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【行基】
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東大寺の功績が認められ日本初「大僧正」の地位に
奇妙な縁によって東大寺と関わり始めた行基。
実際は、行基の勧進のおかげで東大寺が建ったといっても過言ではありません。
なぜならその功績が称えられ、日本初の「大僧正」という位が贈られているのです。
仏教で一番エライ人のことですね。
かつて良からぬヤツと思われた行基を特別扱いせざるをえないほど、勧進の効果がデカかったということになります。
しかしその時点で既に高齢だったため、行基は大仏の落成を見ることなく世を去りました。
享年81と言われていますから、当時としては驚異的な長寿でしょう。
僧侶ですから贅沢な食事をしたわけでもないでしょうし、ならばなぜそんなに長く生きられたのか?ちょっと不思議になりませんか。
裏付けになりそうなのが、行基の健脚振りです。
宮城県の温泉までも「行基が見つけました!」
さすがに松尾芭蕉ほどではありませんが、行基も主に近畿地方をくまなく歩き回っていたといわれています。
そのためあっちこっちに「このお寺は行基が作りました」とか「この橋は行基が工事の指揮を取って作られました」とか「この港は行基が(ry」なんて話があるのです。万能すぎる。
また彼は、温泉の開祖としても有名です。
兵庫県の有馬温泉にお寺を作ったといわれている他、全国各地に「行基が見つけました!」とされる温泉があるのです(複数ある発見者候補の一人とされていることが多いです)。
ただし、近畿周辺はともかく、作並温泉(※宮城県)はちょっとどうなんでしょうか……。まぁ、作並温泉はいいところですけどね。
これまた例によって裏側を想像するとすれば、おそらく行基の説法か何かを聞いた人、あるいはその子孫が温泉のある場所に移り住み、いつの間にか話が結びついたとかそんな感じでしょうね。
湯治客が来れば周辺が潤いますから、宣伝目的もあったでしょう。
とはいえ、お金が巡るということは幸せになれる人も多くなるということですから、ある意味仏の道に適うことなのかもしれませんねえ。めでたしめでた……し?
長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
行基/Wikipedia