東日本大震災

津波で浸水した仙台市宮城野区の沿岸部(撮影:米海軍)/wikipediaより引用

明治・大正・昭和

地震大国・日本では過去に何度の大地震が起きてきたか?地震の歴史まとめ

日本は地震大国です。

2011年3月11日の東日本大震災から、今日でまだ15年。

『地震大国だってことぐらい知ってるわ』と、思われるかもしれませんが、では具体的にM6.1以上の大地震が、有史以来どんな頻度で起きてきたか?と問われたら、即答できる方は少ないでしょう。

本稿では日本の地震の歴史を振り返ってみたいと思います。

 

最初の記録は『日本書紀』の416年

日本で最初の地震が記録されたのは『日本書紀』であります。

今回参考にさせていただいた『理科年表』(国立天文台編)では、その地震を「416年」としておりますが、この時代の記述は大変曖昧で、どのような規模でどんな被害だったのかという内容を含めて、真実のところは不明です。

ただ、わざわざ書かれるということは、なかなか大きな揺れだったのでしょう。

では、M6.1以上の地震は有史以来、何回起きていたかご想像つきますか?

答えは304回です。

つまり、最初の地震から数えて5年に1度は大地震に襲われている計算になりますが、これはあくまで最小数。

戦国時代以前は、記録に残されなかった地震が相当数あったと思われ、もし正確に観測できていたらヘタすりゃ数倍の1000回を超えちゃうかもしれません。

なお、理科年表には気象庁などの情報をもとに、M6.0以上の主な地震が掲載されておりますが、当記事ではあえてM6.1以上を拾っていきたいと思います。

というのも古い時代のマグニチュードは推測の部分が大きいからです。ゆえにM6.0と診断されたものについては、ギリギリで中規模地震と判断しました。

前置きが長くなって申し訳ありません。そんなわけで本編へ行きましょう。

 


飛鳥・奈良・平安時代の大地震

学校で習うこの時代の有名人と言えば、

・十七条憲法の聖徳太子

・東大寺大仏の聖武天皇

・摂関政治の頂点 藤原道長

あたりですかね。

『紫式部日記絵巻』の藤原道長/wikipediaより引用

まずは数字のマトメから見て行きましょう。

飛鳥~平安時代に起きたM6.1以上の地震は28回です。

記録をすべて計上すると、775年間で37回ですから、20年に一度って感じでしょうか。決して「異常に多い!」とは思わないかもしれません。

古墳~平安時代 28回

M6.1以上の地震 24回

M8.0-9.0クラスの超巨大地震 4回

M6.0(M5.0-6.0含む)の地震 3回

規模不明の大地震 7回

総数 38回(775年間)

1年あたりの地震回数 0.049回

しかし、こちらはあくまで『記録に残された地震』のみ。

現代の観測技術があれば軽く数倍になる気がします。

というのも、この時代は特に地震活動が沈滞していたとかではなく、超巨大地震の貞観地震が869年に三陸沖で起きているのです。

貞観地震は後に東日本大震災が千年に一度と呼ばれる由縁にもなっています。

貞観地震(869年)

1142年後

東日本大震災(2011年)

注目すべきは、貞観地震からわずか18年後には南海トラフ大地震が起き、貞観地震の5年前には富士山が歴史に残る大噴火をしていたことでしょう。

富士山の貞観大噴火(864年)

三陸沖の貞観地震(869年)

南海トラフの仁和地震(887年)

もう少し、この時代を詳しく見て参りますね。

 

古代の地震 ここに注意

今後、2040年台までに60~70%もの高確率で発生すると予測されている【南海トラフ巨大地震】も、この時代に最初の記録が残されております。

はい、【684年白凰地震】ですね。

規模はM8.25とされており、震源域は東海・東南海・南海域(いわゆる三連動地震)でした。

記録によると、山が崩れ、川が氾濫し、家や神社が倒れて、土佐(高知県)には津波も襲来。

多くの船が沈没し、約12平方kmもの田んぼが水没しております。

おそらく、高知県以外(和歌山県や大阪府、三重県、愛知県など)も襲われた可能性はあります。

この次に記録されているメガクェイクは、古代最大クラスの【869年貞観地震】 であります。

東日本大震災と同じ三陸沖で発生したものであり、地震規模はM8.3。

当時の東北政庁であった多賀城の周囲を津波が遅い、城郭や倉庫、櫓などがことごとく崩れてしまい、溺死者は1,000名を超えました。

津波堆積物の推測から、東日本大震災と同規模だったとする研究もあります。

多賀城模型

そして、変わった記録では、夜間に昼間のように明るい光が発生したとされています。

大地震のとき発光現象が起きるのは世界中でも確認されており、ナショナルジオグラフィックでも『予知に使えるのではないか?』という観点の記事が掲載されておりますが、

◆地震前の謎の発光現象、ついに解明か?(→link

それに類する現象だった可能性も考えられます。

科学の発達していない当時の人々には、神の怒りか、悪魔の咆哮にも見えたかもしれません。

 

古代2度目の南海トラフ大地震

地震災害で恐ろしいのは、それが単発で終わらなかったときでしょう。

大地震の後は、余震の規模も大きくなり、「プレートの動きが他の断層やプレートに影響を与えない」と考える方が難しい。

要は、何かしらの“誘発”が起きるのは自然だと思われます。

特に、古代最大クラスとされる869年の貞観地震には、その前後には度重なる災害が発生しております。

詳しくは後述しますが、とにかく大地が狂ったように揺れている。

そして白凰地震から約200年を経て、再び南海トラフ巨大地震が起きます。

【887年仁和地震】です。

南海トラフ地震震源域

東海から九州まで被害が予想される南海トラフ大地震の震源域/wikipediaより引用

南海トラフ地震は100-200年ほどの周期で【必ず発生】しており、仁和地震のときも圧死者が多数発生。

特に、大阪での津波被害が酷く、京都でも官舎や家屋が倒壊しました。

 


864年には富士山の大規模噴火も

さらに忘れてならないのが、前述の【864年富士山の貞観大噴火】 でしょう。

この噴火は、800年や802年の延暦大噴火と比べても規模が大きく、当時、大きな湖だった『剗の海(せのうみ)』の半分を埋め立て、それによって精進湖や西湖が出来たと言います。

また富士の樹海も、このときの噴火によって流れ出た大量の溶岩が青木ヶ原を形成し、現在のように木々が生い茂る深い森になりました。

それだけ大きな噴火が、古代最大とされる869年貞観地震とほぼ同時期。

地下ではどう繋がっているか……途方も無い話ですが、両者の関連性を完全に無視するのもいささか危険な気がします。

なお、この時代は地下の活動が活発化する【大変動期】と呼ばれており、現代も同様の時代に突入したとする懸念が囁かれております。

上記でも触れましたが、869年貞観地震と前後して841年から890年まで幾度も大地震・火山の噴火が発生していました。

841年 信濃でM6.5

841年 伊豆でM7.0

850年 出羽でM7.0

856年 京都でM6~6.5

863年 越中越後で大規模地震

864年 富士山噴火

867年 別府鶴見岳と阿蘇山で噴火

868年 播磨山城でM7.0

869年 貞観大地震M8.3

874年 開聞岳で大規模噴火

878年 相模・武蔵でM7.4

880年 出雲でM7.0

881年 京都でM6.4

887年 仁和地震M8.0~M8.5

890年 京都でM6.0

次は鎌倉・室町時代を見ていきたいと思います。

 

鎌倉・室町時代の大地震

中世の主な人物や出来事は

・鎌倉幕府を開いた源頼朝
・元寇
・南北朝時代
・足利尊氏や足利義満
・信長から秀吉、家康へ

あたりですかね。

織田信長/wikipediaより引用

前項で触れましたとおり、鎌倉から室町時代に「1年あたりの地震回数」は0.081回と2倍近くに増えます

M8.0-9.0の超巨大地震は減っておりますが、それでも200年に一度は発生。

東海地震・東南海地震・南海地震の3つの地震域を持つ南海トラフが原因です。

鎌倉~室町時代 20回

M6.1以上の地震 18回

M8.0-9.0クラスの超巨大地震 2回

M6.0(M5.0-6.0含む)の地震 4回

規模不明の大地震 10回

総数 30回(407年間)

1年あたりの地震回数……0.081回

上記のうち、さらにM7規模の大地震に絞り込みますと、平安時代までに20回だった揺れが16回と飛躍的に増えています。

約770年間で20回発生した古代(平安時代まで)に対し、鎌倉・室町では約400年間で16回ですから驚き……というか、これもまたより多く記録が残されるようになったからでしょう。

ゆえに江戸時代から明治・大正・昭和へ入ると一気に数が増えて空恐ろしくなってきますが、まずは鎌倉・室町時代に発生したメガクェイクの特徴を見てみます。

 


1293年 永仁地震

鎌倉時代に最も注目すべき大地震はM7の永仁地震でしょう。

関東南部で発生した揺れで、当時から著名な建長寺が炎上して、そのほとんどが焼失。他にも多数の寺に被害があり、死者は数千から最大で23,000人強にまで達したといいます。

建長寺

また関東の永仁地震との関連性を示す証拠はありませんが、同日、越後魚沼郡(新潟県)でも激しい揺れに見まわれ、山の崩壊や多数の死者という被害が出ました。

1213年から数えて1293年まで合計8回。特に鎌倉時代は、10年に一度の割合で【鎌倉】での激しい揺れを記録しております。

これは鎌倉という場所に武家政権が移動して、記録体制が充実したせいでしょう。

都内での被害はなかったの?

と、一瞬思われるかもしれませんが、この頃の東京はまだまだ一地方に過ぎず、江戸城や城下町が登場するのは300~400年後のこととなります。

一方、西に目を向けると、京都では【1317年文保地震】の記録が残されております。

M6.5~M7の揺れだったと想定されており、こちらでは清水寺が出火。特に、白河近辺での被害がひどかったそうですが、被害者は5名程度で済んでおります(あくまで記録上の話ですが)。

 

南海トラフ地震で道後温泉の湯が止まる

【南海トラフ巨大地震】は、室町時代にも2度発生しております。

最初は【1361年正平地震】です。

南海トラフ巨大地震とは

静岡県や愛知県の沖にある【東海エリア】

和歌山県沖にある【東南海エリア】

高知県沖にある【南海エリア】

上記3つの巨大な震源域が2つ以上連動して揺れるメガクェイク(規模は最大でM9クラス)

正平地震では、津波堆積物から【東海・東南海・南海】の三連動地震だったと推測されており、大阪にある四天王寺の金堂が倒れたり、畿内を中心にお寺での被害が数多く残されております。

当然ながら庶民の家屋の被害も甚大なものだったでしょう。

摂津(大阪)・阿波(徳島)・土佐(高知)では津波も発生。阿波では1700軒が波にのまれて60人余りが亡くなられました。

また湯の峰温泉のお湯が止まったとする報告もあります。

不思議なもので南海トラフ巨大地震には「温泉のお湯が止まる」という記録がたびたび残されております。

その一例が全国的に有名な愛媛県の【道後温泉】でしょう。

夏目漱石『坊っちゃん』で知られただけでなく、聖徳太子がわざわざやってきて道後の湯につかったとする記録もあるほど、古き時代より愛されていた温泉ですが、実は【684年白凰地震】のときにもお湯が止まってました。

【1946年昭和南海地震】でも道後温泉では同じ現象が見られますので、万が一、事前にそういう事態が起きたら、普段より一層警戒心を強めた方がよいかもしれません。

防災・減災対策というのは「ハズレで当たり前」という発想でやっておくのが大切というのは、よく言われることですね。

 


中世最大級の明応地震が凄まじい

詳細な記録に乏しく、なんとも悩ましい鎌倉・室町時代ではありますが、おそらくや最も被害が大きかったのは【1498年明応地震】だと思われます。

M8.2-8.4と推測され、その恐ろしい規模を示す事例は2つあります。

①浜名湖を汽水湖に変えてしまった

昔、浜名湖は陸地の中にある【完全な淡水湖】でした。

海と湖は陸で隔たれており、海岸から浜名湖までは約3キロの距離があったのです。当然ながらそこには人々の集落があり、道も通っておりました。

それが明応地震による津波によって、すべて流され、浜名湖は海と淡水が交じり合う汽水湖となったのです。

浜名湖

衛星写真から撮影された浜名湖/wikipediaより引用

②鎌倉の大仏様が吹きさらしにされた?

今では当たり前のように青空の下で座っている鎌倉の大仏様。

その正体は、高徳院というお寺の阿弥陀如来様であります。

なぜ、そんな偉い仏様が吹きさらし状態でさらされているのか?

奈良の大仏様のように、立派な大仏殿を建てないの?

そう不思議に思われるかもしれませんが、もともとは大仏殿もあり、建物の中に鎮座しておりました。

が、明応地震で発生した津波によりすべて流されてしまったとされます(他の地震で無くなったという説もあり、再建しなかった理由は不明です)。

南海トラフ巨大地震は四国や近畿、中部日本に大きな影響を与える――。

そんなイメージをお持ちの方もおられるかもしれませんが、神奈川県(ひいては東京都)にも影響を及ぼすリスクは高いのです。

実際、明応地震と同規模の津波が発生すれば8~9メートルクラスの津波が鎌倉地方を襲う可能性があると、神奈川県のHPにも示されております。

鎌倉大仏
鎌倉大仏は誰が何のために作った? なぜ建物の中ではなく外に座っている?

続きを見る

 

秀吉「地震の原因は琵琶湖のナマズじゃ!」

皆さん、子供の頃に「地震はナマズの仕業」というような伝説を聞いたことがありませんでしょうか?

実はコレ、豊臣秀吉が言い出しっぺだとする説があります。

豊臣秀吉/wikipediaより引用

ご存知のように、豊臣秀吉さんは織田信長の事業を引き継ぎ、農民から関白まで上り詰めた天下人として、その権勢たるや、誰も逆らえませんでしたが、彼にも勝てないものがありました。

そう、地震です。

彼が1582年【山崎の戦い】で明智光秀を倒してから4年後に【1586年天正地震】が起きます。

近畿を中心にM7.8もの揺れとなった天正地震は、愛知や岐阜、三重、滋賀などから四国は徳島まで大きな被害をもたらし、余震は翌年まで続くほどの規模でした。

このとき豊臣秀吉は近江坂本城におりましたが、彼は琵琶湖対岸の長浜にいた山内一豊の娘(6才)や、加賀にいた前田利家の弟など、親しい武将の家族が命を失うほどの揺れでした。

琵琶湖付近の集落が一気に崩落し、数百戸の家が瞬時に消えたという話もあります。

いずれにせよ、この地震で心底恐怖を味わった天下人の秀吉は、琵琶湖に棲むという大ナマズを【地震の原因】と認定し、後年、京都に伏見城を建築するときは、部下の前田玄以に「ナマズ対策をせよ!」とまで命令を出したそうです。

前田玄以/wikipediaより引用

ところが、です。

天正地震から10年後、まるでその伏見城を狙ったかのように【1596年伏見地震】(推定M7.25)が発生してしまうのです。

伏見地震は1995年阪神淡路大震災と同じように活断層型の地震で、多大なる被害を与えたとされます。

天守は大破し、石垣も崩れて城内の死者も多数。また、大阪や堺、神戸などでも家屋の倒壊や死者が確認されております。

晩年に近づき、愚行を繰り返したとされる豊臣秀吉に天罰がくだった――とは思いませんが、周囲の諸大名がそういう理由付けをした可能性は否めないでしょう。

次は江戸時代です。

さらに被害は深刻化して参ります(というか記録が詳細になっていきます)。

 

江戸時代の大地震

江戸時代といえば

・徳川家康
・元禄文化と化政文化
・犬公方の徳川綱吉
・米将軍の徳川吉宗
・幕末

って感じですかね。

特に徳川綱吉の政治を境に人心が安定し始めました。

悪名高い「生類憐れみの令」を実施された方ですが、倫理的には現代社会に近い「命重視」への方向にシフトしたワケです。

徳川綱吉/Wikipediaより引用

ただし、天災までは減っちゃくれません。特に幕末、井伊直弼が政権を握っていた頃、とてつもない震災が江戸と近畿を襲いました。

では江戸期を通しての大地震は?

回数は急激に増え、1年あたりの地震回数は0.69回となりました。

鎌倉・室町と比べて10倍近く。おおよそ2年に一度は日本のどこかで大きな揺れを観測しております。

幕藩体制となり、諸藩の記録が詳細に残されたせいでもあるでしょうし、平和が続き、物資(紙や硯)の流通が安定したせいでもあるでしょう。

そしてこの時代は大きな被害の地震が頻繁に起き、富士山も大噴火をしております。

江戸時代 109回

M6.1以上の地震 103回

M8.0-9.0クラスの超巨大地震 6回

M6.0(M5.0-6.0含む)の地震 40回

規模不明の大地震 38回

総数 184回(264年間)

1年あたりの地震回数 0.696回

上記のとおり、江戸時代はたびたび超巨大地震に襲われました。

 

政宗に降りかかるM8.1【慶長の三陸沖地震】

まずはM7クラスをさらに抽出してみますと……265年で実に70回も発生しております(1603~1867年で計算)。

江戸に幕府の設置されたこの時代は、これまであまり記録のなかった関東大震災をはじめ、南海トラフ巨大地震、三陸沖地震など、日本列島付近で起きたあらゆる巨大地震を幾度も観測しました。

徳川家康が征夷大将軍についた1603年からわずか2年後の1605年。

推定M7.9とする【慶長地震】が東海~南海沖(南海トラフ巨大地震沖・震源域などの詳細は不明)で発生します。

そして1611年には東北で東日本大震災クラスとも言えるM8.1の【慶長の三陸沖地震】が起きました。

東北全体で1万人の溺死者が出たとされ、奥州の独眼竜こと伊達政宗の領内では、ことさら被害が激しく、伊達藩だけで1,783名もの死者が出ました。

伊達政宗/wikipediaより引用

北海道でも溺死者が出ており、津波の大きさが想像できるでしょう。

伊達政宗は、家臣の支倉常長をスペインに派遣し、その軍事力を持って『天下人』を目指したという話が残されておりますが、このときの地震を理由に「復興資金を稼ぐため、ヨーロッパへ家臣を派遣させてくれ」と徳川家康に働きかけたのではないか?という見方もあるようです。

さすが転んでもタダでは起きない人です(ただし、この慶長遣欧使節団は失敗に終わりますが……)。

地震は東北だけでなく関東でも発生しております。

1633年には相模(神奈川県)や伊豆・駿河(静岡県)をM7の地震が襲い、さらにその15年後の1648年にも今度は相模と江戸をM7の揺れが発生。

むろん西日本での揺れがなくなったワケじゃなく、1649年には安芸(広島)・伊予(愛媛)でM7の地震が起き、1662年には近畿から中部日本にかけてM7.25~M7.6と推測される地震が続きます。

さらに同年、九州では日向(宮崎県)・大隅(鹿児島県)でM7.5~7.75の地震も……。

江戸時代になると、発生した地震を追いかけるだけで原稿が手一杯になってしまう勢いです。

 

南海トラフ巨大地震の後に富士山大噴火

M7クラスの地震が60回も起きている江戸時代。

一つ一つ挙げていったらキリがありませんので、元禄期からは特に目立ったモノのみにスポットを当てたいと思います。

まずは【1703年元禄地震】が取り上げられるでしょう。

関東一円を巨大な地震が襲い、特に小田原城下は壊滅状態。8000軒以上の民家が倒れ、死者は2300人を数えました。むろん江戸(東京)も無事ではなく、死者は数千と推測されています。

後世の分析によると1923年に起きた、あの関東大震災と似たタイプの地震だったと目されております。

それだけでも現代人なら震える揺れですが、本当に恐ろしいのはここからです。

1707年10月28日、我が国でも最大級とされる【宝永地震】が起きました。

M8.6という規模の揺れで、東海道から紀伊半島、四国、九州の各地が津波が発生。そうです、何度も出てきた南海トラフ巨大地震であります。

死者は最低でも2万人に達し、倒壊家屋は6万、流出家屋は2万、高知県では20平方キロメートルに及ぶ土地が最大で2mも地盤沈下しました。

一息つく間もなく一気に説明申し上げてきましたが、さらに恐ろしいコトがもう一つ発生します。

富士山で【宝永の大噴火】が起きたのです。

 

降り積もった火山灰の影響で関東は食糧危機に

噴火は1708年12月16日のことですから、前年の南海トラフ巨大地震からわずか1年後のこと。

この噴火で富士山中腹には大きな穴がポッカリと空き、噴き出した火山灰は江戸にまで降り注ぎました。宝永火口と呼ばれるものです。

富士山宝永火口

当時の科学では関連性を証明できないでしょうが、これを【何も関係ない】と見る方が不自然かもしれません。

南海トラフ巨大地震の震源域は、富士山ともほど近い距離にあります。

この連続した宝永地震と富士山の宝永大噴火のため、関東では食糧危機が発生しました。江戸にまで降り積もった火山灰は、主に神奈川で畑作を困難にさせ、食べるものに困るようになるのです。

西日本でも前年に地震が起きており、互いに融通しあう余裕もなかったでしょう。

富士山噴火による火山灰の降灰予想図

現代は、たしかに食糧事情の恵まれた時代ですが、東名や中央道、関越、東北道などが遮断されれば、東京都に運べる食料は瞬時に枯渇します。

もちろん物流は海上からのルートもありますが、もしも首都直下型地震が発生した場合、港の復旧までにかかる時間は早くても3日という試算も出ているほど。

日頃から非常食を保管しておくことがどれほど大事か、ということですね。

 

お祭り気分の観光客8,000人を襲った悲劇

最後に1847年善光寺地震と井伊直弼について触れておきましょう。

善光寺地震とは、長野県の名門・善光寺を直撃した地震です。

善光寺

江戸時代は、東海道を歩いて三重県の伊勢神宮をお参りして、帰りは中央道から長野県の善光寺に寄って江戸に戻ってくる――そんな旅が、庶民の憧れでした。

この善光寺では7年起きに秘仏【前立本尊】の御開帳というイベントがありました。

現代人なら笑ってしまうかもしれませんが、当時はありがたい仏様を拝むというのが、流行りのスタイルだったのです。

なにせそれを見るために全国から長野県に8000人もの観光客が集い、門前町では芝居小屋や土産屋、お菓子屋がところ狭しと並ぶほどに混雑していました。

そんなお祭り会場をM7.4の大地震が襲ったのです。

この揺れにより、観光客8000人のうち9割が死亡。寺の境内には死体が溢れたと言います。

また、地震によって崩れた山が川を遮ってダムのような状態になり、それが決壊して下流域へ泥水が流れ出ました。

場所によっては高さ20メートルに達したともされており、まさに【山間の津波】と称するにふさわしいかもしれません。

なお、当時最大級の被害だったのは、真田幸村の兄・真田信之が興した松代藩でしたが、ときの当主・真田幸貫の巧みな手腕により、復興事業は急速に進められたそうです。

災害時に問われるのは、国民の勇気だけではなく、こうしたリーダーの手腕なのかもしれませんね。

 

幕末の政局にも影響を与えた?大地震の連続

ここからは更にM8.0以上の超巨大地震のみを抽出してみますね。

江戸時代の超巨大地震

◆1611年 M8.1『慶長の三陸沖地震』……東日本大震災と同じ規模と目されている。伊達藩で多数死者

◆1703年 M7.9-8.2『元禄地震』……江戸時代の関東大震災。小田原での被害が大きく津波も発生

◆1707年 M8.6『宝永地震』……日本最大級の地震の一つ。高知に巨大津波。これも南海トラフ

◆1793年 M8.2『寛政地震』……伊達藩が再び被災。宮城県沖での巨大地震。家屋損壊は1千軒以上

◆1854年 M8.4『安政東海地震』……南海トラフです

◆1854年 M8.4『安政南海地震』……南海トラフが2年連続

幕末の1854年(日米和親条約締結の年・鎖国から開国へ)辺りは、まさに呪われた時期でした。

上記M8.4の2つは南海トラフ地震ですが(1日ズレて発生)、 これに先立って7月9日にもM7.25の地震が伊賀・伊勢・大和(近畿地方)で発生。

さらに翌1855年にはM7.5『江戸地震』が起きて、日本の東西で大打撃を受けています。

幕末1854年前後の地震

1854年 M7.25 近畿地方
1854年 M8.4 安政東海地震
1854年 M8.4 安政南海地震
1855年 M7.5 江戸地震

幕末の政局は薩長土肥の雄藩と佐幕派(幕府サイド)で語られがちです。

しかし天災が政治に影響皆無とは思えず、こうした要因も江戸幕府には不利に働いたでしょう。

では次に明治・大正時代へ。

近代化と共に、現代に残る記録も生々しくなって参ります。

 

明治・大正時代の大地震

・西郷隆盛
・伊藤博文
・日清戦争
・日露戦争
・第一次世界大戦

明治・大正時代で最も衝撃的な地震は、間違いなく関東大震災でしょう。

関東大震災で壊滅的となった横浜市中区/wikipediaより引用

日本の首都圏を襲った直下型地震は、現在でもその危険性が指摘されており、政府や首都圏自治体はたびたび防災・減災訓練を実施しております。

では、1923年の関東大震災は、実際、どれぐらいの被害だったのか?

関東大震災の被害

死者・行方不明者は約10万5000人

住居全壊約10万9000戸(半壊10万2000戸)

焼失約21万2000戸

熱海を襲った津波は12メートルにも達し、現代だったらどうなってしまうのか……恐ろしい限りです。

では、この時代の地震回数を確認してみましょう。

明治大正時代 109回

M6.1以上の地震 43回

M8.0-9.0クラスの超巨大地震 4回

M6.0(M5.0-6.0含む)の地震 10回

規模不明の大地震 2回

総数 59回(58年間)

1年あたりの地震回数 1.017回

では、さらに詳しく見て参ります。

 

人的被害は今でも最多の関東大震災

【明治・大正時代】は約60年(1867年~1926年)の間にM7クラスの地震が計29回起きております。

2年に一度は日本各地のどこかで巨大地震が発生している計算。

これを他の時代と比べてみます。

時代M7規模の発生回数割合
飛鳥~平安時代416~1191年20回約39年に一度
鎌倉~室町時代1192~1602年16回約25年に一度
江戸時代1603~1867年60回約4~5年に一度
明治・大正時代1868~1926年29回約2年に一度

あきらかに地震の頻度が高くなっております。

何度も申し上げておりますように、これは観測技術の向上によるもので、おそらく昔から同じように日本では頻繁に大地震を繰り返していたのでしょう。

今回は明治・大正時代に発生したM7クラスの地震をすべて見てみます。

回数地震地域規模
No.11872年浜田地震M7.1
No.21881年国後島地震M7.0
No.31893年色丹島沖地震M7.75
No.41894年根室沖地震M7.9
No.51894年東京地震M7.0
No.61894年庄内地震M7.0
No.71895年茨城地震M7.2
No.81896年三陸沖地震M8.2
No.91896年陸羽地震M7.2
No.101897年宮城県沖地震M7.2
No.111897年宮城県沖地震M7.7
No.121898年宮城県沖地震M7.2
No.131899年三重県地震M7.0
No.141900年宮城県北部地震M7.0
No.151901年青森県東方沖地震M7.2
No.161901年青森県東方沖地震M7.4
No.171902年青森県東部地震M7.0
No.181905年芸予地震M7.25
No.191909年房総沖地震M7.5
No.201909年宮崎県西部地震M7.6
No.211911年喜界島地震M8.0
No.221914年桜島地震M7.1
No.231914年仙北地震M7.1
No.241915年十勝沖地震M7.0
No.251918年ウルップ沖地震M8.0
No.261921年龍ケ崎地震M7.0
No.271923年関東大震災M7.9
No.281924年丹沢地震M7.3
No.291925年但馬地震M6.8

江戸時代の項で記しました通り、江戸末期の1854年に南海トラフで安政東海地震が発生しているため、明治から大正にかけて同震源域では大きな地震が起きておりません。

次に来るのは昭和のことで、明治・大正期にかけて最も被害の大きくなったのは、1923年の関東大震災が断トツです。

まるで戦後直後のような焼け野原となった日本橋や神田界隈/wikipediaより引用

まるで戦後直後のような焼け野原となった日本橋や神田界隈/wikipediaより引用

上記の画像をご覧の通り、この地震と火災がいかに恐ろしいものであったか……。

死者は行方不明者を合わせて10万5千人。全壊家屋は10万9千軒で半壊は10万2千軒、焼失は20万2千軒を超えました。

神奈川県の熱海では津波も観測されており、その高さはなんと12mです。

半壊した浅草の凌雲閣・関東大震災/wikipediaより引用

建物の倒壊や火災によって東京の住宅の6割も消失し、人々は仮設住宅での生活や東京からの避難を余儀なくされました。

関東大震災後に避難列車へ飛び乗る人々/wikipediaより引用

今起きたらどうなってしまうのか……?

靖国神社に設置された仮設住宅・関東大震災/wikipediaより引用

とにかく自宅に非常食や簡易トイレなどを十分に準備しておくことでしょう。

 

内陸地震としては異例のM8クラス【濃尾地震】

明治・大正期は関東大震災のインパクトがあまりにも大きく、他の地震にスポットライトが当てられることはあまりありません。

ただ、【1905年芸予地震】や【1872浜田地震】、【1911年喜界島地震】でも死者は出ており、1896年には【三陸沖地震】も発生しております。

三陸沖地震は、東日本大震災と震源域を同じくする揺れであり、その規模はM8.2。死者は2万人を超えました。

被害者のほぼ全てが津波によるもので、このときは岩手県で18,158名、宮城県で3452名、青森県で343名、北海道で6名の方が亡くなっています。

また、この時代には、日本の内陸地震としては最大の『濃尾地震』が起きております。

岐阜県西部を震源としたM8.0の地震で建物の全壊が約14万戸(半壊が約8万戸)、死者が約7200人、1万箇所以上での山崩れも起きるなど、凄まじい揺れを起こしております。

20130817earthph1-14

岐阜県HPより/岐阜市歴史博物館蔵 岐阜県図書館蔵(→link

このときは岐阜県を中心に北北西―南南東方向に総延長約76kmの断層が出現したとのことです。ハンパじゃない……。

では、最後に昭和~令和までを見て〆とさせていただきます。

 

昭和・平成・令和の大地震

昭和と平成で地震をまとめるなら、当然ながらポイントは2011年3月11日の東日本大震災となるでしょう。

揺れそのものは「東北地方太平洋沖地震」と呼ばれますね。

しかし、軽視してならないのは、1933年に起きたM8.1の『三陸沖地震』です。

揺れでの被害は少なかったものの、大きな津波が太平洋岸を襲い、死者・行方不明者は3064人。綾里湾りょうりわん(岩手県大船渡市)では約28メートルの高さに達したといいます。

同地域では、東日本大震災のときにも30メートル規模の津波がやってきたといいますから、その恐ろしさもご理解できるでしょう。

東北の三陸沖は千年に一度ではなく、江戸時代や昭和の始めにも大規模な揺れを生じていたのです。

昭和・平成・令和 114回

M6.1以上の地震 93回

M8.0-9.0クラスの超巨大地震 8回

M6.0(M5.0-6.0含む)の地震 14回

規模不明の大地震 0回

総数 114回(86年間)

1年あたりの地震回数 1.32回

超巨大地震の回数の割に印象が薄いのは、北海道沖などの地震が多く、被害が少なかったためでしょう。

同地域からロシアのカムチャッカ半島にかけては、現代においてもたびたび大きな地震が発生しておりますが、ときに北海道東方などに被害をもたらすため警戒されております。

また、東日本大震災と同様、われわれ現代人が決して忘れられないのが、阪神淡路大震災ですね。

内陸の横ずれ断層型地震のため、津波ではなく揺れによる被害が大きく、建物や高速道路が倒壊した姿は今でも脳裏に焼き付いております。

2013年4月13日にも、淡路島ではM6.3の地震がありました。

明治・大正時代を過ぎてから「1年あたりの地震回数」が年1回を超えてきました。

長い地球の歴史から見れば、たかだか100年ちょいの統計など意味をなさないかもしれませんが、少なくとも古代から中世、近世、近現代と増加傾向にあるのは、地震が少なかったからではなく、記録漏れという推察でほぼ間違いないでしょう。

 

昭和平成にM7クラスの地震は何度発生した?

1925年から2024年までに日本で発生したM7クラス(M6後半含む)の地震は全部で54回です。

おおよそ1.8年に1度の割合で起きている計算。

平成に入ってからは13回ですので、そのペースはほぼ変わっておりません。

2024年の元旦に石川県で起きた能登半島地震については、今なお復旧が進まず、多くの方が苦しんでおられますね。

むろん、全ての揺れが甚大な被害を伴うものではないですが、1995年阪神淡路大震災のようにマグニチュードの規模は超巨大でなくても、震源の浅い内陸型地震はとてつもない悲劇となるおそれがございます。

全54回分の概要をざっと確認して参りましょう。

 

昭和平成のM7クラス地震年表

1◆1927年 北丹後地震 M7.3
死者2,925名 家屋全壊12,584軒
関西地方

2◆1930年 北伊豆地震 M7.3
死者272名 家屋全壊2,165軒
関東南部

3◆1931年 西埼玉地震 M7.3
死者16名 家屋全壊207軒
関東南部

4◆1933年 三陸沖地震 M8.1
死者・行方不明者3,064名
家屋流失4,034軒 家屋倒壊1,817軒 浸水4,018軒
津波の高さは、綾里湾で28.7mに達する。
東北

5◆1936年 宮城県沖地震 M7.4
小津波の発生
九州

6◆1938年 茨城県沖地震 M7.0
福島県で家屋被害250軒 小津波の発生
関東北部

7◆1938年 東シナ海 M7.2
平良港が津波により桟橋流出
沖縄

8◆1938年 福島県沖地震 M7.5→M7.3→M7.4
11月5-6日に発生し、M7クラスの地震が年末まで続く
東北

9◆1940年 積丹半島沖地震 M7.5
利尻で津波3m
北海道

10◆1941年 日向灘地震 M7.2
死者2名 家屋全壊27軒
九州

11◆1943年 鳥取地震 M7.2
死者1,083名 家屋全壊7,485軒 家屋半壊6,158軒
この後、1945年の敗戦前後にかけて4年連続1,000名超の死者となる四大地震の始まり。
中国

12◆1944年 東南海地震(紀伊半島沖)M7.9
東海地方で死者・行方不明者1,223名
全壊家屋17,599軒 半壊家屋36,520軒 家屋流失3,129軒
津波が各地に襲来し、熊野灘で6-8m、遠州灘で1-2m
南海トラフ

13◆1945年 三河地震 M6.8
死者2,306名 家屋全壊7,221軒 家屋半壊16,555軒 非住家全壊9,187軒
戦時中につき報道も控えられ、記録が少ないが、規模の割りに被害大。
特に東海地方は軍需工場も多く、戦時中のため国民にはほとんど知らされなかった。
東海

14◆1946年 南海地震(紀伊半島沖)M8.0
中部・西日本を中心に死者1,330名
家屋全壊11,591軒 家屋半壊23,487軒 家屋流失1,451軒
津波は高知・三重・徳島で4-6mに達する。
高知県では15平方キロメートルの田園が海面下に沈没。
南海トラフ

1944年の東南海地震と合わせて、間隔を置いて連動した南海トラフ巨大地震との見方も。

南海トラフ地震震源域

15◆1945年 青森県東方沖地震 M7.1  死者2名
東北

16◆1947年 与那国島近海地震 M7.4  死者1名
沖縄

17◆1948年 福井地震 M7.1
死者3,769名 家屋全壊36,184軒 家屋半壊11,816軒 家屋焼失3,851軒
南北に全長25kmの断層が発生
この地震により北陸地方で展開する大和百貨店の福井店が全壊となった
北陸

福井地震450

18◆1952年 十勝沖地震 M8.2
死者28名 津波発生
北海道

19◆1953年 房総沖地震 M7.4
銚子付近で津波2-3m
関東南部

20◆1958年 択捉島付近地震
M8.1
北海道

21◆1961年 日向灘沖地震 M7.0
九州

22◆1961年 釧路沖地震 M7.2
北海道

23◆1961年 北美濃地震 M7.0
死者8名
東海

24◆1962年 十勝沖地震 M7.1
北海道

25◆1963年 択捉島付近地震 M8.1
北海道

26◆1964年 新潟地震 M7.5
死者26名 家屋全壊1,960軒 家屋半壊6,640軒 家屋浸水15,297軒
新潟市内の各所で【液状化現象】による噴砂水。
長周期地震動(長い周期でゆっくりと揺れる)による影響石油タンクで火災が発生
信越

液状化現象により、県営川岸町アパートはドミノ倒しのように建物が倒れ

新潟地震液状化

同年5月に竣工したばかりの昭和大橋は約1カ月後に液状化現象によって脆くも崩れた

新潟地震長周期地震動による鉄橋崩壊

27◆1968年 日向灘沖地震 M7.5
死者1名
九州

28◆1968年 十勝沖地震 M7.9
死者52名 負傷者330名 家屋全壊673軒 家屋半壊3,004軒
三陸沿岸で3-5mの津波
北海道

29◆1972年 八丈島東方沖地震 M7.2
伊豆諸島

30◆1973年 根室半島南東沖地震 M7.4
北海道

31◆1974年 伊豆半島沖地震 M6.9
死者30名 負傷者102名 家屋全壊134軒 家屋半壊240軒
東海

32◆1978年 伊豆大島近海地震 M7.0
死者25名 負傷者211名 家屋全壊96軒 家屋半壊616軒
道路損壊1,141カ所 がけ崩れ191カ所
東海

33◆1978年 宮城県沖地震 M7.4
死者28名 負傷者1,325名 家屋全壊1,183軒 家屋半壊5,574軒
道路損壊888カ所 山崖崩れ529カ所
ブロック塀などによる圧死が目立ち被害者18名
九州

34◆1983年 日本海中部地震 M7.7
秋田を中心に死者104名 負傷者163名
家屋全壊934軒 家屋半壊2,115軒 家屋流失52軒 一部損壊3,258軒
場所によっては、津波警報前に津波到達
東北

35◆1993年 釧路沖地震 M7.5
死者2名 負傷者967名
北海道

36◆1993年 北海道南西沖地震 M7.8
奥尻島で青苗地区が火災で全滅するなど、甚大な被害が発生
死者202名 行方不明者28名 負傷者323名
北海道

37◆1994年 北海道東方沖地震 M8.2
負傷者437名 家屋全壊61 家屋半壊348軒
北海道

38◆1994年 三陸はるか沖地震 M7.6
青森県八戸市を中心に被害
死者3名 負傷者788名 家屋全壊72軒 家屋半壊348軒
東北

三陸はるか沖地震

三陸はるか沖地震により、八戸市内のパチンコ屋は1階部分が崩れ落ちる

39◆1995年 阪神淡路大震災 M7.3

活断層による直下型地震で神戸などで被害甚大
死者6,434名 負傷者43,792名
家屋全壊104,906軒 家屋半壊144,274軒 全半焼7,132軒
関西地方

阪神淡路大震災

40◆2000年 鳥取県西部地震 M7.3
負傷者182名 家屋全壊435軒 家屋半壊3,101軒
中国

41◆2003年 宮城県沖地震 M7.1
負傷者174名
東北

42◆2003年 十勝沖地震 M8.0
死者1名 行方不明者1名 負傷者849名
家屋全壊116軒 家屋半壊368軒
北海道・本州の太平洋沿岸に4mの津波発生

43◆2004年 新潟県中越地震 M6.8
逆断層型地震により被害大きく死者68名 負傷者4,805名
家屋全壊3,175軒 家屋半壊13,810軒
信越

新潟県中越地震で上越新幹線が脱線

新潟県中越地震

44◆2005年 福岡西方沖地震 M7.0
死者1名 負傷者1,204名 家屋全壊144軒 家屋半壊353軒
九州

45◆2005年 宮城県沖地震 M7.2
東北

46◆2007年 能登半島地震 M6.9
死者1名 負傷者356名 家屋全壊686軒 家屋半壊1,740軒
北陸

47◆2007年 新潟県中越沖地震 M6.8
原発で初めて被災
死者15名 負傷者2,346名 家屋全壊1,331軒 家屋半壊5,709軒
信越

48◆2008年 岩手宮城内陸地震 M7.2
山間地での逆断層型地震
死者17名 行方不明者6名 負傷者426名
家屋全壊30軒 家屋半壊146軒 地すべりなど多発
東北

この揺れで祭畤大橋が崩壊した

岩手宮城内陸地震

49◆2011年 東日本大震災 M9.0
死者16,278 行方不明者2,994名※理科年表
(警察庁発表では死者15,884名 行方不明者2,633名)
負傷者6,179名 家屋全壊129,198軒 家屋半壊254,238軒
死者の90%以上が津波による水死
津波の高さは最大で40mとも
869年貞観地震と1896年三陸沖地震クラスとの見方あり
東北

50◆2011年 宮城県沖地震 M7.1
東北

51◆2011年 福島県浜通り地震 M7.0
東北

52◆2016年 熊本地震 M7.3
九州
4月14日の震度7(M6.5)の2日後の16日に本震(M7.3)震度7が起き、熊本城の石垣や建物が大崩壊する惨事となった。

53◆2021年 福島県・宮城県沖地震M7.1

54◆2024年 能登半島地震M7.6

第六章では全データを統合して総論とさせていただきたいと思います。

 

総論

それでは数字をまとめてみましょう。

M6.1以上の揺れは何度ありましたか?

古墳~平安 M6.1以上……28回
鎌倉~室町 M6.1以上……20回
江戸    M6.1以上……109回
明治~大正 M6.1以上……47回
昭和~令和 M6.1以上……101回
合計 305回(416~2024年)

本当に恐ろしいのは超巨大地震です

古墳~平安 M8.0以上……4回
鎌倉~室町 M8.0以上……2回
江戸    M8.0以上……6回
明治~大正 M8.0以上……4回
昭和~平成 M8.0以上……8回
合計 22回(416~2024年)

最後に総数を見てみましょう

古墳~平安 総数……38回(775年間で)
鎌倉~室町 総数……33回(407年間で)
江戸    総数……184回(264年間で)
明治~大正 総数……59回(58年間で)
昭和~令和 総数……114回(96年間で)
合計 428回(416~2024年)

あくまで推測の話ですが、古代や中世、近世日本には、地震の測定技術や記録がなかっただけで、本当は1500年間でM6.0以上の地震だと1500回以上発生していたのではないでしょうか?

観測技術が発達した明治以降は、年に1回以上の大地震を記録しております。

古き日本は京都があくまで記録の中心で、地方まではカバーしきれておりません。取りこぼしの方が多かった、あるいは記録そのものが消滅してしまったという可能性が非常に高いです。

幸か不幸か我々には他国には想像もできない地震への耐性があります。

今後、何が起きても対応できるように、日頃から防災・減災についての意識だけは持っておきたいと思います。


参考文献

理科年表
気象庁
内閣府

TOPページへ


 



リンクフリー 本サイトはリンク報告不要で大歓迎です。
記事やイラストの無断転載は固くお断りいたします。
引用・転載をご希望の際は お問い合わせ よりご一報ください。
  • この記事を書いた人
  • 最新記事

BUSHOO!JAPAN(五十嵐利休)

武将ジャパン編集長・管理人。 1998年に大学卒業後、都内出版社に入社し、書籍・雑誌編集者として20年以上活動。歴史関連書籍からビジネス書まで幅広いジャンルの編集経験を持つ。 2013年、新聞記者の友人とともに歴史系ウェブメディア「武将ジャパン」を立ち上げ、以来、累計4,000本以上の全記事の編集・監修を担当。月間最高960万PVを記録するなど、日本史メディアとして長期的な実績を築いてきた。 ◆2019年10月15日放送のTBS『クイズ!オンリー1 戦国武将』に出演(※優勝はれきしクン) ◆国立国会図書館データ https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/001159873

-明治・大正・昭和
-

目次