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【会津恵日寺焼き討ち事件】
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政宗はトラウマ
政宗の擁護も少しだけしておきましょう。
戦国時代、寺とはただの信仰の場所でもありません。
僧兵もおりますし、食料や物資を備蓄できます。
焼き払う側には理由があって、要は【軍事拠点】と見なせたのですね。
恵日寺(えにちじ)近辺には、蘆名家臣を弔う碑や、蘆名家臣・金上盛備(かながみもりはる)の墓等が残されております。
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そこには戦国の息吹が残されています。
もちろん焼かれた寺社や周辺の住民からすれば知ったことではない。
地域のシンボル・恵日寺炎上。
やったのはアイツか……というわけで、会津地方での政宗はトラウマとして残されております。
ところによっては
『さんさ時雨』を歌ってはならぬ!
とさえ伝わっているとか。
なぜならこの歌には、
と、はしゃいで作ったという説があるんですね。
複数の説があり真偽はハッキリとしませんが、ともかく会津ではNGなのです。
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怪僧・天海も蘆名に縁ある出自だった
最後に蛇足ですが……。
会津からは、伝説的な高僧がこの時代に輩出されております。
南光坊天海です。
「田舎から、そんな偉い僧侶が出てくるっておかしくない?」というバイアスでもあるのか。
南光坊天海の出自については、明智光秀説や足利将軍落胤説まであるほど。
当然ながらデタラメであり、天海の出自が蘆名家に関わりのあることだけはほぼ確定しております。
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恵日寺のことを考えれば、不思議でも何でもありません。
2019年現在、会津美里町が天海生誕の地とされております。
【参照】◆会津美里町観光ポータルサイト(→link)
蛇足ですが、天海がモデルのゆるキャラ「あいづじげん」もおりますよ。
【参照】◆ゆるキャラグランプリ公式サイト(→link)
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
林哲『芦名四代(歴史春秋社)』(→amazon)
林哲『会津芦名一族(地方・小出版流通センター)』(→amazon)
野口信一『会津ちょっといい歴史(歴史春秋出版)』(→amazon)
遠藤ゆり子『東北の中世史4 伊達史と戦国騒乱(吉川弘文館)』(→amazon)
高橋充『東北の中世史5 東北近世の胎動(吉川弘文館)』(→amazon)
遠藤ゆり子『戦国時代の南奥羽社会(吉川弘文館)』(→amazon)
他