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赤兎馬にまたがる関羽/Wikipediaより引用

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その日、歴史が動いた 欧州 中国

赤兎馬、マレンゴ、膝突栗毛… 歴史に名を残す世界の愛馬たち

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コンパニオン・アニマルという言葉をご存知でしょうか。
直訳すると「伴侶動物」で、家畜や単なるペットではなく、動物と家族のように一緒に生きていこうという概念のことです。日本の法律上ではペットに害を加えると「器物損壊罪」だったりするので、法的には広まっていませんが……。かつて生活に欠かせなかったあの動物については、昔のほうが「伴侶」とみなされていたかもしれません。

4月7日は、昭和十四年~二十年(1939~1945年)まで「愛馬の日」とされていた日です。当時は政府主導で馬を使った行事が数多く行われたり、馬に関するラジオ番組が作られていたとか。
新宿の三越など、商業施設でも馬を使った催し物(見世物?)が行われたといいますから、この時代の数少ない娯楽として親しまれていたのでしょうね。

photo by will g@flicker

photo by will g@flicker

 

自動車や戦車のない時代 貴重な戦力だった

4月7日がなぜ馬に親しむ日になったのか? という理由は、明治時代までさかのぼります。
ときは日露戦争開始の明治三十七年(1904年)。当時はまだ自動車や戦車が開発されていませんでしたから、馬は戦力としても輸送方法としても大切な動物でした。

が、日本の馬では大陸に渡った際さまざまな問題が起きることがわかり、明治天皇が「何とかせい(`・ω・´)」と命じたのが同年4月7日だったのです。
明治と昭和というと大分離れているように感じますが、年数にすると40年程度ですから、当時を覚えていた人が「この日がいいじゃん」と言ったんでしょうね。

さて、歴史と馬といえば話は一つ。各時代の人物、特に武将や軍人といった人々にとって、馬は戦力であり大切な相棒だったことはいうまでもありません。

というわけで、ここからは歴史上に名を残してきた古今東西の名馬の一部をご紹介しましょう。

時代順に並べたらだいたい中国→日本→欧米な感じになったので、その順でお話しますね。例外もありますが、こまけえこたあいいんだよ。

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【世界の愛馬・中国編】

騅(すい)

秦王朝末期の武将・項羽の愛馬です。
「虞や虞や汝をいかにせん」で有名な「垓下の歌」に名前が出てきています。
ついでですので、あの詩を全文載せながらテキトーに訳しましょうか。

力拔山兮氣蓋世(俺の力は山よりも強く、気迫は世を覆うほどだ)
時不利兮騅不逝(しかし、時は俺に味方せず、騅も前に進もうとしなくなってしまった)
騅不逝兮可奈何(騅よ騅、お前が前へ進もうとしないのをどうすることもできない)
虞兮虞兮奈若何(虞や虞や、汝をいかにせん)

つまり、項羽が最後の最後まで一緒にいたのが愛馬・騅と愛する女性・虞だったというわけですね。愛の意味が違いますけど。

赤兎馬(せきとば)

三国志に出てくる馬は、某無双シリーズのおかげですっかり有名になりましたね。
これはゴk……じゃない、最強の武将・呂布の愛馬とされている馬です。
しかし、その実態はよくわかっていません。というのも、「関羽が乗っていた」とか「南蛮(ベトナムあたり)の王の妻・祝融が乗っていた」という話があるのです。
さすがに同じ馬がそんなに多くの人の間を渡り歩いたとも考えにくいので、「赤兎馬というのは固有名詞ではなく、何かの特徴を持った馬のことなのでは?」という説もあるようです。

赤兎馬にまたがる関羽/Wikipediaより引用

赤兎馬にまたがる関羽/Wikipediaより引用

的盧(てきろ)

こちらは三国の一つ・蜀の祖である劉備の愛馬です。
固有名詞ではなく、額に白い点のような模様のある馬のことを差し、凶兆であるといわれていました。劉備の乗っていたものは四本全ての足の先も白く、持ち主に祟りをもたらすともいわれていたそうです。靴下猫ならぬ靴下馬みたいな感じだったんでしょうか。現代だったらウケそうですが、あいにく迷信が幅広く信じられていた時代ですからねえ。
そんな馬に乗るだけでも充分度胸がありますが、劉備の晩年や蜀そのものの行く末を考えると、国全体に凶事をもたらしたといってもいいような……。

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【世界の愛馬・日本編】

木下(このした)&南鐐(なんりょう)

木下は源仲綱(なかつな)という平家方に味方していた源氏の人の愛馬です。一方、南鐐は平清盛の三男・宗盛の愛馬でした。この二頭、持ち主のイザコザが原因でとんでもない目に遭っています。
最初に宗盛が「木下っていい馬らしいじゃん。ちょっと貸してよ」と頼みましたが、仲綱は「やなこったw」(※イメージです)と断りました。
その時点で充分大人気ないんですが、これに対する宗盛の反応がまたヒドイ。
なんと、木下を強引に奪うどころか「仲綱」の二字を焼印して公衆の面前に連れて行ったというのです。動物虐待ダメ絶対!
その仕返しに、宗盛は南鐐を奪ってたてがみと尾をそり落とし、さらに「平宗盛入道」と焼印を入れたとか。馬たちにとってはホントいい迷惑ですね。その後罰が当たったのか、二人ともロクな死に方はしませんでしたとさ。
例によって出展が平家物語なので、本当にこのままのことが起きたかどうかははっきりしませんが、こういうことをやりかねない二人だと思われていたのでしょうね。

内記黒(ないきぐろ)

豊臣秀吉から長宗我部元親が拝領した葦毛の馬です。葦毛とは黒い肌に白っぽい色の馬のことなのですが、名前からして黒さのほうが目立っていたのでしょうね。
元親最大の危機・戸次川の戦いで、討死寸前だった元親を乗せて救出したといわれています。その功績に感謝してか、元親の墓のそばにお墓が作られているとか。

膝突栗毛(ひざつきくりげ)

こちらは島津義弘の愛馬。人間換算で83歳まで生きたため、長寿院栗毛(ちょうじゅいんくりげ)とも呼ばれていたとか。栗毛は少し明るめの茶色のことで、おそらく現代人がイメージする馬の色に最も近い色です。
「九州の桶狭間」ともいわれる木崎原(きざきばる)の戦いで義弘が一騎打ちをしたとき、膝を折り曲げて敵の槍をかわしたといわれています。空気が読める馬って国宝モノですね。
長寿を全うしたのも、義弘や薩摩の人々がこれに感謝して大切にされたからなのでしょう。ええ話や。

平形

旧陸軍参謀本部所属の軍馬です。8歳のとき殺処分される予定でしたが、平形の能力をよく知っていた世話係の岩木利夫という人が、ある挑戦をして殺処分を免れました。
それは、東京・愛宕山にある愛宕神社の石段を、平形に乗ったまま駆け上がるというものです。
江戸時代あたりからたびたび挑戦されていた力試しのようなものだったのですが、当時の時点で成功例は10件ほどしかなかったとか。それほどの難事を成し遂げれば、処分を免れると思ったのです。

平形にもその気持ちが通じたか、登りも下りも見事達成。このニュースは当時のラジオでも大きく報道され、観客が殺到しました。騒動ゆえか偉業ゆえか、もしくはその両方か、昭和天皇の耳にも入ったそうです。
そしてめでたく殺処分は取り止めとなり、平形は参謀本部の将校用の馬として余生を送りました。ええ話や(二回目)

【世界の愛馬・欧米編】

ブラックサラディン

薔薇戦争当時のランカスター派貴族、ウォリック伯リチャード・ネヴィルの愛馬です。
薔薇戦争そのものについてはややこしいのでこちらをご覧ください→過去記事:
この戦争終盤にロンドン北西で起きたバーネットの戦いで、リチャードは「下馬して戦ったほうが有利だ」と味方を説得しなくてはなりませんでした。
しかしなかなか他の貴族や部下が従わず、焦れた彼は自ら馬を降ります。それだけならよかったのですが、何の罪もないブラックサラディンを殺したのです。
「使わないから殺しても問題ない」ということなのでしょうが、当時に動物愛護団体が世間的にも物理的にもブッコロされそうな話ですね。
ちなみにこの戦い、ランカスター派が見事に負けました。あーあ。

マレンゴ

ナポレオン・ボナパルトの愛馬です。「ナポレオンの絵」と聞いて誰もが思い浮かべる、「アルプス越えのナポレオン」に描かれている葦毛の馬でもあります。
同じ葦毛でも上記の内記黒とは対称的なイメージですが、葦毛の馬は加齢と共に毛が白くなっていくので、マレンゴはそこそこ歳を取った馬だったのでしょうね。
もっとも、実際にはロバに乗っていたのを、イメージを優先するためマレンゴに差し替えられたそうですが。宣伝大事。
この馬は、ナポレオンが行ったイタリア方面の戦争の一つ・マレンゴの戦いから名付けられたといわれています。
しかし、「百日天下」が終わったワーテルローの戦いでイギリス軍に捕らえられ、イギリスに連れて行かれてしまいました。
優秀な馬であったことはイギリスでも認められていたようで、27歳という馬の平均年齢を超えていたにも関わらず、しばらくの間種馬として使われていたそうです。亡くなったのは38歳のときだったとか。現在の基準で人間の年齢に換算すると、122歳という超長寿です。
亡くなった後は骨格標本にされ、現在イギリスの国立陸軍博物館に展示されているとか。おじいちゃんなのに死んだ後も働くなんて(´;ω;`)

ちなみに一般的に「白馬」といった場合、元々白い馬ではなく歳を取った葦毛の馬であることが多いとか。つまり「白馬に乗った王子様」は「おじいちゃん馬を酷使しているドラ息子」という意味に……ならないか。
多分マレンゴはイギリス王子を乗せたりはしなかったでしょうけどね。

ナポレオンwith愛馬マレンゴ/wikipediaより引用

ナポレオンwith愛馬マレンゴ/wikipediaより引用

オールドバルディー

アメリカの南北戦争で活躍した軍馬の一頭です。北軍陸軍少将ジョージ・ミードの愛馬でした。毛の色がはっきりわからないのですが、残っている写真からすると口元から額にかけてが白い、特徴的な模様の馬だったようです。
同戦争最大の戦いとされるゲティスバーグの戦いの他、重要な戦いに数多く参加しました。銃弾が胃に到達するほどの傷を負っても回復・戦線復帰するほどのたくましい生命力を持っていたとか。
南北戦争の後も長生きしましたが、30歳で安楽死させられました。マレンゴの例を見るともっと長生きできた気もしますが、晩年はかなり衰弱していたそうなので、見るに忍びない状態だったのかもしれませんね。
約三頭を除いてほとんどの場合、主人から大切にされていた節のある話ばかりですね。
とはいえそれは名前がつけられるような名馬のことで、緊急時には食料にされてしまうことも多々あるのが馬の歴史の特徴でもあります。
「鳥取の飢え殺し」こと豊臣秀吉の鳥取城攻めや、第二次世界大戦最大の激戦の一つ・スターリングラード攻防戦で馬を含めた家畜を食べつくした、という記録が残っています。

そこも含めて考えると、人間というよりは戦争と共に生きてきた動物といっても過言ではないのかもしれませんね。
戦争は人間が起こすものですから、どっちでも大差はないですけれど。

長月 七紀・記

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参考:愛馬の日/Wikipedia 名馬一覧/Wikipedia

 

 




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