五龍局

宍戸隆家(左)/wikipediaより引用

毛利家

安芸の国衆・宍戸隆家の妻「五龍局」は元就の娘|弟の元春嫁と超冷戦だった

2025/07/15

天正二年(1574年)7月16日は、五龍局(ごりゅうのつぼね)が亡くなった日。

中国地方の雄・毛利元就の娘であり、安芸の国衆・宍戸隆家の妻です。

元就が亡くなったのが元亀二年(1571年)ですから、それからわずか3年後のことだったんですね。

毛利元就/wikipediaより引用

本記事で、五龍局の生涯を振り返ってみましょう。

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元就夫妻から溺愛された五龍局

五龍局は生年が不明ですので享年もハッキリしません。

長男・毛利隆元から見て妹、かつ次男・吉川元春の姉とされていることから、大永三年~享禄三年(1523~1530年)の間となります。

生母も毛利三兄弟と同じで、元就の正室・妙玖でした。

となると、享年は50前後ぐらいでしょうか。この時代としては平均的といったところです。

本当は隆元の上にも姉がいたとされているのですが、かつて元就の弟・相合元綱(あいおうもとつな)に味方しようとした高橋氏の人質となり、元就が同家を攻めた際に殺害された……といわれています。

そのためか、実質的に長女とみなされた五龍局は、元就夫妻から溺愛されたそうです。

しかし、それが彼女と、とある人物との間に確執を生んだ……かもしれません。

 


「新庄局の手紙はまるで高圧的な武将のようだ」

五龍局は天文三年(1534年)、前述のとおり宍戸隆家(ししどたかいえ)と毛利家の和解のために嫁ぎました。

その後、吉川元春の正室・新庄局と静かな大ゲンカをしていたと言われています。

吉川元春/wikipediaより引用

新庄局は弟の妻ですから、五龍局はいわゆる小姑という立場ですね。

新庄局は、夫の元春から「不美人だから嫁に向いている」という、なんだか失礼な評価を受けて嫁いだ人です。

元春と新庄局の仲はかなり良好だったようですが、義理の姉である五龍局とは、気が強い者同士でぶつかり合うことが多かったのだとか。

やっぱり嫁と小姑の関係は難しいのですかね……。

元就いわく「新庄局の手紙は短文で、まるで高圧的な武将のようだ」とのこと。

また、小早川隆景から「姉上(五龍局)とも仲良くしていただけませんか」というような手紙を受け取ったとき、新庄局は返事すらしなかったとか。

小早川隆景/wikipediaより引用

それなりの血筋と立場があって、しかも義理の弟から義理の姉に関する手紙の返事をしないって、現代の既読スルーどころの騒ぎじゃありません……。

元就は、五龍局について『三子教訓状』の中で、

「あの娘のことは気の毒に思っているので、せめてお前たち三兄弟が生きているうちは、苦労させないでほしい」

という感じのことを息子たちに向けて書いています。

父親からすると、五龍局のほうが女性らしく見えたのでしょうか。なんだか実の娘だからこそのひいき目もありそうです。

 

嫁ぎ先では上手くやっていた

これだと、五龍局がいかにも「両親から甘やかされて育った、気が強い鬼嫁」のように思えてしまうかもしれません。

しかし彼女は、嫁ぎ先ではうまくやっていたようで、数々の子宝に恵まれています。

長女は別の国衆、次女は吉川元春の長男(そこ行くか!)、三女は毛利輝元へ嫁ぎ、全員正室という立場を手に入れているのです。

毛利輝元/wikipediaより引用

元就としては、この武働きにも劣らぬ五龍局の功績に対し、引け目を感じていたのかもしれません。

でなければ、五龍局をたしなめたり、新庄局との仲を取り持つような言動が伝わっていてもいいはずですし。

五龍局のほうが30年ほど早く亡くなっているので、おそらく生涯、新庄局との関係は改善しなかったのでしょう。

二人とも長生きしていたら、秀吉政権時代や江戸時代にまでこの不仲が影響していた可能性もありそうです。

そういう意味では不幸中の幸い……なんでしょうか?

 


元就を助けた杉大方が生きていれば……

ついでですから、もう一人毛利家に関係する女性にも注目したいと思います。

この二人とは対照的に温厚だったと思われるのが元就の義母・杉大方(すぎのおおかた)です。

三子教訓状などでは「大方様」とも呼ばれていますね。

杉大方は元就の父・毛利弘元の二人目の正室でした。

弘元が諸々のストレスと酒によって急死した後、当時満9歳だった元就のため、実家に戻らず、再婚もせずに毛利家に残ったというなかなかの度胸を持った女性です。

元就の習慣や考え方に大きな影響を与えたと考えられている人物の割には、性格やエピソードが伝わっていないのですが……その頃は暮らしていくのに精一杯で、記録をつける人や余裕もなかったのでしょうか。

血の繋がらない元就があれほどの名将になったのですから、幼い頃一番接触していた杉大方の薫陶が大きい……はずです。

となると、杉大方もかなりの才女だったに違いありません。

杉大方は天文十四年(154年)に亡くなっているため、五龍局や新庄局と直接顔を合わせたり、手紙のやり取りをしたかどうかは不明です。

伝・杉大方墓(安芸高田市多治比)/wikipediaより引用

もしも、杉大方がもう少し長生きしていて、積極的に二人の仲立ちをしていたら……。

もう少し穏やかな関係になっていたのかもしれませんね。

しかし、息子たち三人と娘・嫁の二ヶ所でケンカが耐えなかった頃の元就の胃痛ぶりを考えると、涙がちょちょ切れます。

そりゃ、あんなに長い手紙を書くわけですよね。

手で文字を書くのはストレス解消や思考の整理に良いそうですから、それも長生きの秘訣……だったのかもしれません。

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【参考】
国史大辞典
渡邊大門『井伊直虎と戦国の女傑たち~70人の数奇な人生~』(→amazon
火坂雅志『戦国を生きた姫君たち (角川文庫)』(→amazon
歴史読本編集部『物語 戦国を生きた女101人 (新人物文庫)』(→amazon
『「毛利一族」のすべて (別冊歴史読本―一族シリーズ (92))』(→amazon
『戦国武将合戦事典』(→amazon
五龍局/Wikipedia

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長月七紀

2013年から歴史ライターとして活動中。 好きな時代は平安~江戸。 「とりあえずざっくりから始めよう」がモットーのゆるライターです。 武将ジャパンでは『その日、歴史が動いた』『日本史オモシロ参考書』『信長公記』などを担当。 最近は「地味な歴史人ほど現代人の参考になるのでは?」と思いながらネタを発掘しています。

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