1954年(昭和二十九年)5月25日は、戦場カメラマンのロバート・キャパが、取材先の地雷により亡くなった日です。
写真家としてももちろん優れた人です。
が、彼が世間に知られるようになったキッカケは、とある大きな嘘でした。
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「有名な写真家のフリをしてみたらどう?」
彼は1913年にハンガリーのユダヤ系の家に生まれ、成長した頃ドイツに家族揃って移り住みました。
成人後、写真家の道を歩み始めた頃は、ちょうどナチスが台頭し始めた時期。
特に1930年代に入ってからはユダヤ人に対する世間の扱いが厳しくなってきたため、一家は離れ離れに暮らすことになりました。
母と弟はアメリカへ亡命し、父はブダペストへ向かったのです。
ロバートもブダペストへ戻ったらしいのですが、父とは別居となりその消息はハッキリしていません。
ロバートは落ち着いたところで今度はパリへ拠点を移しました。
が、写真はなかなか売れずに困窮します。
彼に限らず、芸術方面の若者にはよくあることですね。
そこへ、彼の元に幸運の女神ともいうべき女性が現れます。
同じくユダヤ系の写真家であるゲルダ・タローという人でした。
彼女はロバートの写真に将来性を感じたらしく、
「有名な写真家のフリをしてみたらどう?」
とアドバイスしました。
彼もこれに乗り、架空の高名な写真家ロバート・キャパを名乗り始めます。
スペイン内戦で衝撃の一枚 「崩れ落ちる兵士」
彼はこれまで本名の
「フリードマン・エンドレ・エルネー(ハンガリー語読み)」
もしくは
「アンドレ・フリードマン(フランス語)」
を名乗っておりました。
ややこしいので、本稿では「ロバート」で統一させていただきますね。
ついでにいうと、ハンガリー語では日本と同じく【姓→名】の順なので、フランス語など他の言語圏に行くときは順番を逆にすることが多いようです。へぇへぇへぇ。
本題には関係ありませんが、ゲルダも実は仕事用の名前です。
彼女の本名はゲルタ・ポホリレと言い、ロバートの知り合いだった岡本太郎から「タロー」という名字を作ったとか。
何はともあれ、このハッタリが功を奏し、彼の写真に対する評価は格段に上がりました。
中でも有名なのは「崩れ落ちる兵士」と呼ばれる写真です。
その名の通り、スペイン内戦で銃弾に貫かれた瞬間の兵士を撮ったもの……ということになっていました。
すごい一枚ですよね。
戦闘中ではなく演習中、あるいは単に転んだ瞬間
実はこの写真、
「あまりにもできすぎてる、ヤラセだ」
と当初から言われており、ロバートの死後に色々な検証が行われました。
結果、現在は「戦闘中ではなく演習中、もしくはただ単に転んだ瞬間を撮ったものだろう」という説が有力になっています。
また、ロバートではなくゲルダが撮ったものだろうともいわれています。
が、これは当初「ロバート・キャパ」という名前を共同ペンネームのように使っていたためかもしれません。
残念ながら「崩れ落ちる兵士」を撮影した翌年にゲルダは内戦の取材中、戦車に轢かれて亡くなってしまいました。
そのためロバートは単独で戦場カメラマンとして活動していたのです。
その後は日中戦争、第二次世界大戦の北アフリカやイタリア、ノルマンディー上陸作戦で数多くの写真を撮影。
ノルマンディーといえば数々の映画でもその過酷さが伝わってきますが、ロバートはあの激戦の中、100枚以上の写真を撮ったといわれています。
しかし、助手がその生々しさに興奮して手を滑らせ、現像中にどでかいミスをしてしまったため、まともな写真になったのはわずか10枚前後だったとか。
歴史の面から見ても非常に惜しい話です。
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