どうする家康感想あらすじレビュー

どうする家康感想あらすじ

『どうする家康』感想あらすじレビュー第33回「裏切り者」

2023/08/28

ハイテンションナレーションはどこまで続くのか。

今週もあの素っ頓狂な語り口調で【小牧・長久手の戦い】をまとめるナレーションから始まります。

わざとらしいピアノが流れ、コテコテの顔芸を見せる豊臣秀吉。

織田信雄を貶めつつ経緯を説明しますが、なぜここまで信雄のことを小馬鹿にするのでしょう。

秀吉のあまりにわざとらしい演技に興は削がれ、秀長の山賊スタイルには、どうしてこうなったという嘆きしか出てきません。

本作は、くどい演技プランなど投げっぱなしにして、脚本もスカスカなのでしょう。

説明セリフのオンパレードであり、まぁ、演技プランを載せたところで、どうにもならなくなっています。

 


どうする中古車販売業者の呪い

困りました。

佐藤隆太さんは爽やかな口調が似合うし、笑顔も素敵です。豊臣秀長本人も名将として名高い。

なのになぜ、こうも胡散臭いのか。

秀長がキビキビと説明するたび、こう思ってしまいます。

「この爽やかな笑顔でビッグモーターを勧めて……」

あのテレビCMの件で佐藤さんをどうこう非難する気は皆無ですが、どうしたって頭から離すことはできない。

◆ ビッグモーターのCM解約、一人芝居の演出家がセクハラで提訴され… 災難続きの佐藤隆太(→link

思えばハズレ大河に当たってしまうのも難儀なことです。

『江〜姫たちの戦国〜』や『花燃ゆ』の主演俳優は、大事なキャリアに負の影響を与えてしまったようにしか見えない。

連鎖的に様々なことが起き、今や特級呪物と化してしまった本作。むしろ大河ドラマ自体が「どうする!」と突きつけられているようにしか見えません。

秀長のお国言葉はどうにも発声に違和感があり、方言指導が不足しているようにも見受けられます。

 


どうする絨毯陣羽織

先週、秀吉の陣羽織がまるで絨毯だと書きました。

その後、秀吉には実際に絨毯を加工した陣羽織があったことを思い出し、以下に加筆させていただきました。

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『どうする家康』感想あらすじレビュー第32回「小牧長久手の激闘」

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加筆部分を未読の方には誤解を与えてしまい、大変申し訳ありません。

昔私が見たときの記憶では、

『確かに絨毯ではあるのだろうけど、そうは見えないオシャレな加工とデザインだなぁ』

というもので、現物は以下のサイトからご確認できます。

◆ 鳥獣文様陣羽織(→link

なんでもペルシャで製造された絹織物で、獅子が獲物に襲いかかるという文様が美麗で猛々しい。

そのまま再現されても話題になったことでしょう。秀吉ならではのセンスと納得できるデザインですね。

 

どうする「お子様赤鬼」

衣装といえば、井伊直政のサイズが合っていないのでは?

着用されている役者さんも和装の所作に不慣れなようで、肘まで見えそうなほど前腕部が見えているのは厳しいものがあります。

あの手の和装で前腕部をむき出しにするのは行儀が悪い。

『鎌倉殿の13人』の八田知家ほど筋肉質であれば、出したくて仕方ないのだろうとは思えますが、この直政は小枝のように細い。

『おんな城主 直虎』時の直政・菅田将暉さんは身長があるせいか、そこまで華奢な印象ではありませんでした。

そうした衣装だけでなく、本作については、書状を扱う所作も慣れていない様子が伝わってきてしまいますし、発声も弱々しい。

有望な若手俳優をもっと大切に育てて欲しいと願うばかりです。

『麒麟がくる』では織田信忠役の井上瑞稀さんが素晴らしいことを語っていました。

◆監督から「そんなんじゃ、誰もついてこないよ」 織田信忠役・井上瑞稀、“総大将”振り返る(→link

監督からピシッとダメ出しをされたことが、逆に演技への弾みになったと記されています。

討伐軍の総大将を務めた織田信忠役の井上瑞稀さん(HiHi Jets/ジャニーズ Jr.)は、「テストのときに監督から『そんなんじゃ、誰もついてこないよ』と言われて、逆にリラックスできました。声の張り方や動作など、自分がやるべきことがはっきり理解できたので。総大将として自分がみんなを引っ張っていく! それからは楽しく撮影できました」と振り返った。

今年のスタッフさんに、こうした指摘をされる方はいるのかどうか。

若手を伸ばすも潰すも、すべては制作陣次第。俳優さんの努力を無駄にせぬよう適切な指示が行われていることを願うばかりです。

 


どうする「秀吉に屈することはない宣言」

なぜ本作は、いけしゃあしゃあと空威張りのようなセリフを言わせてしまうのか。

「秀吉に屈しない!」って空虚な言葉に対しては、ハイハイわかりましたよ……としか思えない。

すぐにバレる嘘を積み重ねるから、このドラマはダメなのでしょう。

んで、旭姫をどうするのかと思っていたら、予告編がウキウキ新婚モードにも見えるから絶望感しかありません。

まさか、

「屈してないよ♪ むしろ秀吉の妹をメロメロにさせたんだもん、勝ち( ´ ▽ ` )」

というような展開にでもなるんですかね。今から悪寒しかありません。

 

帰宅したらどうする?

時代劇は、我々が見たことのない日常やイベントが再現されるからこそ、「どうやって描くのだろう?」と細部にも注目したくなります。

例えば今回の石川数正。

岡崎に戻って、玄関で妻の鍋がお茶を差し出すシーンがありました。

疲れたらまず水分を補給する――現代人の感覚で言えば、何らおかしくない行動ですが、歴史的に見れば不正解となる。

この時代、家に帰ったらまず足を洗います。

妻が桶を持って待っていって、夫の足を洗ってあげるとか、夫が自ら洗うとか、いずれにせよまず足を洗う。

舗装道路なんてありえない時代です。日本では靴も普及していませんし、石畳もない。

草鞋にせよ下駄にせよ、足はともかく汚れるからこそ、家に入る前には洗わなければならない。

本作は、時代劇を作る上での想像力がない……というよりも、作る側が好きでないのでしょう。

そうしたスタンスが本当に残念でなりません。

 

どうする貴金属

秀吉から大量の金を渡された石川数正。

ジャラジャラと出てくる金の塊に、思わず息を呑んでしまった方もいらっしゃるかもしれませんが、ここもディテールが甘いのではないでしょうか。

天正8年(1580年)、秀吉は信長から但馬を所領として与えられました。

秀吉にとっては大きなご褒美。

というのも、ここには生野銀山があり、当時は銀の価値が爆発的に上がっていたのです。

大航海時代によって新大陸の銀が世界へ流れたのをキッカケに、日本へも朝鮮から採掘技術が伝わり、銀山開発が本格化しました。

銀は、当時世界最大の帝国であった明へ流れます。そして、その銀と引き換えに、明から様々なものを入手できる。

当時の合戦には欠かせない火薬の材料もあり、銀を豊富に持っているということは、強さの証でもありました。

しかし、このドラマでは頑なに金を出し続ける。

人物や場所に応じて、金と銀を使い分けても良さそうなものなのに、なぜか金だけ。つくづく視聴者の想像力を刺激してくれないドラマです。

 

どうするお万と於義伊

久々にお万がでてきました。

このドラマが好きな謎のグラデーション衣装があいかわらずです。

そして於義伊が妙にハキハキとした口調で「捨て殺しにしろ」と言うわけですが……これも家康の冷酷エピソードを踏まえてのアリバイでしょう。

「だってあの子が望みって言ったんだもん!」

母子自ら言わせたという設定になっていて、家康には何も背負わせない。本当にセコい。だからこそ本作の家康が薄っぺらい人物に見えるのではありませんか?

於義伊も、わざわざ出さなくても良かったのではないでしょうか。

お万は懐妊後に追い出されているし、家康は親子の情が薄いのではないか?と指摘もされますが、この母子に一因があるでしょう。

於義伊の今後の人生を思うと、しらける気持ちにしかなれません。

於万の方(長勝院)
全裸で縛られた逸話もある家康の側室・於万の方(長勝院)息子と共に疎んじられ

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ごはんをどうする数正?

数正が我が子の出立を見送る場面では『八重の桜』を思い出しました。

あのドラマでは、はるばる会津から京都へ向かう覚馬を送り出すべく、母だけでなく、父の権八も細々としたものを用意しようとしていたものです。

権八を演じていたのが松重豊さんでした。

あれから十年が経過し、なぜこのように激しく劣化した大河ドラマが放映されてしまうのだろう。嘆かわしい……。

今週は石川数正が主役の回でしたが、彼が画面に映るたびに『なんか美味しいものでも食べそう……』だと考えてしまう自分がいます。全然、ドラマに入り込めない。

同様の思いを味わっているのは、私だけでもないでしょう。数正のグルメは、ビッグモーターの呪いに次ぐ現象かもしれません。

劇中で、これみよがしに響いてくるBGMは、なんなんですかね。まるで喫茶店のようで、ますます「今回はコメダでなんか美味い新作でも食べて」と思ってしまう。

ドラマの見どころがあまりに少ないせいでしょう。松重豊さんのグルメに注目する記事は他のメディアでもございます。

◆低迷「どうする家康」の救世主は松重豊の「孤独のグルメ」化?「家康ツアーズ」で“食べる姿”熱望の声(→link

 

どうする真田昌幸の持ち物

家康より年下のはずなのに、明らかに老齢で表現されている真田昌幸。

果物を食い散らかす所作が描かれましたが、そこで比較したくなるのが『真田丸』の昌幸。

『真田丸』における昌幸の印象的な所作といえば、胡桃を手にしてカチカチと手のひらでぶつけていたことでしょう。

ああいう用途の胡桃のことを中国では「文玩核桃」と呼び、日本でも売っていることがあります。

胡桃カチカチは『真田太平記』でも同じ動作をしており、そのオマージュとされましたが、私は同時に「昌幸先天性のクセを表した」のだと感じました。

あの昌幸は精神が昂ったり、焦ったりすると、ものに当たったり、掴んだり、ウロウロしたりする。

考えをまとめたい時にうろついてしまう性質の持ち主なんですね。

「そんな奴いるんか?」というと、少数派ながら存在します。人口の数パーセントはそうかもしれません。

大河ドラマでも『麒麟がくる』の信長や『鎌倉殿の13人』の三浦義村も興奮するとウロウロしたり、ものに当たるシーンが描かれました。

現代には「フィジェットトイ」というものがあります。

ハンドスピナーが一世を風靡しましたが、なんだか手のひらでいじっていると心が落ち着くんじゃ!と謳われているんですね。

ともかく『真田丸』の昌幸は、胡桃ひとつで彼の特徴が描かれていた。細部に神が宿っていたわけです。

そうした状況を踏まえまして、本作の昌幸に再び注目です。

 

どうして真田昌幸

本作の昌幸は、胡桃を手にするのではなく、果物を食べていました。

今に限ったことではなく、このドラマは食べ方の所作が汚く見えます。

しかもこの昌幸は、秀長という目上の相手がいる前で種を吐き出すんですね。いくら大物俳優が演じていようが、こんなことをさせたらダメでしょう。

「車を買うならビッグモーターか。こいつの言うとおりかもしれねぇ!」とでも騙されてしまいそうだ。

あと、インテリアの趣味が最悪です。あの布きれは何なんでしょうか。

 

どうする「汚し」

『平清盛』の長所は捨てて、短所は引き継ぐ本作。

あのドラマはやたらとコーンスターチをばら撒きました。

その点を批判されると、制作サイドは「不当な指摘だ」というスタンスでしたが、やはりコーンスターチの使いすぎはよろしくないでしょう。

未舗装の道であれば、土埃は立ったかもしれませんが、もうもうと舞い散るコーンスターチは、日本の気候の大きな特徴である多湿を反映していないようにも見えてしまいます。

コーンスターチだけでもありません。

あのドラマでは、登場人物の顔をやたらと汚していました。

しかし人間には、時代を超えて最低限の礼儀がある。

あんな汚い顔のまま、来客を迎えたり、重要人物と会うのか?

言わば、勘違いしたリアリティであり、作品としての評価を落としたものです。

本作でも、それと同様のことが繰り返されていて、例えば「大事な客の前で食べたものを吐き出す」のもその一つでしょう。

『真田丸』の真田昌幸は表面的には礼儀正しく、会話の中身で家康をおちょくっていたんです。

家康が「武藤喜兵衛をご存知か?」と聞いてくると、昌幸はシラをきった。昌幸の家督相続前の名が「武藤喜兵衛」です。

だから、横にいる幸村は焦りを堪えるような顔をしていたと。

それと比べたら、この昌幸の底の浅さは何なのでしょうか。

『真田丸』が深淵ならば、こちらはビニールプール並。スイカを冷やすのにちょうどいい。

 

どうする関白

秀吉が関白になる場面ですが、公卿が軽いですね。

口調がペラペラの薄さです。

それでもこの場面はLEDウォールを使っていないだけマシに見えます。

 

どうするねねと、その衣装

戦国時代の女性は思った以上に権力や発言権があった。

とはいえ、秀吉の横からねねが出てきて説明セリフを吐くのはやりすぎでしょう。

彼女は衣装がまっとうなぶん相対的にマシに見えます。

このドラマはシン・大河の「シン・」を捨てた方がマシに見えるんですね。ワケのわからん衣装はどんどんやめてください。

しかもこのデザイナーの衣装は、翌年以降使い回しが効かないようです。

衣装デザイナーが同じ『龍馬伝』の新選組衣装を『八重の桜』でも使い回しをしていました。それが抗議に発展しています。

大河の衣装ストックも、NHKの強みなのですが。

 

どうする説得

石川数正の説得場面はくだらなかった。

秀吉の顔芸。

秀長はビッグモーターの宣伝。

ねねはどこか目がうつろ。

廊下の照明はわざとらしい置き方。このころは天正地震、慶長伏見地震の前夜であり、前震があっても不思議はない。あんな不安定な蝋燭が倒れたら火災になりかねない。

悪の組織に勧誘されるような演出でしたが、どうしてそんな発想になりますかね。

 

どうしちゃったんだ真田一族

出てきた瞬間に、史上最弱だと思える真田一族でした。

キラキラした笑顔の幸村(信繁)。

「俺はクール系、優等生です」みたいなキメキメ感の兄・信幸。

三人が第一次上田合戦で一ヶ所に固まっているのはおかしいのでは?

しかし、それ以前の問題として、真田兄弟がコスプレ高校生にしか見えません。

大河ドラマの人物というより、観光地のおもてなし武将隊のようです。

昌幸にしたって「皆殺しにせい」という発言があまりにも幼稚だ。

合戦で皆殺しという考え方はあまりなく、文字通り軍隊の損耗率が100ということはない。

数割でも損耗すれば組織として動かなくなるので、全滅を狙うようなことはまずありません。

海戦ならばまだしも、陸戦で「皆殺し」とか言わせてしまうからリアリティが無くなってしまう。まるで小中学生に考えさせた脚本のようです。

ましてや真田と徳川の戦力差からして、あり得ない話でしょう。

仮に「皆殺し」と発言させてもリアリティがあるのは『キングダム』にも登場する秦の白起くらいでしょう。

彼は40万人を生き埋めにした。あれにしたって実際には食い違いがあった想定外の事態であり、はなから「よーし今から皆殺しにするぞ!」という将は愚かです。

一方で真田はそんなことしていません。

それが、厨二病をこじらせたセリフを言わせたせいで、これほどまでに知略の低そうな昌幸となってしまいました。

『信長の野望』のパラメータから、いったい何割引かれてしまったのか。

 

どうした軍師

見るからに弱そうな真田でも勝てたのは、対戦相手がヤンキー漫画の高校生みたいな徳川家臣だったからでしょう。

あんなに脇の甘い連中は負けて当然。

誰が聞いているかわからないところで、思ったことを話すし、悪口までペラペラ大声でしゃべる。

どこまでレベルの低い乱世なのでしょうか。

井伊直政はもうちょっとイントネーションをつけてほしいと思う一方、わざとらしく「俺軍師です! 曲者です!」とでも言いたげに、扇で首を叩いている正信が気の毒でなりません。

とにかくやりすぎ、わざとらしすぎて、辛いのです。どんだけ厨二病なの……。

 

どうしようもない、家康の器量

「秀吉に劣ると申すか!」

家康がそう言うだけで「まぁ、どっちもどっちだけど、劣るんじゃないですか」と冷たい気持ちになってしまって辛い……。

ピアノをBGMに数正との絆を説明セリフで語られても、何が何やらわかりません。

脳裏によぎるのは、初回で「いやじゃー」と逃げ出していた家康の姿。

一体このドラマは何をしてきたんですかね?

マザーセナのラリラリダンスだの、側室オーディションだの、サウナで迫られるだの。

そう言うことを描く暇があるなら、この君臣の関係を綿密に描いてくるべきだったのではありませんか?

この世を浄土にするというのも、唐突に思えます。

そんなこといつ考えていましたっけ……って、嗚呼、それもマザーセナの受け売りか。この時点でしらけます。

思いついたように「王道を以て覇道を制す!」と叫んだシーンも、その後に「だって先生が言ってたもん!」という小中学生に見えてしまい、とにかく心苦しくなりました。

 

どうする昼間なのに蝋燭

数正が秀吉に会う場面がよくわかりません。

なぜ昼間から蝋燭を?

当時の蝋燭は高級品です。

それだけ秀吉が金を持ってんだと言いたいのかもしれませんが、それにしたってわざとらしい。

くどいようですが、あんな照明は地震が来たら火災発生待ったなしでしょう。

 

どうなったんだ!上田合戦は

近年の大河ドラマでやったイベントはすっ飛ばす。

そんな方針があるような本作ですから、上田合戦も中身はすっ飛ばされました。

まぁ、どうせ描いたところで『真田丸』には遠く及ばず、仕方のないことでしょう。

そして予告で旭姫とラブコメをしているところで、これの何が戦国時代か?と絶望した方も多いと思います。

それに引き換え、次週予告は生き生きとしています。

脚本家も頑張ってアイデアをひねり出したことでしょう。

戦国時代なんてどうでもいい。ラブコメだけ描きたい! それがこのドラマだもの。

 

どうする歴史意識

本作の制作者は、開き直っているんだと思います。

歴史的な意義を壊すことが「シン・」とつけることだと誤解し、だからこそ暴走した。

たとえば来週の旭姫もそう。

彼女と家康の結婚は、年齢的に名目的な儀式であり、実際の夫婦関係は無かったと見なされる。

それが歴史的見解の「常識」であり、自然な見方でもありましょう。

しかし、それだと「シン・」にはなりません。だからこそベタベタとした展開になったりするのでは?

こうした認識の持って行き方は“斬新”などではなく、むしろ“手抜き”でしょう。単に逆を取っただけ。

思えば初動から間違っていました。

家康をナイーブなプリンスと定義していますが、そもそも「プリンス」をどう見ていたのか?

昭和平成の学園ドラマなら金持ちの息子とか、上品なイケメンいうことになりますかね。

しかし、歴史用語として考えた場合の「プリンス」は、日本であれば皇族に該当するはず。

もうこの時点で誤用が甚だしい。

 

どうする信頼感

徳川家康をプリンスとして定義する時点で、信頼感が地に落ちていた本作。

これは何も視聴者だけでなく、演じる側もそうなっているようで、今週やたらと長かった石川数正のラストシーンは、アドリブだそうです。

◆ 松重豊、「どうする家康」石川数正のラストシーンに言及「本来書かれていなかったセリフをアドリブで言った」(→link

思い入れのある人物のセリフをアドリブにするというのは、通常ならばまず考えられないでしょう。

脚本が役者さんに信じられていないか。

あるいは、よほど中身がなかったか。

別の出演者は、自身のSNSでこう書き込んでいました。

「(劇中での)台詞は台詞ですので苦情は受け付けておりません!」

なぜ、そんなことをSNSでわざわざ但し書きしているのか。

誰かから「おかしい」と言われることを想定していないと、そんなこと発表しませんよね。

疑念を抱きながら演じていたのが明白です。

 

落ち込んでいくばかりの信頼感

視聴者だけでなく、作り手すらも信頼し合えていない。

そんなギスギスした不幸な関係は、ドラマの描写にも反映されているようで、先週の放送で、秀吉が吐いたセリフが注目されていました。

◆NHK大河「どうする家康」ムロ秀吉の悪口に対するアンサーが話題に 視聴者「全てのSNSユーザーが胸に留めたい」「正論かましてきた」(→link

徳川軍に罵詈雑言の看板を掲げられた秀吉が、「人の悪口を言うやつはどうしようもない」という趣旨の発言をしたものですね。

この秀吉のセリフを、私のように批判を記す不届者へのカウンターと捉えた意見は多かったようです。

しかし、だとしたら非常に妙なことになる。

秀吉の発言が向けられたのは、あくまで「徳川軍」です。

罵詈雑言の看板を立てた徳川軍に対し、秀吉が「どうしようもない連中だ」と罵り返したわけで、もしも秀吉の発言が肯定的に捉えられるなら、表向きは徳川軍の連中がどうしようもないということになる。

SNSでのアンチを叩きたいあまり、主人公側をぶん殴るとは、あまりに筋が悪い。

そして、今まで散々秀吉を貶めるような描写をしてきたドラマの制作者も、批判される側になるでしょう。

作り手の自己批判だったのでしょうか?

そもそも作り手の個人的な意見を、こうもわかりやすく直接代弁させるのは、制作サイドの力量不足でしかありません。

面白い作品を作り、視聴率にも反映させれば、ほとんどの方は文句を言いません。

結局、現状それができないし、その見込みもないのでしょう。

 

どうする提灯記事

ジャニーズ事務所における性加害の実態が明らかになるにつれ、芸能事務所と記事の関係も見えてきて興味深いことです。

匠の技を見てみましょう。

◆『どうする家康』杉野遥亮、知性派イメージの榊原康政役を好演! 月代を剃った額も美しく上品(→link

この記事の褒めるところがすごい。

・本多忠勝が十年前に死んだ叔父さんのことを覚えているなんてすごい!

→いや、大事な人の死は何年経過しようと忘れないものでは?

・忠勝は「たわけ」しか思いつかないのに、康政はいっぱい悪口を思いついてすごい!

→いや、それにしてもひねりのない凡庸な語彙力でした

・『論語』を読んでいてすごい!

→『麒麟がくる』では、光秀が幼少期に「四書五経」( 「四書」は『論語』『大学』『中庸』『孟子』、 「五経」は『易経』『詩経』『書経』『礼記』『春秋』)を二年で読みこなしていました

・「無」を旗印にするなんてすごい!

→戦国武将の旗印ひとつでそこまで褒める、そんなポリアンナっぷりがすごい。二男であるから先がないと誘導していますが、当時は乳幼児死亡率が高いし、戦死もするし、二男の将来性が極端に落ち込むのは江戸時代以降では?

・『東京リベンジャーズ』のキャスティングとかぶっていて納得!

→なぜ、そこで納得するのか理解できません

・あの芸能事務所に所属していてすごい!

→人の魅力を所属芸能事務所で考えたことがないので、どうにも理解できない感覚です

ジャニーズほど大手で、かつ特殊な売り込み方ならば別ですが、別にいちいち、芸能人がどこの事務所所属かなんて私は気にしません。大半の方がそうでしょう。

それにこの連載は、ここまで芸能事務所推しをしていたかと考えてもいます。

ただ、ニーズには応じているのかもしれない。

私としては、榊原康政はどこにいるのか覚えていないほど存在感がありませんでした。

しかし、この記事を読むと印象がガラリと変わってきます。

芸能事務所を褒め称える。

関係ない同じ事務所俳優のことまで褒めるようなニュアンスで出す。

民放ドラマのヒット作もさりげなく入れる。

文字数稼ぎのような美辞麗句をたっぷりと織り込む。

これは確かに、商品を売る文章としては秀逸かもしれない。そんなプロの仕事術に感服しました。

◆【後半戦「どうする家康」キーパーソン】市と茶々 助けに来なかった家康に母娘は何を思うか 期待通りの存在感の北川景子、妖艶にほほ笑む白鳥玉季(→link

このへんは孤独のグルメ要員として松重豊さんを取り上げる、日刊ゲンダイのニュースでも引っかかったのですが。

死亡退場した人物を「後半のキーパーソン」にするのはおかしくありませんか?

ただ、それでいいのだとも思いますね。

この記事のキモは、13歳の子役を妖艶だと見なしてもいいと、読む側にアリバイを与えることだと思えます。

人間の叡智として、ただのゲスエロ欲求をコーティングするというものがあります。

たとえば『金瓶梅』のようなえげつないポルノ。

あれは最後に主人公が頓死します。それでこういう言い訳が通る。

「エロい生活をすると死んでしまう。そういう教訓があるんだなぁ」

日本の春画だって、繁栄の象徴だの、魔除けだの、いろんな言い訳がなされてきました。

そして令和はこうだ。

「このエロい子役は後半のキーパーソンだからね。私は別にエロい気持ちで興奮しているんじゃないぞ、ドラマとして考察しているんだ」

そう盛り上がっているところで

「そもそも年齢的に家康とお市の恋愛関係は成立しない、家康が織田にいたころお市はまだ乳幼児です」

と指摘しても、通じないんですよね。

さらに白鳥玉季さんについては、今後のキャスティングまで占えるかもしれないとのことです。

◆低迷「どうする家康」の救世主は松重豊の「孤独のグルメ」化?「家康ツアーズ」で“食べる姿”熱望の声(→link

「白鳥さんは昨年公開の映画『流浪の月』でヒロイン・更紗の子ども時代を演じていましたが、子どもながらあふれ出すような魔性の魅力に何度もドキッとしたことを覚えています。大人になった更紗を演じたのは広瀬すずさん。そんな経緯もありますし、私はひょっとすると茶々は広瀬すずさんの可能性もあるんじゃないかなと思っています」と話すのは芸能ライターのエリザベス松本氏。

たしかに「淀の方・広瀬すずさん」というキャストはありえるでしょう。

磯Pの作品である『なつぞら』で主演を演じた経緯があり、姉の広瀬アリスさんがすでに出ている。話題性も十分です。

一方で、BL推しの悪寒を告げる記事も出ています。

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 「山田(本多)が上半身裸となって槍の稽古をする、杉野(榊原)が家臣と相撲を取る、といった演出プランがあると聞きます。松本家康の相手役になるのは、おそらく板垣(井伊)でしょう。美男子の井伊が、風呂場でふんどし一丁になって家康の背中を流すというシーンが今後の見せ場になるそうです」

一言だけ言うなら「しょーもな!」でしょう。

こんな安っぽいBL展開でしか数字を狙えないドラマとは一体なんなのか。

本当に大河ドラマなのか。

分析も間違っていると思われるし、そもそもトレンドとして狙う層は動画配信を見ているでしょうよ。

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確かに『鎌倉殿の13人』で若い層を取り込んだという分析結果もありましたが、今年はもう今さら頑張ったところで無理。

ここから制作陣を入れ替えたって、とても挽回できるものではないでしょう。

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桃李成蹊

先ほどの記事で名前が出てきた松坂桃李さん。

実は彼の「桃李」とは、桃李成蹊を由来としていて、成蹊大学の由来でもあります。

桃李もの言はざれど、下自ら蹊(みち)を成す。『史記』

桃やスモモは何も言わない。しかしその下には、その花と実を求めた人が集い、自然と小道ができるものだ。つまり、優れた徳や誠意の持ち主のもとには、宣伝などせずともそれを求める人が集まってくる。

大河ドラマもそうだと示すニュースがありました。

◆綾瀬はるかさん、今年も特別ゲストに 9月23日の会津藩公行列 福島県会津若松市 福島民報(→link

もう十年間ですよ。

彼女を呼ぶ会津の期待や信頼感と、綾瀬はるかさんの誠意が今なお合致していて、

「さすけねぇか」

と呼びかける綾瀬はるかさんはすっかり名物です。

 

『どうする家康』でも、まだ祭りのゲストに出演者が参加することがあるようですが、その一方で一切関わらない祭りもあります。

その代表例が、信玄公祭りでしょう。

◆第50回信玄公祭り 信玄公役が決定しました!(→link

以前にも触れましたが、信玄公を務めるのは阿部寛さんでも眞栄田郷敦さんでもなく、『大奥』で徳川吉宗を演じた冨永愛さん。

意思決定の経緯は不明ながら、ともかく結果は結果。

なぜ大河ドラマが回避されたのか。あらためて考えていて浮かんできたのが脚本家の得意とする描写手法です。

『どうする家康』にせよ『コンフィデンスマン』などにせよ、この脚本家については

「二転三転する展開で視聴者が軽妙に騙される」

といった趣旨の文言が必ずのようについて回ります。

徳川家康はむしろ誠実さが売り物です。

むろん誇張や美化もあるでしょうが、裏切られることの多かった織田信長に対し、一度もそんな素振りを見せていないのが家康。

秀吉だって、死を前にして、家康に秀頼を託しています。

実際の内面はともかく、誠意ある人物に思われていたのでしょう。

そういう人を主人公にして、どうして、軽妙に騙すのが得意な脚本家に依頼したのか?

そんな不誠実なドラマのもとには綺麗な花も咲かないし、美味しい実もならない。

騙されて近づくと造花がつけてあって、実はただのハリボテ。しかも蜂の巣が仕掛けてあって、逃げ惑う羽目になる。

それを「斬新だ!」「シン・桃李成蹊だ!」「ただの桃とスモモじゃつまらないでしょw」と木の周りにいる連中がニヤニヤと笑いながら見ている。

せっせと小道をわざとらしく作り、そんな罠のある木に近づけようとするものもいる。

「この素晴らしい木がわからないなんてバカw 怠慢だw」と嘲笑う者までいる始末です。

2013年と2023年の大河ドラマの違いとは、誠意の問題だと思います。

信頼関係を無茶苦茶に破壊しておいて、この後どうするつもりなのか。

皆さんの意見はNHKへ直接送りましょう。

◆NHK みなさまの声(→link

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文:武者震之助(note

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武者震之助

2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』以来、毎年レビューを担当。大河ドラマにとっての魏徴(ぎちょう)たらんと自認しているが、そう思うのは本人だけである。

-どうする家康感想あらすじ

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