どうする家康感想あらすじレビュー

どうする家康感想あらすじ

『どうする家康』感想あらすじレビュー第33回「裏切り者」

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『どうする家康』感想あらすじレビュー第33回「裏切り者」
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どうする貴金属

秀吉から大量の金を渡された石川数正

ジャラジャラと出てくる金の塊に、思わず息を呑んでしまった方もいらっしゃるかもしれませんが、ここもディテールが甘いのではないでしょうか。

天正8年(1580年)、秀吉は信長から但馬を所領として与えられました。

秀吉にとっては大きなご褒美。

というのも、ここには生野銀山があり、当時は銀の価値が爆発的に上がっていたのです。

大航海時代によって新大陸の銀が世界へ流れたのをキッカケに、日本へも朝鮮から採掘技術が伝わり、銀山開発が本格化しました。

銀は、当時世界最大の帝国であった明へ流れます。そして、その銀と引き換えに、明から様々なものを入手できる。

当時の合戦には欠かせない火薬の材料もあり、銀を豊富に持っているということは、強さの証でもありました。

しかし、このドラマでは頑なに金を出し続ける。

人物や場所に応じて、金と銀を使い分けても良さそうなものなのに、なぜか金だけ。つくづく視聴者の想像力を刺激してくれないドラマです。

 


どうするお万と於義伊

久々にお万がでてきました。

このドラマが好きな謎のグラデーション衣装があいかわらずです。

そして於義伊が妙にハキハキとした口調で「捨て殺しにしろ」と言うわけですが……これも家康の冷酷エピソードを踏まえてのアリバイでしょう。

「だってあの子が望みって言ったんだもん!」

母子自ら言わせたという設定になっていて、家康には何も背負わせない。本当にセコい。だからこそ本作の家康が薄っぺらい人物に見えるのではありませんか?

於義伊も、わざわざ出さなくても良かったのではないでしょうか。

お万は懐妊後に追い出されているし、家康は親子の情が薄いのではないか?と指摘もされますが、この母子に一因があるでしょう。

於義伊の今後の人生を思うと、しらける気持ちにしかなれません。

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ごはんをどうする数正?

数正が我が子の出立を見送る場面では『八重の桜』を思い出しました。

あのドラマでは、はるばる会津から京都へ向かう覚馬を送り出すべく、母だけでなく、父の権八も細々としたものを用意しようとしていたものです。

権八を演じていたのが松重豊さんでした。

あれから十年が経過し、なぜこのように激しく劣化した大河ドラマが放映されてしまうのだろう。嘆かわしい……。

今週は石川数正が主役の回でしたが、彼が画面に映るたびに『なんか美味しいものでも食べそう……』だと考えてしまう自分がいます。全然、ドラマに入り込めない。

同様の思いを味わっているのは、私だけでもないでしょう。数正のグルメは、ビッグモーターの呪いに次ぐ現象かもしれません。

劇中で、これみよがしに響いてくるBGMは、なんなんですかね。まるで喫茶店のようで、ますます「今回はコメダでなんか美味い新作でも食べて」と思ってしまう。

ドラマの見どころがあまりに少ないせいでしょう。松重豊さんのグルメに注目する記事は他のメディアでもございます。

◆低迷「どうする家康」の救世主は松重豊の「孤独のグルメ」化?「家康ツアーズ」で“食べる姿”熱望の声(→link

 

どうする真田昌幸の持ち物

家康より年下のはずなのに、明らかに老齢で表現されている真田昌幸

果物を食い散らかす所作が描かれましたが、そこで比較したくなるのが『真田丸』の昌幸。

『真田丸』における昌幸の印象的な所作といえば、胡桃を手にしてカチカチと手のひらでぶつけていたことでしょう。

ああいう用途の胡桃のことを中国では「文玩核桃」と呼び、日本でも売っていることがあります。

胡桃カチカチは『真田太平記』でも同じ動作をしており、そのオマージュとされましたが、私は同時に「昌幸先天性のクセを表した」のだと感じました。

あの昌幸は精神が昂ったり、焦ったりすると、ものに当たったり、掴んだり、ウロウロしたりする。

考えをまとめたい時にうろついてしまう性質の持ち主なんですね。

「そんな奴いるんか?」というと、少数派ながら存在します。人口の数パーセントはそうかもしれません。

大河ドラマでも『麒麟がくる』の信長や『鎌倉殿の13人』の三浦義村も興奮するとウロウロしたり、ものに当たるシーンが描かれました。

現代には「フィジェットトイ」というものがあります。

ハンドスピナーが一世を風靡しましたが、なんだか手のひらでいじっていると心が落ち着くんじゃ!と謳われているんですね。

ともかく『真田丸』の昌幸は、胡桃ひとつで彼の特徴が描かれていた。細部に神が宿っていたわけです。

そうした状況を踏まえまして、本作の昌幸に再び注目です。

 


どうして真田昌幸

本作の昌幸は、胡桃を手にするのではなく、果物を食べていました。

今に限ったことではなく、このドラマは食べ方の所作が汚く見えます。

しかもこの昌幸は、秀長という目上の相手がいる前で種を吐き出すんですね。いくら大物俳優が演じていようが、こんなことをさせたらダメでしょう。

「車を買うならビッグモーターか。こいつの言うとおりかもしれねぇ!」とでも騙されてしまいそうだ。

あと、インテリアの趣味が最悪です。あの布きれは何なんでしょうか。

 

どうする「汚し」

平清盛』の長所は捨てて、短所は引き継ぐ本作。

あのドラマはやたらとコーンスターチをばら撒きました。

その点を批判されると、制作サイドは「不当な指摘だ」というスタンスでしたが、やはりコーンスターチの使いすぎはよろしくないでしょう。

未舗装の道であれば、土埃は立ったかもしれませんが、もうもうと舞い散るコーンスターチは、日本の気候の大きな特徴である多湿を反映していないようにも見えてしまいます。

コーンスターチだけでもありません。

あのドラマでは、登場人物の顔をやたらと汚していました。

しかし人間には、時代を超えて最低限の礼儀がある。

あんな汚い顔のまま、来客を迎えたり、重要人物と会うのか?

言わば、勘違いしたリアリティであり、作品としての評価を落としたものです。

本作でも、それと同様のことが繰り返されていて、例えば「大事な客の前で食べたものを吐き出す」のもその一つでしょう。

『真田丸』の真田昌幸は表面的には礼儀正しく、会話の中身で家康をおちょくっていたんです。

家康が「武藤喜兵衛をご存知か?」と聞いてくると、昌幸はシラをきった。昌幸の家督相続前の名が「武藤喜兵衛」です。

だから、横にいる幸村は焦りを堪えるような顔をしていたと。

それと比べたら、この昌幸の底の浅さは何なのでしょうか。

『真田丸』が深淵ならば、こちらはビニールプール並。スイカを冷やすのにちょうどいい。

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