ帝国は衰退していきます。
トドメをさすような形で、ときのローマ教皇レオ3世は
「あの女の即位は無効。今、東ローマに皇帝はいない」
と言ってしまったため、エイレーネーも東ローマ帝国も面目丸つぶれになってしまいました。
ちなみに、このときローマ教皇が新たな皇帝として認めたのが、当時ローマへの貢献で点数を稼いでいたカール大帝でした。
そりゃ、この時代に男性でふさわしい実力のある人なら皇帝に任じますよね。
欧州初だったなら上出来では?
そんなわけでエイレーネーは打開策を打ち出すこともできず、財務長官だったニケフォロスという男にクーデターを起こされ、皇帝の座から引き摺り下ろされてしまいました。
ちなみにニケフォロスはその後皇帝に即位し、帝国の財政を復活。
そのおかげで東ローマ帝国はまだまだ続いていくわけです。
全体的に見るとほとんどいいとこなしなエイレーネー。
でも……ヨーロッパで最初の女性君主として考えれば、最悪よりはマシなほうなんじゃないでしょうか。
ニケフォロスにしたって、「いやいやそれやっちゃうと国がもたないんで^^;」とか諫言してくれてもよかったですよね。
もしかして、ずっと前からクーデターを起こすつもりだったのかな。
それもありえそうだから怖い。
長月 七紀・記
【参考】
エイレーネー/Wikipedia
女性君主の一覧/wikipedia