奥山朝利とは? 赤鬼・井伊直政の外祖父は桶狭間と共に没落するも……【おんな城主 直虎人物事典⑬】

 

2017年大河ドラマ『おんな城主 直虎』は、文字通り井伊直虎を主人公としたもの。
彼女の一生が本作の根幹を成すが、そのストーリーの最終場面は、後に徳川四天王となる井伊直政への引き継ぎが重要な見どころとなる。

井伊直政の父は、三浦春馬さん演じる井伊直親。
母は、貫地谷しほりさん演じるおひよ(ドラマでは、しの)。
そして柴咲コウさんが演じる井伊直虎は、直政の後見人という立場で井伊領を治める城主となるが、実は直政の父・井伊直親は主家である今川氏に命を狙われ、一時期、信州へ逃亡していた。

地元の井伊谷へ戻りたい――。
そんなとき直親が救済を求めたのが、ドラマではでんでんさんが演じる奥山朝利。
『おんな城主 直虎』人物事典第13回は、おひよの実父でもある、この奥山朝利を見てみたい。

 

平安時代に分家しながら戦国時代でも関係は強く

朝利の生家・奥山家は、井伊氏の庶子家であった。
分家したのは平安時代(・記事末に掲載)のため、戦国時代に井伊の血はかなり薄まっていたと思われるが、同宗家との協力関係は非常に濃く、朝利は上野氏一族(渋川井伊氏)と並ぶ有力家臣であった。

この上野氏が今川氏との合戦に敗れ甲斐国に移ると、井伊領では宗家に次ぐNo.2(庶子家ではNo.1)の家となり、その本拠として奥山館ならびに奥山城を浜松市北区引佐町に構え、同家を支え続ける。


※左の黄色ポイントが桶狭間で、中央は(左から)奥山城・奥山館・井伊谷、右のポイントが今川本拠の今川館と並ぶ

奥山館

奥山館

奥山家11代を継いだ朝利には12人の子がおり、そのほとんどすべてが井伊一族と関係の深い家に嫁いでいる。
むろん、井伊宗主の直親に嫁いで、後に徳川四天王となる井伊直政を産んだおひよ(ドラマではしの)が最も有名だが、他にもざっと以下の通り。

・朝宗 嫡男。「桶狭間の戦い」で討死。→奥山家(京都市在住)
・朝重→井伊源左衛門家(忍家)
・朝家→奥山源太郎家(奥山在住)
・勘三郎(詳細不明)
・娘(おひよ):井伊直親(井伊家23代宗主)室
・娘 中野直之(井伊庶子家。井伊谷七人衆)室
・娘 小野朝直(井伊家家老・政次の弟。玄蕃とも。「桶狭間の戦い」で討死)室
・娘 西郷伊予守(与力)室
・娘 鈴木重時(与力。井伊谷七人衆)室
・娘 菅沼淡路守(与力。井伊谷七人衆)室
・娘 橋本四方助(詳細不明)室
・娘(於徳) 平田森重室→奥山氏家老家

小野氏や中野氏など、井伊家重臣(井伊谷七人衆)の名が連なっており、奥山氏がいかに重要な家だったかご理解いただけるだろう。
加えて朝利の妹は、今川重臣・新野親矩室にもなっており、井伊領No.2の家としてまさしく隆盛を誇っていた。
しかし、その家勢も「桶狭間の戦い」で一変する。
奥山家では、井伊直盛らと戦いに参加した朝利の息子・朝宗らが死亡、その勢力は急速に衰え始めるのであった。

 

桶狭間の戦い後、小野政次に討たれたとも

奥山朝利については、正直なところ本人の記録がハッキリしてないことが多い。
10代親朝の事跡と混同されているからであり、たとえば井伊直親の正室となったおひよについては「奥山10代親朝の娘」(奥山11代朝利(親秀)の姉か妹)とする古文書もある。
他の記録によれば「奥山10代親朝の娘」が嫁いだ先は井伊直親ではなく新野親矩ともなっており、さらに『井伊年譜』では奥山10代親朝の戒名を「忍慧是俊居士」とするが、これは奥山11代朝利(親秀)の戒名である。
さように混沌とした状況なのだ。

そのため、奥山朝利の正確な生没年も不明。
「桶狭間の戦い」の時には隠居しており、長男の朝宗が奥山家宗主として井伊直盛(直虎の父)に従っていることから、奥山朝利は井伊直宗(直盛の父であり、直虎の祖父でもある)と同世代であることは間違いないだろう。

没年については、『奥山家古代記』所収の『奥山家旧記』(安政5年(1858))等に記されているが、問題は死因であろう。
記録によると朝利は、小野但馬守政次(井伊家重臣・ドラマでは高橋一生さんが演じる)に討たれたという。
また、忍家(次男・奥山朝重の家)の系図には「今川氏真が攻めてきて討死」ともあり、詳細は不明ながら、いずれにせよ後に井伊家を乗っ取る小野氏とそれをバックアップした今川に狙われていたのは間違いないようだ。

あらためて桶狭間前後の年表を確認してみよう。まるで呪われたかのように、井伊家の男たちは命を奪われている。

弘治元年(1555)2月 井伊直親が帰国し、奥山朝利の娘と結婚
永禄3年(1560)5月19日 桶狭間の戦いで奥山朝宗が討死
永禄3年(1560)10月22日 奥山朝利没(龍潭寺過去帳追記)
永禄3年(1560)12月22日 奥山朝利、小野政次に討たれる(龍潭寺文書)
永禄5年(1562)12月14日 井伊直親、誅殺
永禄5年(1562)12月22日 奥山朝利、小野政次に討たれる(『井伊年譜』)
永禄5年(1562)11月24日 奥山親朝没(龍潭寺過去帳追記)

彼ら井伊一族が今川に狙われたのも無理はない。
徳川家康の三河と国境を接する駿河の今川家。井伊一族は、そんな国境沿いに本拠地を構えており、今川から見れば「いつ徳川に寝返るか」という疑念で一杯。
逆に言えば、後に井伊直政が徳川四天王として大活躍を果たすのも、自然な流れであった。

 

直親が頼ったのは宗主直盛ではなく朝利であった

江戸幕府の公式文書『寛政重修諸家譜』には、「井伊直親」の項で次のように記されている。

【原文】伊那郡市田郷の松源寺にありて数年のあひだ、謀をめぐらし、奥山因幡守親朝をたのみ、舊地にかへらむとす。和泉死して後、直盛、直親を領内にまねき、ひたすら駿府に愁訴し、義元も許容ありしかば、弘治元年、ふたたび、井伊谷にかへりて直盛が養子になる。永禄五年、家臣・小野但馬道好、今川氏眞に讒し、直親、東照宮をよび織田右府に志を通じ、隱謀み企るの由を訴へしかば、氏眞、これを誅せむとす。

【意訳】井伊直親は、信州の松源寺から帰国したいと考え、それを宗主・直盛に訴えず、奥山親朝(朝利の誤り?)に頼んだという。弘治元年(1555)2月に帰国後、直親は1ヶ月間、渋川の東光院あるいは奥山館にいた。その間、井伊直盛が今川義元に何度も助命を懇願したので、直親は許され、同年3月に井伊谷に入ったという。そして直盛の養子となって元服し、許婚の井伊直虎ではなく、庶子家筆頭の奥山朝利の娘と結婚した。しかし、永禄5年、家老・小野但馬守政次が今川氏真に、「井伊直親は、徳川家康と織田信長に内通して、今川氏に背こうとしている」と讒言(内部告発)したので、今川氏真は井伊直親を誅殺しようとした。

直親が井伊直虎と結婚していれば、あるいは、今川氏の娘は無理であろうが、直盛のように今川庶子家の娘と結婚していれば、彼の人生も変わったであろう。

井伊家系図

直宗と直盛は今川軍に加わって戦死し、直親は今川氏真に誅殺された。この3人の宗主の死を見届けた直平(直虎の曽祖父)は、今川軍として天野氏を討ちに行く途中で落馬、あるいは、毒殺されて死んでいる。
鎌倉時代には「日本八介の井伊介」と呼ばれた名家も、上級権力者である今川氏には翻弄され、到底かなわない。そもそも井伊氏のような国衆(国人領主)はちっぽけな存在であり、全国至る所で戦国大名に振り回されて過ごしていた。
井伊家と張り合った筆頭家老の小野家は今川派であり、当然ながらその宗主・政次は、今川氏と繋がりの深い娘との婚姻を望んだハズだ。が、実際には、二宮神社宮司の娘と結婚している。

井伊氏も、奥山氏も、小野氏も。
今川氏にとって井伊直盛以外は戦略結婚が必要とされるほど大きな存在ではなかったのであり、そもそも井伊直盛が今川庶子家の娘と結婚できたのも今川家の軍師・太原崇孚(たいげん そうふ)が「井伊領は今川領の西端にあるからこれからは重視しよう」という舵取りをしたのがキッカケだった。

今川氏真は、徳川家康(徳川・織田同盟)と組もうとした井伊直親を誅殺後、井伊谷城を攻めた。
井伊谷城は脆弱な掻上城であったためスグに落城、城代の中野直由は奥山館へ逃れている。
そして追ってきた今川軍(小野但馬守を含む)が奥山館を攻めて奥山朝利を討ち取ると、中野直由は更に三河国へ逃亡。この難により井伊家は一時、滅亡の憂き目に遭っている。

奥山朝利の墓は、正法寺と龍潭寺にある。

奥山氏歴代墓所(正法寺)

奥山氏歴代墓所(正法寺)

奥山10代親朝・11代朝利・12代朝宗の墓(龍潭寺)

奥山10代親朝・11代朝利・12代朝宗の墓(龍潭寺)

正法寺の歴代奥山氏の墓は10基以上あり、奥山朝利の墓もあるというが、どの墓が朝利の墓であるかは分からない。

(了・第14回へ続く)

(注)分家したのは平安時代:宗主が子供たちに財産を分割するのが「分割相続」で、嫡男(次期宗主)以外の子供達は、与えられた土地の名を苗字として独立した。分割相続では、相続争いが起きないという長所があるが、代を重ねるごとに資産が細分化され、宗家の力がどんどん弱体化してしまうゆえに江戸時代には「長子単独相続」となった。戦国時代は「単独相続」に移行する過渡期であり、嫡男(嫡嗣)は基本的に長男(側室が生んだ子が長男である場合は、正室が生んだ弟が嫡男となる例もある)であるが、長男が死没すると、次男以下で相続争いとなることがあった。

 

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著者:戦国未来
戦国史と古代史に興味を持ち、お城や神社巡りを趣味とする浜松在住の歴史研究家。
モットーは「本を読むだけじゃ物足りない。現地へ行きたい」行動派。今後、全31回予定で「おんな城主 直虎 人物事典」を連載する。

自らも電子書籍を発行しており、代表作は『遠江井伊氏』『井伊直虎入門』『井伊直虎の十大秘密』の“直虎三部作”など。
公式サイトは「Sengoku Mirai’s 直虎の城」
https://naotora.amebaownd.com/
Sengoku Mirai s 直虎の城

 








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