今週もあの素っ頓狂な語り口調で【小牧・長久手の戦い】をまとめるナレーションから始まります。
わざとらしいピアノが流れ、コテコテの顔芸を見せる豊臣秀吉。
織田信雄を貶めつつ経緯を説明しますが、なぜここまで信雄のことを小馬鹿にするのでしょう。
秀吉のあまりにわざとらしい演技に興は削がれ、秀長の山賊スタイルには、どうしてこうなったという嘆きしか出てきません。
本作は、くどい演技プランなど投げっぱなしにして、脚本もスカスカなのでしょう。
説明セリフのオンパレードであり、まぁ、演技プランを載せたところで、どうにもならなくなっています。
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どうする中古車販売業者の呪い
困りました。
佐藤隆太さんは爽やかな口調が似合うし、笑顔も素敵です。豊臣秀長本人も名将として名高い。
なのになぜ、こうも胡散臭いのか。
秀長がキビキビと説明するたび、こう思ってしまいます。
「この爽やかな笑顔でビッグモーターを勧めて……」
あのテレビCMの件で佐藤さんをどうこう非難する気は皆無ですが、どうしたって頭から離すことはできない。
◆ ビッグモーターのCM解約、一人芝居の演出家がセクハラで提訴され… 災難続きの佐藤隆太(→link)
思えばハズレ大河に当たってしまうのも難儀なことです。
『江〜姫たちの戦国〜』や『花燃ゆ』の主演俳優は、大事なキャリアに負の影響を与えてしまったようにしか見えない。
連鎖的に様々なことが起き、今や特級呪物と化してしまった本作。むしろ大河ドラマ自体が「どうする!」と突きつけられているようにしか見えません。
秀長のお国言葉はどうにも発声に違和感があり、方言指導が不足しているようにも見受けられます。
どうする絨毯陣羽織
先週、秀吉の陣羽織がまるで絨毯だと書きました。
その後、秀吉には実際に絨毯を加工した陣羽織があったことを思い出し、以下に加筆させていただきました。
『どうする家康』感想あらすじレビュー第32回「小牧長久手の激闘」
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加筆部分を未読の方には誤解を与えてしまい、大変申し訳ありません。
昔私が見たときの記憶では、
『確かに絨毯ではあるのだろうけど、そうは見えないオシャレな加工とデザインだなぁ』
というもので、現物は以下のサイトからご確認できます。
◆ 鳥獣文様陣羽織(→link)
なんでもペルシャで製造された絹織物で、獅子が獲物に襲いかかるという文様が美麗で猛々しい。
そのまま再現されても話題になったことでしょう。秀吉ならではのセンスと納得できるデザインですね。
どうする「お子様赤鬼」
衣装といえば、井伊直政のサイズが合っていないのでは?
着用されている役者さんも和装の所作に不慣れなようで、肘まで見えそうなほど前腕部が見えているのは厳しいものがあります。
あの手の和装で前腕部をむき出しにするのは行儀が悪い。
『鎌倉殿の13人』の八田知家ほど筋肉質であれば、出したくて仕方ないのだろうとは思えますが、この直政は小枝のように細い。
『おんな城主 直虎』時の直政・菅田将暉さんは身長があるせいか、そこまで華奢な印象ではありませんでした。
そうした衣装だけでなく、本作については、書状を扱う所作も慣れていない様子が伝わってきてしまいますし、発声も弱々しい。
有望な若手俳優をもっと大切に育てて欲しいと願うばかりです。
『麒麟がくる』では織田信忠役の井上瑞稀さんが素晴らしいことを語っていました。
◆監督から「そんなんじゃ、誰もついてこないよ」 織田信忠役・井上瑞稀、“総大将”振り返る(→link)
監督からピシッとダメ出しをされたことが、逆に演技への弾みになったと記されています。
討伐軍の総大将を務めた織田信忠役の井上瑞稀さん(HiHi Jets/ジャニーズ Jr.)は、「テストのときに監督から『そんなんじゃ、誰もついてこないよ』と言われて、逆にリラックスできました。声の張り方や動作など、自分がやるべきことがはっきり理解できたので。総大将として自分がみんなを引っ張っていく! それからは楽しく撮影できました」と振り返った。
今年のスタッフさんに、こうした指摘をされる方はいるのかどうか。
若手を伸ばすも潰すも、すべては制作陣次第。俳優さんの努力を無駄にせぬよう適切な指示が行われていることを願うばかりです。
どうする「秀吉に屈することはない宣言」
なぜ本作は、いけしゃあしゃあと空威張りのようなセリフを言わせてしまうのか。
「秀吉に屈しない!」って空虚な言葉に対しては、ハイハイわかりましたよ……としか思えない。
すぐにバレる嘘を積み重ねるから、このドラマはダメなのでしょう。
んで、旭姫をどうするのかと思っていたら、予告編がウキウキ新婚モードにも見えるから絶望感しかありません。
まさか、
「屈してないよ♪ むしろ秀吉の妹をメロメロにさせたんだもん、勝ち( ´ ▽ ` )」
というような展開にでもなるんですかね。今から悪寒しかありません。
帰宅したらどうする?
時代劇は、我々が見たことのない日常やイベントが再現されるからこそ、「どうやって描くのだろう?」と細部にも注目したくなります。
例えば今回の石川数正。
岡崎に戻って、玄関で妻の鍋がお茶を差し出すシーンがありました。
疲れたらまず水分を補給する――現代人の感覚で言えば、何らおかしくない行動ですが、歴史的に見れば不正解となる。
この時代、家に帰ったらまず足を洗います。
妻が桶を持って待っていって、夫の足を洗ってあげるとか、夫が自ら洗うとか、いずれにせよまず足を洗う。
舗装道路なんてありえない時代です。日本では靴も普及していませんし、石畳もない。
草鞋にせよ下駄にせよ、足はともかく汚れるからこそ、家に入る前には洗わなければならない。
本作は、時代劇を作る上での想像力がない……というよりも、作る側が好きでないのでしょう。
そうしたスタンスが本当に残念でなりません。
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