とりわけ結婚式における験担ぎはウンザリするほど多いものです。
のし袋の水切りは結び切り。
招待状への返信には句読点を使わない。
女性のドレスで二色のものは駄目……等々、おめでたい席だから、ともかく縁起の悪いことは駄目、ということですね。
しかし、これは平和な世を生きる現代人だからこその考え方です。
「結婚式? 招待客多いじゃん! 謀殺に最高のシチュエーションじゃん!」
乱世ともなれば、そんな逆転の発想を企む者が出てきます。
2016年度大河ドラマ『真田丸』でも、祝言の場が暗殺に利用されていました。
黒田如水の妹夫妻も、祝言で殺されてしまいました。
中でも極めつけは、結婚式のはずが“国土全体が虐殺”になってしまったという【サン・バルテルミの虐殺】ではないでしょうか。
事件は1572年8月24日に勃発しました。
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アンリ二世の娘・マルゴ王女は絶世の美女だった
この悲惨な結婚式の花嫁は、マルゴことマルグリット。
1553年のフランスにて、アンリ二世とカトリーヌ・ド・メディシスの三女として生まれました。
カトリーヌはさほど美人とは言われていませんでしたが、マルグリットは絶世の美女であり、周囲から可愛がられました。
両親からは賢さも受け継いでおり、語学も哲学もよくこなしました。
そんな美少女ですから、誘惑も多かったのでしょう。
マルゴは密かにギーズ公アンリと恋仲になりました。
この恋を知った母親のカトリーヌは、マルゴをベッドから引きずり出します。
「何てことをするのよ!」
カトリーヌとアンリ二世は娘を叩いてしかり飛ばし、ギーズ公アンリを宮廷から追放したのでした。
カトリックとプロテスタントを結ぶ婚礼
マルゴの初恋は終わりました。
19才になった彼女は、カトリーヌによって政略結婚をさせられます。
お相手はナバラ国王のアンリです。
ナバラ王国はピレネー山脈にある小さな国で、プロテスタントを信仰していました。
当時激化していた宗教戦争を緩和するため、カトリックのフランス王家と、プロテスタントのナバラ王家が婚姻によって結ばれようというわけでした。
ユグノー戦争と三アンリの戦い~仏の宗教戦争中にアンリvsアンリvsアンリ
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この婚礼がうまくいけば、両者は関係改善されたでしょう。
うまくいけば……。
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