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その日、歴史が動いた 徳川家

いかにもタフな三河武士・安藤直次 ガンコ者の付家老は息子を亡くして一人泣く

更新日:

皆様、「理想の上司像」っておありですか?
優しい・仕事がデキる・気前がいい、など色々な長所を挙げる方がおられるでしょうが、中でも「公私混同をしない」という点は人気が高いのではないでしょうか。
最近飲みニケーションの人気がないのも「給料が出ないのに仕事関係で時間を取られる」ということの他に「公私混同になりやすいから」というのが大きいでしょうしね。
本日はその点で参考になる……かもしれない、徳川家のとある家臣のお話です。

寛永十二年年(1635年)5月13日は、安藤直次が亡くなった日です。

いわゆる三河武士の一人で、若い頃から徳川家康に仕えていました。四天王ほどのネームバリューはありませんが、徳川二十八神将に数えられています。

 

出世は遅い 遅すぎて同僚が家康に上申したほど

直次は元の身分が低かったようで、正確な生年はわかっていません。
元亀元年(1570年)の姉川の戦いから戦に加わるようになったとされていますので、この頃に10代半ば~20歳位でしょうか。

それから14年後の天正十二年(1584年)、小牧・長久手の戦いで秀吉方の池田恒興や森長可を討ち取るという、恐ろしいまでの大功を挙げます。実際、これが彼の生涯で一番の手柄でした。
このときは家康から手ずから褒美の弓をもらっています(なお、同エピソードは国史大辞典を参照にしたもので、森長可は水野勝成の部隊に射殺されたとも伝わっております)。

しかし、領地はさほどもらっておらず、天正十八年(1590年)に家康が関東に移ったとき、1000石だけでした。
江戸時代に入ってからも2300石で、同僚が皆1万石超えるようになっても5000石しかもらえず、それでも文句を言わなかったといいます。

見かねた同僚たちが「殿、アイツだけまだ5000石なのでどうにかしてやってください」と言って、ようやく家康は直次を1万石にし、さらにそれまでの差額も払ったとか。
最終的にもらえたからいいようなものの、何だかなあ……という気がしますね。

 

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家康が可愛がった徳川頼宣の付家老となる

時系列を元に戻して、関が原の戦いでは家康の使番をやっていたり、家康が征夷大将軍に任じられたときも側で仕えていたり、厚く信頼されていました。

そして慶長十五年(1610年)、家康の命により徳川頼宣(当時8歳)の付家老に任じられます。頼宣は、家康の晩年の息子たちの中でも、特に気に入られていた人です。その教育係にも等しい付家老に任じられたということは、やはり直次への信頼の厚さが伺えます。

徳川頼宣/Wikipediaより引用

しばらくは頼宣も家康とともに駿河にいましたので、いわゆる大御所政治も支えていたと思われます。
大坂の役では、まだ幼少の頼宣の代わりに、頼宣軍の指揮を取りました。

このとき、嫡子である重能が討ち死にし、直次は「犬にでも食わせろ!」と激怒したといわれています。
冷たいようですが、「指揮官の嫡子が討ち死に」というのは、軍に多大な精神的ダメージをもたらします。直次は立場上、軍の統率を優先せねばならないために、心を鬼にしたのです。
おかげで軍は平静を取り戻した……とされています。

実はこれより前、重能は主君である頼宣の茶器を割ってしまったことがありました。

それは家康から贈られたものだったため、直次も重能もただでは済まないと思い、親子揃って謝罪に行っています。
しかし頼宣は笑って「あれは確かに父上から頂いた名物だが、茶器が戦で役に立つわけでもあるまい。壊れたのなら適当に修理しておけ」と許したとか。

重能はきっと、頼宣のために死ねる場所を求めていたのでしょう。当時討ち死には名誉なことでしたし、豊臣家を倒せば戦がなくなるであろうことも、うすうす気付いていたでしょうしね。

 

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息子が亡くなっても動揺せず されど悲しくないハズがなく

直次がそう考えたどうかはわかりませんが、息子の死に何も感じないわけがありません。
人目につかない時間帯になってから、あるいは大坂の役が終わってから、深く嘆いていたと伝わっています。
「トイレで大泣きしていた」という説もありますね。

いずれにせよ、直次が公私をきっちりと分ける性格であったことがうかがえる逸話です。

その後は亡くなるまで、頼宣を時に厳しく諌めながら、付家老の役目を果たしました。
頼宣は後々、「自分が大名をやっていられるのは、直次がいてくれたからだ」とまで言っていたとか。

彼の逸話は「いかにも三河武士」という感じのめんど……頑固なものと、頼宣との心が温まる(ような気がしないでもない)ものに分かれます。

ご興味を持たれた方は、ぜひご自身でも一度調べてみてくださいね。

長月 七紀・記

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参考:国史大辞典 安藤直次/wikipedia

 




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