コロナ禍で死滅しそうだった日本の観光業が、今度はオーバーツーリズムになりそうで四苦八苦――そんなときこそ振り返ってみたい方がいます。
文久三年(1863年)7月16日に誕生した油屋熊八。
大分県別府市の別府温泉を、現在のような観光地に作り変えた人です。
日本中を旅して回るような旅好きから「別府は圧倒的に一位」と称えられる程であるのは、世界に知られる「おもてなし」が、おそらく宿泊業で初めて実践された土地だからかもしれません。
それを進めたのが油屋熊八なのですが……大きな成功を収めるまでには、同じぐらい大きな失敗もしていたのでした。
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アメリカンドリームを夢見るが
彼は宇和島藩(現・愛媛県宇和島市)の裕福な米問屋に生まれました。
明治に入った27歳の頃には宇和島町議になり、30歳の時には米相場でウハウハなど成功まっしぐらの前半生を送ります。
しかし日清戦争の影響で、儲けは全てバースト。
何を思ったか、そこから渡米をするのです。
渡航費用が残ってるくらいならそれを元手に商売すればいい気がしますが、当時のアメリカはゴールドラッシュの興奮冷めやらぬ頃だったので、海を越えてアメリカン・ドリームを見ていたのかもしれません。
ちなみにこのとき既に結婚していたのですが、妻を置いていっています。うぉい!
しかし、置いていかれた奥様もそれで良かったかもしれません。
東洋人がアメリカですんなり成功するはずもなく、あちこちを放浪。
「異国の地では異国の神に頼るべき」と思ったのか、キリスト教の洗礼を受けましたが、その後さらに三年ほどアメリカで過ごして日本へ帰国するのでした。
ドリーム、不成。
挫折の繰り返しで別府で亀の井旅館を創業
帰国してからは再び相場の世界に入りました。
しかし、いくらやっても鳴かず飛ばず。
そこで彼は、とっくに見限られていてもおかしくないほどの間、別居していた妻を頼ります。
彼女がいた地こそ、熊八が最初に作った旅館・亀の井旅館創業の地である「別府」でした。
ここでようやく神のご加護が発現したのか。
熊八は大きな成功を収めます。
新約聖書に出てくる「旅人を懇ろにもてなせ」という言葉をモットーとし、それまでなかったサービスを提供し始めたのです。
例えば、万が一お客さんが急病になったときすぐ対処できるよう、旅館に看護婦を待機させました。
医療機関と連携・親密な旅館やホテルはあるでしょうけども、待機させるってのは現代でもそうそうないですよね。
創業から13年目には、亀の井旅館を洋式のホテルに改装。
今でも営業しているので、もしかしたらご存知の方もいらっしゃるかもしれませんね。
さらに5年後の昭和三年(1928年)にはバス業界にも進出し、日本初の女性バスガイド(少女車掌)つき観光バスツアーを始めます。
有名な“別府地獄めぐり”も彼の発案です。
また、近辺にゴルフ場を作って温泉とレジャーをくっつけたのも熊八のアイディアでした。
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