1451年(日本は室町時代・宝徳三年)4月22日、スペイン女王・イサベル1世が誕生しました。
この当時は「スペイン」という名前の国ではありませんが、わかりやすさ重視ということで。
当時はカスティーリャ王国であり、スペインとなるまでの変遷は、以下の記事にスッキリまとめてあります。
スペイン女王フアナは本当に「狂女」なのか?イケメン夫は激しい浮気性
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今回の主役イサベル1世は、上記の記事で取り上げた狂女フアナの母親なので、ごくごく近い時代のお話です。
教科書では「イサベル1世の時代にスペインはレコンキスタが終わり、大航海時代を迎えて繁栄した」ことになっていますが、彼女個人の人生はというと幸福なものとはいえませんでした。これは国のお偉いさんならではの運命ですかね。
それでは、イサベル1世はどんな女性で、どんな生涯を送ったのか見ていきましょう。
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兄嫁の浮気疑惑で王位が舞い降りてきた
彼女はスペインの前身にあたるカスティーリャ=レオン王国の王女として生まれました。
が、父王が亡くなって跡を継いだ異母兄エンリケ4世に追放され、母や弟・アルフォンソと苦しい暮らしを強いられます。
のっけから不幸すぎるやろ(´;ω;`)
そんな彼女を神様は見放さなかったというか、異母兄・エンリケ4世にそっぽを向いたというか。
エンリケ4世は子供に恵まれない人で、ある日突然女の子が生まれます。
日本でいえば「豊臣秀吉にはずっと子供がいなかったのに、淀殿にだけ二回も子供ができた」のと同じ感じです。
つまり、お相手の女性が浮気をしているに違いないというわけですね。
秀吉の場合は「神様の前行われたから問題ない!」ということになっていたようですが、カトリックの世界でそんな頭の柔らかさを必要とする理屈は通用しません。
なんせ王様の血を引いていても「庶子はダメ」なのが当たり前ですから。
となると、母親が違うとはいえ、確実に先王夫妻の娘であるイサベルやアルフォンソが候補に上がってくるわけです。
一時はアルフォンソを王にしようという動きがあったのですが、本人が若くして亡くなってしまったため、イサベルが次代の王にふさわしいという話になります。
イサベルが掲げた「王になるための条件」とは?
イサベルはここで賢明な発言をしました。
「兄上がご存命なのに、王になるわけにはいかない」と。
つまり「兄が亡くなったら考えないでもない。娘? 誰それ?」と暗に言っていたわけですね。
もちろん貴族達はイサベルに同意し、エンリケ4世が亡くなるまで彼女が王位につくのは保留となりました。
イサベルの賢さは、自身の婿選びにも現れています。
彼女の母親はポルトガルの王族だったのですが、
「超ご近所なのに別の国」
ということからわかるように、双方の関係は決して良いものではありません。
仲が良かったら、同じ国としてまとまっていてもおかしくはありません。
しかも当時はまだイスラム勢力圏と闘っている最中ですから、「一緒にやっつけようぜ!」(超訳)とかなんとかこじつけてまとまることもできなくはなかったわけです。
それをしないからには、それ相応のドロドロした理由があるわけです。
国とか政治ってそんなもんですよね。
しかしお隣の国としょっちゅうドンパチをしていたらいろいろ大変だということで、政略結婚によって「とりあえず今はケンカしないでおこうぜ」となあなあに済ませていたのでした。
二つの国を連合させてスペイン王国を樹立
それでも潜在的には敵同士です。
線香花火の燃えカスの如くじりじりと火種は残っている。
「私までそんなのはイヤ」と考えたイサベルは、「ポルトガルの人よりアラゴンのフェルナンドがいいわ」と自ら言い出し、密かに連絡を取って結婚を決めます。
イサベルとフェルナンドは遠い親戚だったため、話がまとまるのは比較的早かったようです。
その後、二人はカスティーリャとアラゴンそれぞれの国内問題を解決。
二つの国を連合させてスペイン王国としました。
内政的には二つの国のままでしたが、対外的には「私達、二人で一つの国の王になります!」と宣言したのです。
普通ならそう簡単に認められるはずがありませんが、同時期にレコンキスタを終わらせたため、ときのローマ教皇にも「よくやった! ハナマルあげちゃう!」(超訳)と褒められ、「カトリック両王」の称号をもらったことでなんとかなりました。
教皇が認めるからには、他国だって彼らを共同統治者として、そしてスペイン王国を一つの国として認めざるを得ません。
うまいやり方です。
欧州情勢は複雑怪奇!仏&伊を巻き込んで…
この夫婦、イベリア半島の問題が治まっても一息もつかずに働き続けます。
というのも、ピレネー山脈を挟んですぐお隣・フランスとの戦いが控えていたからです。
戦場がフランスでもスペインでもなくイタリアだったのでさらにややこしい話になるのですが、ものすごく乱暴に言うとこんな感じです。
フェルナンドの実家とフランス王家の親戚がイタリアを巡って戦っていた
↓
ハプスブルク家がカトリックの守護者を自称して首を突っ込んできた
↓
イタリア人、自国内でまとまるヒマもなくなり涙目(でもルネサンスはする)
こんだけハチャメチャやってどの国も現代まで残ってるんですから、もうホントに「欧州情勢は複雑怪奇」ですわー。
しかし、さすがにイサベルがどうにかできたのもそこまででした。
特に娘・フアナの結婚生活がうまくいっていないことや、それによる心身の不安定さにはいたく心を痛めていたといいます。
最初はうまくいってたのに、フアナには落ち度が(多分)なかったのに浮気されまくったんですから、母親としては「婿殿ブッコロ!」な気分になってもおかしくはないですよね。さすがにそんな短気なことはしませんでしたが。
子どもたちは揃って不幸な運命を辿ってしまい
また、イサベル1世は熱心なカトリック信者ゆえに他の宗教に対しては残忍なほどの処罰をしています。
詳しく書くと気分が悪くなってしまいそうなので割愛しますが、詳しくお調べになりたい方は「スペイン 異端審問」とかでどうぞ。
これまたものすごく大雑把に言うと魔女狩りみたいなもんです。
スペインの場合「カトリックに改宗しても処罰される」&「魔女狩りより酷い目に遭う」ことが徹底している点が実に恐ろしい。
その引き換えにとでもいうのか、イサベルの子供達はほとんど幸せにはなれなかったのですけどね。
五人の子供のうち二人は20代のうちに亡くなり、一番長生きしたフアナは上記の記事の通り、女王の位は保ちましたが何十年も幽閉されてしまいました。
下から二番目の娘・マリアは嫁ぎ先での度重なる出産が祟ってか、30代半ばで死去。
末娘のカタリーナは世界史上屈指の再婚王・ヘンリー8世と結婚させられ、男児の出産に恵まれなかったため「結婚の無効」というムチャクチャな手段で別れさせられています。
「親の因果が子に報う」ってやつなんですかね……。
そんなわけで、スペインの女王様はなかなか難儀な運命をたどることがままありました。
イサベル1世の場合、後半は自ら子供達に種を蒔いたようなものかもしれませんけど。
現在のスペイン王家は違う血筋ですし、まだ王位継承者が確定したわけではありません。
今後新たな女王の御世が来たとしたら、幸せになってほしいものですね。
長月 七紀・記
【参考】
イサベル1世 (カスティーリャ女王)/wikipediaより引用