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まり先生の歴史診察室 イギリス 中国

阿片戦争にみる英国と麻薬乱用の恐ろしさ~ケシを吸ったらサヨウナラ

更新日:

 

やめられないとまらない~♪

と言えば「カッパえびせん」の皆さま。何か大切なものを忘れちゃいませんか?

ネトゲ……ではなく最近は小学生にも魔の手が及んでいるという大麻や覚せい剤、そして麻薬ですよ、麻薬。

今回は、戦争の原因ともなった『アヘン(阿片)』を診療してみましょう。

アヘンを吸う中国人/wikipediaより引用

 

最古の記録はなんと紀元前3000年!

アヘンはケシ(芥子)から採れる麻薬の一種です。

ケシの花が散った後の未熟な果実から出る分泌液で作られており、モルヒネを10%含有。精製しなくても強い薬効があるため、大昔から薬として使われていました。

どんだけ古いのかと申しますと、紀元前3000年頃のシュメール人が残した石板に分泌液の採取方法が記されているほどです。

また、紀元前1500年、エジプトのパピルスにもアヘンの精製方法が記されているなど、まさに文明と共にその生命を育んできたのです。

ギリシャや三国時代の中国でもアヘンは用いられましたが、あくまで鎮痛剤や睡眠薬としてであり、遊興的な使用例はほんの一部だったようです。

ケシの実/wikipediaより引用

 

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ドパミンが洪水状態で快楽が止まらない

アヘンの中にはモルヒネをはじめとする『アルカロイド』という成分が含まれます(タバコに含まれるニコチンもアルカロイドです)。

モルヒネは「麻薬」に指定されている成分ですが、主に癌を原因とした痛みを和らげる薬として医療現場でも常用。痛みを抑制する仕組みは完全には解明されておらず、脊髄において痛みを伝える神経を抑制するのが主因です。って、なんかややこしい表現でゴメンナサイね。

鎮痛作用だけなら、特に問題はないのでしょう。ところが、皆さんもご存知の通り、モルヒネやアヘンを乱用した場合、極度な依存性が浮かび上がってきます。

なんで人々が乱用してしまうのかと申しますと『気持ち良いから』です。

モルヒネは脳内でドパミン放出を抑えているGABA神経に作用し、その働きを抑制します。平たくいうとドパミン放出のブレーキを効かなくした状態を作りますので、脳内はいつでも洪水状態。そりゃーもうこの上ないほど気持ちよくなるそうで(私は試したことないから知らないですw)。

この状態は精神依存を形成し、結果、薬物が手放せなくなります。

しかもモルヒネは、やめた時の不快な身体症状(禁断症状、離脱症状)もヒドイため、肉体的にも薬物に頼ってしまう身体依存も併発。さらには毒性も持っており、乱用すると幻覚を見るなど、精神、身体を蝕まれて廃人に……そりゃあ禁止されるワケですな。

作用の強さは若干違いますが、モルヒネを含むアヘンの乱用も同様の経過を辿ります。

ただし、癌などの痛みの治療で用いる場合、疼痛(とううつ)下ではドパミンの遊離が抑制されているため依存性は起こりにくく(気持ちよくもなりにくく)、医者の処方の場合は心配御無用♪

ちなみに、モルヒネをエステル化して脳に入りやすくした『ヘロイン』は、快楽作用も禁断症状も依存性も、とにかく群を抜いており「ドラッグの王様」と呼ばれています。発見当初はモルヒネより依存性が少ないと考えられ「咳止め薬」として発売されたそうで……って、恐ろしすぎっ!

 

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英国「売るもんがない? アヘンがあるだろ、アヘンが」

さて、ココからは歴史の話です。

ヨーロッパでのアヘンは経口で用いらていました。一方、中国では「吸引」が流行しておりました。

実は吸引の方が麻薬作用が強く出現するため、明代末からアヘンの吸引が広まって急速に風紀が乱れ、健康を害する者が増えていったのです。

そこで清は1796年にアヘンの輸入を禁止。国内でも取り締まりを行うのですが、さして効果はあがらず、中毒者は増すばかり。ご存知のとおりイギリスがこれでもか、と密輸していたのですから、止まるワケがありませんね。

では、なぜ、世界に冠たる大英帝国が、そんなアコギな真似をしたのでしょう。

それには当時の経済状況を理解するのが一番かと思いますが、19世紀の清は、長崎の出島のごとく広州に限って欧米と貿易を行っており、イギリスはそこから紅茶の茶葉や陶磁器、絹を大量に輸入しておりました。

一方、国土の広い清には大抵のモノがあり、イギリスから輸入するものは殆どありません。

貿易赤字が一方的に膨らむ英国。銀はどんどん清へ流れ、ついに売るものはなくな……らずに手がけたのがアヘンだったんですね~。もう、完全にアングラ組織です。なんせ植民地のインドで作らせて、それをそのまま清へ流すのですから、濡れ手に粟の商売とはこのことでしょう。

いつしか両国の経済は大きく逆転し、「さすがに黙ってられん!」と取り締まりを強化したところ、これにイギリスが噛み付き、アヘン戦争が始まったワケです。まさに逆ギレも甚だしく、ヒドい話ですよね。

イギリス海軍軍艦に吹き飛ばされる清軍のジャンク船を描いた絵/wikipediaより引用

 

時の皇帝は死刑に定め、林則徐を欽差大臣に任命するも

ここからは、もう少し詳しく当時の様相を見て参りましょう。

アヘンの密輸が横行した場合、問題となるのは大きく2つです。

①流行による風紀の乱れ・健康被害・労働意欲の低下

②海外に銀が流出する経済問題

清の官僚の中には「アヘンの取り締まりは無理だから、輸入を認めて関税をかけたほうがマシなんじゃない?」という折衷案を出す人もおりました。

しかし、時の皇帝は「死刑」という厳しい法律を作り、林則徐(りん そくじょ)を阿片禁輸の欽差大臣(特命大臣)に任命、徹底した取り締まりを強行します。林則徐には中国人が大好きなワイロも通用せず、アヘンの在庫数も国内流通量から計算し、そしてイギリス商人たちを追い込んでいきました。

かくして1839年6月、林則徐はイギリス商人から没収したアヘン約2万箱を焼却するのです。

普通に燃やすと煙で周辺が大変なことになるため、海水と生石灰で処理して処分。化学知識もカンペキでした。いやぁ、本当に凄い官僚サンですね。

賄賂にもなびかない正義の官僚・林則徐さん/wikipediaより引用

 

イギリス本国でも意見は割れていたが、結局……

ただ、この厳しい取り締まりが引き金となり、アヘン戦争が勃発してしまったのも事実でありまして。

イギリス本国でも「麻薬の密輸を禁止されたからって、武力行使するなんて、人として間違ってるよね!」という意見は当然ありました。

議会においても、清への出兵に関する予算案は賛成271票、反対262票の僅差だったそうで、良心は残っていたわけですね。歴史に「たられば」はありませんが、ココでの投票が否決されたなら、中国、ひいてはアヘン戦争の影響を恐れた幕末ニッポンの歴史も大きく変わっていたでしょう。

かくして1840年から2年間のアヘン戦争がイギリスの圧勝に終わったのは先に報じた通り。両国の間では不平等条約が結ばれ、清は他の列強にも付け込まれる展開となりました。

林則徐は責任をとって大臣をクビになり、地方へ左遷という憂き目に遭っております。ただ、彼はそこでも善政を行い、住民に慕われたというのですから、本当にもったいない話です。

 

禁止令により、焼却される喫煙具/wikipediaより引用

 

現代の日本でアヘンやモルヒネ、ヘロインを許可無く使うと法律に触れます。

では、昔はどうだったのでしょう?

私の遠い記憶ですが、「暴れん坊将軍」や「遠山の金さん」などの時代劇で「此れはご禁制の阿片!」みたいな話を見ていたので、江戸時代から御法度だとずーっと思っておりました。

ところが、です。記事を作成中に初めて知ったのですが、当時、日本でのアヘンはとても高価な薬でほとんど流通がなく、ケシ栽培が全国に広がっていたのは明治時代前後だと言うではあーりませんか。

江戸幕府がアヘンを禁止したのは「アヘン戦争の教訓から」であり、1858年の安政五カ国条約に輸入禁止の条項が設けられたのです。

もう、完全に誤解してましたよ、金さん(笑)。

 

イラスト・文/馬渕まり(忍者とメガネをこよなく愛する歴女医)
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【参考】アヘン/wikipedia アルカロイド/wikipedia モルヒネ/wikipedia オピオイド/wikipedia ヘロイン/wikipedia 日本緩和医療学会 阿片戦争/wikipedia 三角貿易/wikipedia

 

 




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