人間、同じ感情を保ち続けることは、それだけでエネルギーを消費するものです。
わかりやすい例は恋愛でしょうか。
誰もが羨むようなドラマの末に結婚した夫婦が、数年で冷えきって破局を迎える――なんて話はよくありますよね。
しかしこれが、怒りなど負の感情となると話は別。
時間が経てば経つほど膨れ上がって、どうにもならないほど肥大するケースもあります。
1187年(日本では平安時代・文治三年)7月4日は、”ヒッティーンの戦い”がありました。
イスラム教徒vsキリスト教徒の戦闘で第一回~第三回の十字軍と深く関係しております。
順を追って見てまいりましょう。
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繰り返されてきたイスラム教徒とキリスト教徒の戦い
十字軍とヒッティーンの戦いを時系列順に並べるとこんな感じになります。
【エルサレムを巡る争い11~12世紀編】
1096~1099年 第一回十字軍
↓
1147~1148年 第二回十字軍
↓
1187年 ヒッティーンの戦い←今日ここ
↓
1189~1192年 第三回十字軍
何となく流れがわかったところで、一つずつ経緯を見ていきましょう。
第一回十字軍と十字軍全体のことは以下の記事にありますので、併せてお読みいただけると、よりわかりやすいかもしれません。
第一回十字軍は、東ローマ帝国がイスラムに負け、ローマ教皇に助けを求めたことで起こされました。
フランス・ドイツ・南イタリアあたりにあった国が連合軍を組み、エルサレムを攻め取ることに成功しています。
しかし、余計な虐殺をしたがために、イスラム教徒の恨みを買いすぎました。
それが後の展開をほぼ確定したといっても過言ではありません。
エデッサ伯国が滅亡し、第二次十字軍の実施
第一回十字軍の後、キリスト教徒たちはエルサレム王国などの小さな国を幾つか作りました。
歴史用語としては「十字軍国家」といいます。
しかし、十字軍でやってきていた多くの兵が「エルサレムを取り返したぞ! はい解散!!」(超訳)と帰国してしまったため、ローマ教皇によって騎士修道会が作られ、兵数を補うことになりました。
聖ヨハネ騎士団やテンプル騎士団などがこの時期に発足しています。
騎士修道会は巡礼者のための病院や宿泊所から始まり、そのうち巡礼者の護衛をするようになり、軍事力を強めていきました。
テンプル騎士団が迎えた酷すぎる最期 フィリップ4世の権力強欲に殺されて
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一方、イスラム教徒たちもいつまでもは黙ってはいませんでした。
十字軍国家で最もヨーロッパに近かったエデッサ伯国(現・トルコ南東部)がイスラム教徒との戦いで滅亡し、第二次十字軍が行われます。
ちなみにこのとき、第一回十字軍の報復といわんばかりに、ヨーロッパ系の住民は悲惨な目に遭いました。
この辺から「やった・やられた」の繰り返しになっていきます。
日本でいえば、源平時代の恨みつらみが現在まで続いているような感じでしょうか。
大陸国、かつ宗教が絡むとそう簡単に関係改善はできないという代表例ですが……その一言で片付けるには、あまりにも凄惨な事実です。
こうして、エデッサ伯国滅亡の復讐として、第二回十字軍が起こされます。
互いに虐殺&処刑を行い、イエスの十字架も奪い合う
第二回十字軍は、フランスやドイツ周辺の王侯貴族から庶民まで参加するという、かなり大規模な軍になりました。
しかしそれだけに、統率を取るのも一苦労。
十字軍本来の目的であるエルサレム(王国)はこの時点ではキリスト教徒のものだったことや、エデッサ伯国が既に滅んでしまっていることなどから、攻撃目標がはっきりせず、グダグダのうちに第二回十字軍は終わっています。
十字軍というと第四回の蛮行ぶりが有名ですが、第二回もなかなかのひどさです。
そして第二回十字軍の後、今度こそ決着をつけるべくイスラム国家アイユーブ朝がジハードを宣言し、エルサレム王国へ攻め込みました。
地の利や気候への慣れで優位に立つアイユーブ朝軍に対し、後手後手に回るエルサレム王国軍。
中東近辺の7月ですから、気候の厳しさは「そりゃそうだ」って感じですよね。
エルサレム王国軍は、乾きに耐え切れずヒッティーンの丘にある泉へ向かいました。
そこをアイユーブ朝軍に待ち伏せされ、ものの見事に負けてしまいます。
この時点で三回以上戦っているわけですから、アイユーブ朝軍もそれなりに頭に来ています。
エルサレムを取り返しただけで腹の虫が収まるわけもありません。
そして、ムスリムの商人や巡礼者(要するに一般人)、アイユーブ朝のお偉いさんの姉妹を虐殺した人物を処刑し、復讐を果たします。
また、アイユーブ朝軍はキリスト教徒から、イエス=キリストの磔刑に使われた十字架を奪ったといわれています。
そもそもイエス=キリスト処刑の地自体がかなり早い時代にわからなくなってしまっているので、聖十字架も本物かどうか疑わしいのですけれども。
似たような戦いが現在まで繰り返し続いている!?
その代わりに……とってよいのかビミョーですが、エルサレム王国軍の一般兵は3000人ほど逃げることができ、捕虜になった者も身代金を払えた人は解放されます。
逃げっぷりは見事なもので、ヒッティーンの戦い後、エルサレム王国を含めた十字軍国家は、アイユーブ朝軍によってほとんど壊滅させられました。
これに対するエルサレム再奪回計画が、第三回十字軍です。
こういった経緯で、似たような戦いが現在まで繰り返し続いているかと思うと、イエス=キリストかムハンマドのどちらかだけでも、全く別の場所で活動してくれ……と望まずにはいられません。
もう、ドチラの神様でも構いませんので、御自ら止めてくれはしませんかね……。
莫大な石油利権まで絡んでちゃ無理な話です?
長月 七紀・記
【参考】
『50のドラマで知るヨーロッパの歴史―戦争と和解、そして統合へ』(→amazon link)
ヒッティーンの戦い/wikipedia