どうする家康感想あらすじレビュー

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『どうする家康』感想あらすじレビュー第33回「裏切り者」

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『どうする家康』感想あらすじレビュー第33回「裏切り者」
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どうしようもない、家康の器量

「秀吉に劣ると申すか!」

家康がそう言うだけで「まぁ、どっちもどっちだけど、劣るんじゃないですか」と冷たい気持ちになってしまって辛い……。

ピアノをBGMに数正との絆を説明セリフで語られても、何が何やらわかりません。

脳裏によぎるのは、初回で「いやじゃー」と逃げ出していた家康の姿。

一体このドラマは何をしてきたんですかね?

マザーセナのラリラリダンスだの、側室オーディションだの、サウナで迫られるだの。

そう言うことを描く暇があるなら、この君臣の関係を綿密に描いてくるべきだったのではありませんか?

この世を浄土にするというのも、唐突に思えます。

そんなこといつ考えていましたっけ……って、嗚呼、それもマザーセナの受け売りか。この時点でしらけます。

思いついたように「王道を以て覇道を制す!」と叫んだシーンも、その後に「だって先生が言ってたもん!」という小中学生に見えてしまい、とにかく心苦しくなりました。

 

どうする昼間なのに蝋燭

数正が秀吉に会う場面がよくわかりません。

なぜ昼間から蝋燭を?

当時の蝋燭は高級品です。

それだけ秀吉が金を持ってんだと言いたいのかもしれませんが、それにしたってわざとらしい。

くどいようですが、あんな照明は地震が来たら火災発生待ったなしでしょう。

 

どうなったんだ!上田合戦は

近年の大河ドラマでやったイベントはすっ飛ばす。

そんな方針があるような本作ですから、上田合戦も中身はすっ飛ばされました。

まぁ、どうせ描いたところで『真田丸』には遠く及ばず、仕方のないことでしょう。

そして予告で旭姫とラブコメをしているところで、これの何が戦国時代か?と絶望した方も多いと思います。

それに引き換え、次週予告は生き生きとしています。

脚本家も頑張ってアイデアをひねり出したことでしょう。

戦国時代なんてどうでもいい。ラブコメだけ描きたい! それがこのドラマだもの。

 

どうする歴史意識

本作の制作者は、開き直っているんだと思います。

歴史的な意義を壊すことが「シン・」とつけることだと誤解し、だからこそ暴走した。

たとえば来週の旭姫もそう。

彼女と家康の結婚は、年齢的に名目的な儀式であり、実際の夫婦関係は無かったと見なされる。

それが歴史的見解の「常識」であり、自然な見方でもありましょう。

しかし、それだと「シン・」にはなりません。だからこそベタベタとした展開になったりするのでは?

こうした認識の持って行き方は“斬新”などではなく、むしろ“手抜き”でしょう。単に逆を取っただけ。

思えば初動から間違っていました。

家康をナイーブなプリンスと定義していますが、そもそも「プリンス」をどう見ていたのか?

昭和平成の学園ドラマなら金持ちの息子とか、上品なイケメンいうことになりますかね。

しかし、歴史用語として考えた場合の「プリンス」は、日本であれば皇族に該当するはず。

もうこの時点で誤用が甚だしい。

 

どうする信頼感

徳川家康をプリンスとして定義する時点で、信頼感が地に落ちていた本作。

これは何も視聴者だけでなく、演じる側もそうなっているようで、今週やたらと長かった石川数正のラストシーンは、アドリブだそうです。

◆ 松重豊、「どうする家康」石川数正のラストシーンに言及「本来書かれていなかったセリフをアドリブで言った」(→link

思い入れのある人物のセリフをアドリブにするというのは、通常ならばまず考えられないでしょう。

脚本が役者さんに信じられていないか。

あるいは、よほど中身がなかったか。

別の出演者は、自身のSNSでこう書き込んでいました。

「(劇中での)台詞は台詞ですので苦情は受け付けておりません!」

なぜ、そんなことをSNSでわざわざ但し書きしているのか。

誰かから「おかしい」と言われることを想定していないと、そんなこと発表しませんよね。

疑念を抱きながら演じていたのが明白です。

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