天平二十一年(749年)2月2日、高僧の一人・行基が亡くなりました。
あっちこっちに逸話のある人なので、どこかで聞き覚えのある方も多いのではないでしょうか。
お好きな項目に飛べる目次
お好きな項目に飛べる目次
民を扇動して良からぬことを企んでますよ
実はお師匠様からしてただ者ではありません。
あの玄奘三蔵法師の直弟子・道昭(どうしょう)だったりします。つまり行基は”三蔵法師”の孫弟子とでも呼べるわけです。
そのためか、発想もどこか似ている節があります。
三蔵法師の西域(インド)への旅は当時の政府に無許可で行ったものでしたが、行基もまた、当時の日本では禁じられていた「民衆への布教」を行っているのです。度胸あるな。
しかも誰かが「あの生臭坊主、民を扇動して良からぬことを企んでますよ!」というようなことをお上に吹き込んだ輩がいたらしく、行基は当局にしょっぴかれてしまいました。
取調べの結果は……。
「ただのいい人じゃん。誰だよアヤシイとか言ったの(´・ω・`)」となり、行基はお咎めなしで、再び仏の道を歩みました。
そしてこの後一つ大きな仕事を任されます。
東大寺の建立です。
東大寺の勧進を任され聖武天皇に接見も
東大寺の建立といっても、さすがに行基が設計するのではありません。
寺社の建築などのために説法したり寄付を募る「勧進」を任されたのです。
しかもなんと、聖武天皇自ら行基と語らう場を作ってのことだったそうで。
確かに聖武天皇って、歴代の中でも信心深いイメージがありますよね。
ただ、有徳の僧とはいえ、一介の聖職者に対してここまでするケースは中々珍しくありませんか?
「既に民衆から人気のあった行基を利用した」という指摘もあるようですが、それにしたってテキトーな人には任せないでしょうから、それなりに信頼はあったのでしょう。
※続きは【次のページへ】をclick!