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その日、歴史が動いた 幕末・維新 災害・事故

江戸幕府終了は震災のせい?12年間に巨大地震が8回も

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江戸時代というと「太平の世」のイメージがありますが、実は自然災害的な意味ではそうでもありませんでした。

14~19世紀にかけては小氷期といわれるくらい地球全体が寒い時代で、日本においては17~19世紀が特に酷かったのです。
大飢饉や富士山の噴火、大地震などなど、大自然におけるラスボスが250年の間に次から次へとやってきていました。
江戸に至ってはこれに大火災が加わります。もうどうにでもなー……いやいや。

 

ジャガイモが食えずにアメリカに渡る人続出

ちなみにどのくらい寒さがすごかったのか、同時期の世界をちょっと見てみましょう。
・アイルランドでじゃがいも飢饉が頻発し、人口の2割が亡くなった上に2割が国外脱出(1840年代=遠山の金さんが活躍してた頃)
・アメリカではニューヨーク湾が凍ったせい(おかげ?)でマンハッタンから対岸のスタテンまで歩いて渡れた(1780年=独立戦争やってた頃。ひょえー!)
・南半球のオーストラリア・シドニーでも吹雪が観測された(1836年=篤姫が生まれた年)
などなど、これで「小」氷期なのかと疑いたくなるほどです。
昨今は温暖化が叫ばれていますが、これを見ると寒冷化の反動じゃね?極寒より暑いほうがまだマシなの?と思わなくもありません。
さて、そんな世界平等の大寒波に見舞われる中、我らがニッポンでは江戸幕府が最後の悪あがき……もとい、懸命に対処をしていました。
しかしそんな幕府中枢をあざ笑うかのように、安政2年(1855)年のあす10月2日、江戸を大地震が襲います。
世に言う「安政の大地震」です。
後世から見れば江戸幕府終了のたった12年前。
しかも大地震はこれ一回ではありませんでした。

 

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安政その1、その2、その3、その4…地震

江戸に限らず、主だったものだけでもこんなにあります。※()内は推定震源地
・1847年 善光寺地震(長野県)
・1853年 小田原地震(神奈川県)
・1854年 伊賀上野地震(三重県)
安政東海地震(東海道沖)
同・南海地震(南海道沖)
・1855年 安政江戸地震(江戸直下)       ←今日ここ
・1856年 安政八戸沖地震(八戸沖)
・1858年 飛越地震(富山と岐阜の県境)

……「地震」の二文字がゲシュタルト崩壊しそうなほどの集中ぶりです。
しかもちょっと前には天保の大飢饉も起きてます。
神様、幕府いじめすぎ。
広い意味では、これらの地震をまとめて「安政の大地震」ということもあるとか。

こうした地震や飢饉のたびにお金や米を供出していたのですから、そりゃ幕府も藩も貧乏になるわけです。
金欠の理由は大奥での無駄遣いだけではなかったんですね。

ちなみにこの大地震パレードの間を縫うかのように、ペリーが来て強引に開国させられたり条約結ばされたりしてるんですが、ペリーもよく無事に本国へ帰れたものです。
ハリスなんて八戸沖地震の2日前に来日してます。
ニアミスってレベルじゃねーぞ!

 

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天守閣再建しておかなくてよかった

話は戻りまして、安政江戸地震です。
どのくらいの被害があったのかというと、ちょっと首都圏の路線図を見てみてください。
真ん中に山手線が丸く走っていて、その直径をぶった切るように総武線の黄色い線がありますよね。
東側(右側)で交わるところが秋葉原です。

秋葉原から右方向を見ていくと、「亀戸」という駅があります。
ここがとある二次災害の被害範囲の西端あたりです。
さらに右へ右へと辿っていくと、千葉県に入ったあたりに「市川」という駅があります。
この辺が被害の東端です。

今なら路線の長さで9km、電車なら10分そこらの距離ですが、この範囲があたり一面焼け野原になったそうでs……え?( ゚д゚)
地震が起きたのは夜の10時ごろだったといいますから、あっちこっちで火を使うような時刻でもありません。
それでこの被害なんて、もし昼間だったらと思うだけでも背筋が凍ります。
その「もし」は約70年後に関東大震災で起きてしまうのですが……。

しかもこれはあくまで「火災で焼失した」面積。
つまり、他に倒壊した家屋や地形が変わってしまったところも数え切れないほどあったということです。
一例を挙げると……。

・現在の日比谷から神田神保町あたりまでにあった大名屋敷が全壊
・文京区小石川にあった水戸藩邸で、藩主の側近・戸田忠太夫と藤田東湖が圧死
・旗本や御家人(直接幕府に仕える武士)の80%が家を失くして路頭に迷う
・「こち亀」の舞台、亀有周辺で田んぼや畑が隆起するわ沼になるわで農民の収入がピンチ
・江戸城の櫓(やぐら)・門・石垣などが崩れる

などなど、枚挙に暇がありません。
うん、天守再建しておかなくて良かったですね保科正之さん。
この時が一番感謝されたんじゃないでしょうか。
まさか外国と交渉中に、ボロボロの天守なんて見せられませんから。

というわけで大名屋敷も多く焼けてしまいましたが、江戸にいればもちろん気になるのは将軍の安否。
揺れが収まるなり、家臣や使用人たちに屋敷を任せ、江戸城へ走る大名が多かったそうです。
幕府には斜陽の兆しが見えて久しい頃の話ですが、「地震加藤」(※)がたくさんいたのは将軍にとって心強かったかもしれませんね。
……例えそれが後継者争いの一因だったとしても。

※加藤清正が石田三成とのケンカが元で謹慎をくらっていた頃、伏見に大地震が起き、処罰覚悟で秀吉の下に駆けつけたところ許されたという心温まるお話。実は清正より早く駆けつけたのが細川さん(元総理の先祖)だったけど身一つで来たのであんまり役に立たなかったそうで……カワイソス(´・ω・`)

 

地震が明治維新を起こした?

ちなみにときの将軍・家定(篤姫の旦那さん)は無事でした。良かった良かった。
まだ現在のように戸籍がしっかり作られていない時代のことなので、人的被害についてははっきりしていません。
数千とも1万前後ともいわれています。
どちらにしろ甚大な被害があったことには変わりませんね。

まさに内憂外患ここに極まれりといったところですが、幕府は最後の力を振り絞って復興に当たります。
復興=荒稼ぎできるぜ!と目論む大工・職人(たくましすぎんだろ)に「ボるなゴルァ!」と命じたり(高値禁令)、炊き出しや備蓄米の供給などを行いました。
高値禁令のほうは効果が薄かったようで、「だからふんだくるなって言ってんだろ!!」とばかりに何度も出されているのですが。
相次ぐ地震で各藩も疲弊していましたが、それぞれ工夫をこらします。

余談ではありますが、討幕軍の主体が薩摩や長州になったのは、こうした大地震の影響が少なかったからでもあるのでしょうね。

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長月 七紀・記

 




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