日本中世史のトップランナー(兼AKB48研究者?)として知られる本郷和人・東大史料編纂所教授が、当人より歴史に詳しい(?)という歴女のツッコミ姫との掛け合いで繰り広げる歴史キュレーション(まとめ)。
今週のメインテーマは、沼津市の高尾山古墳について。伝承通り「熊野神社と高尾山穂見神社の下に」埋まっていた、ロマン溢れる同古墳の行く末は……?
【登場人物】
本郷和人 歴史好きなAKB48評論家(らしい)
イラスト・富永商太
ツッコミ姫 大学教授なみの歴史知識を持つ歴女。中の人は中世史研究者との噂も
イラスト・くらたにゆきこ
姫「今更な感じもするけれど、あなた、中世史の研究者よね」
本郷「そうだよ。中世といってもね、鎌倉時代の朝廷の研究で博士号を取ったんだね」
姫「よくネットなんかでは、あいつは鎌倉時代が専攻のはずなのに、戦国時代のことをあれこれいっている。とんでもないやつだ!って怒られてるじゃない」
本郷「あはは。そうだね。だけど考えて欲しいんだけど、鎌倉時代であれば、武士や幕府を研究するから貴族や朝廷のことがよく分かるわけでしょう。同じように、室町時代を勉強するからこそ、鎌倉時代のことが理解できる。幅広い研究活動を頭から否定するのは、もうそれだけで、私は研究のなんたるかが分かっておりませんって告白しているみたいなもんだと思うんだがなあ」
姫「はるほどね。まあ、盗人にも三分の理って言うしね」
本郷「え? なんか言った?」
姫「いえいえ。独り言よ、独り言。でもね、あなた中世史の縁辺である戦国時代やさらには江戸時代には言及するのに、何で時代を遡って古代史のことを触ろうとしないの?」
本郷「ああ、それ。答えは至ってシンプルでね、好きじゃないんだ」
姫「え? なんで?」
本郷「ぼくがいた頃の東大の日本史研究室ではね、古代史の先輩たちはともかくえばってたんだ。その雰囲気がイヤでさ。あんまり近寄りたくなかった。まあ、それは余計な話だけれど、本質的に古代史は人間のニオイがあんまりしないように思えてね。資料が少ないじゃないですか。だから生きてる人間の感覚とか感情とかに踏み込めない気がするんだ。それで苦手なのかなあ」
姫「あら、そうなのね。古代史のロマンとかが分からないんだ。即物的でかわいそうな人ね-。今回は、そんな古代史のお話ばっかりなのよー。ほほほほほ」
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◆縄文土器にゴキブリ卵 宮崎の遺跡で圧痕発見 毎日新聞 2月11日
本郷「人の弱点をあげつらうあなたには、この話題だ!」
姫「えええ。Gなのお! いやあ! ・・・・ふう。まあいいわ。本野原遺跡を説明して」
本郷「うん。この遺跡は国の史跡でね。宮崎県中央の田野町南部、標高約180mの台地上にある。平成12年度から田野町教育委員会が発掘調査を行ったんだけど、そしたら旧石器時代から縄文時代にかけての複合遺跡であることが判明したんだ。なかでも縄文時代後期に、大規模な集落を形成していたことが明らかとなった。こうした例は九州では類例が少ない、きわめて貴重なものだったんだ」
姫「ふーん。それで、遺跡の保存がはかられたわけね」
本郷「そういうこと。このため田野町教育委員会では遺跡の保存を図るとともに、集落の範囲及び内容を確認するための発掘調査を行った。集落は、広場と考えられる空き地を中心に、掘立柱建物、竪穴住居が径100mほどの環状に配置される構造だった。広場は祭祀空間だと考えられているんだ。環状の北側には掘立柱建物が整然と南北方向に並んでいる。南東部の斜面からは大量の土器が出土していることから、ごみの捨て場が形成されていたんだろう。出土遺物は土器が多く、石器では磨り石や石皿などの食料加工具の比率が高いんだ。それから土製円盤も多く出土しているらしいよ」
姫「それで、そうした土器の中から、Gの卵が」
本郷「うん。縄文時代の遺跡からゴキブリの痕跡が見つかったのは初めで、日本のゴキブリの起源を知る一助になるって」
姫「いやああ。そんなの、知りたくなああい!」
◆高尾山古墳は物部氏の墓? 原・静大名誉教授が仮説 中日新聞 2月13日
◆作家・磯田道史さん、沼津の歴史を語る 360人が聴き入る /静岡 毎日新聞 2月13日
姫「あら?磯田先生は日本近世史の研究者でしょ? 作家ってへんじゃない?」
本郷「いやいや。まあ、作家としても活躍されているっていうことで。でも、今回の磯田さんの活躍は、もっともっと賞賛されるべきだろうね」
姫「そもそも、高尾山古墳、ってなんなの?」
本郷「静岡県沼津市東熊堂(ひがしくまんどう)にある前方後方墳でね、古墳時代最初期の西暦230年頃、つまり邪馬台国の時期の築造と推定され、築造当時の東日本では最大級の古墳なんだ。問題は、そんなすごいものが、史跡指定もされていないところでね」
姫「それはなぜなの?」
本郷「発見が最近のことだからなんだ。古墳の東側には熊野神社と高尾山穂見神社が鎮座していらっしゃるんだけれども、近年に発掘調査が始まるまではこれら2社は古墳の上にあった。地名の「東熊堂」もその熊野神社(元は熊野堂)に由来しているんだよ。それで、古くからこれらの神社の下の小山は古墳であると伝えられていた」
姫「すごいわねー。ロマンじゃない。伝説は真実だったわけね」
本郷「最近、沼津市が都市計画道路を建設することを決め、神社境内が建設予定地となった。熊野神社・高尾山穂見神社は小山東側に遷座された。それでその際に、伝承どおり、小山から古墳の遺構が見つかったんだよ。2008年(平成20年)から発掘調査が実施されて小山が古墳であることが正式に確認された。沼津市では「辻畑古墳」の名称で1979年(昭和54年)に遺跡登録はしていたんだけれど、2011年に正式名称を「高尾山古墳」に改めたんだね」
姫「それで、肝腎の古墳の規模とか年代とか特徴はどうなの?」
本郷「古墳は前方後円墳で、本体の大きさ(墳長)は62メートル。前方部、後方部ともに31メートルで、他の前方後方墳と比べ前方部がよく発達しているのが特徴なんだって。古墳時代最初期のものとしては東日本で最大級。全国でも大規模な部類になるんだ。墳丘周囲には周濠が巡らされており、その幅は最も広い部分で約9メートルにもなる。埋葬施設は後方部のほぼ中央に位置し、木棺が直葬されていた。この木棺は調査時には木片を残すのみだったんだけれど、元は舟形木棺であったと見られ、長さ約5メートルで最大幅約1、3メートル。棺内部からは大量の水銀朱や銅鏡(破砕鏡)1面のほか、鉄槍・鉄鏃といった被葬者の武威を表す副葬品が出土している」
姫「それで、誰が葬られているの?」
本郷「いわゆるスルガ(珠流河もしくは駿河)地域の王、とされている。『魏志』倭人伝において卑弥呼と戦ったと記される狗奴国(くなこく)王の卑弥弓呼(ひみここ)に比定する向きもある。それで、今回は静岡大学の名誉教授である原先生が物部氏じゃないか、との説を出されたんだ」
姫「原先生っていうと、大化の改新はなかったという説で有名な方ね」
本郷「そう。たまに史料編纂所にも来られるけれど、声のやたらでっかいおじいさんでね。あ、また来てるな、ってすぐに分かる(苦笑)」
姫「それで、その大事な古墳が取り壊されそうだったの?」
本郷「そうみたいだね。道路を造るために調査という名目で盛り土部分を全部削り取ってしまうつもりだったらしい。それはやめてくれ、と地元の方々の署名が相次いだのだけれど、去年の6月の段階では道路工事予算は沼津市議会で成立してしまった。その時点では市は古墳を破壊する気満々だったわけだ。それがここに来て道路を迂回させる案が出てきて、何とか古墳は保存されることになりそうなんだ」
姫「その道路の迂回案っていうの見たけれど、なにがそんなにたいへんなの? 工夫も何もないじゃない。これだけの古墳を保存するための努力としては、市がしなくてはならなかったことって、そうたいしたことじゃあないような気がして仕方がないわ」
本郷「いやまあ同感だけれどね。いろんな利害が錯綜していたんじゃないのかな。大人の世界は、そう簡単には事が運ばないんだよ、きっと。正義が勝つわけでもないだろうし」
姫「でも、とりあえずは古墳は破壊を免れたのよね。市の態度の変化はどうして?」
本郷「先ずは地元の皆さんの地道なご努力でしょう、まちがいなく。だけど、行政というのは、往々にしてそう言う声を黙殺することもある。それで、ぼくは妙なことを聞いた」
姫「どのあたりで?ウラの取れる話なの?」
本郷「ネタ元は某有名週刊誌の記者さん。だからあくまでウワサ話だよ。でもありそうな話なんだ。それはねえ、6月10日に磯田さんが読売新聞に「高尾山古墳を守れ」っていう記事を書いたのを国土交通省の高官が読んだ、っていうことなんだ。その高官は磯田さんの主張をもっともなことだと納得し、道路工事の再考を提案した。すると考古学協会の保存声明とかは全く無視していた市がコロッと態度を変えた、というんだね」
姫「へー。でもありそうな話ねえ。中央に弱いのよねえ、地方自治体って」
本郷「でしょ。でも、何度も言うけれど、地元の皆さんの熱意がまず大事なんだ。磯田さんだけが立派だったわけじゃない。でも、この話にほんの少しでも真実があるなら、磯田さんはすばらしいことをしたよねえ。立派だと思う」
姫「本当ねえ。磯田さんの業績は業績として、みんなの文化財はみんなで守っていきたいわねえ」
【TOP画像】Photo by (c)Tomo.Yun