真柄直隆

馬上で長い太刀を振り下ろそうとする真柄直隆(姉川合戦図屏風)/wikipediaより引用

信長公記 浅井・朝倉家

姉川で真柄直隆が本多忠勝と一騎打ち! 自慢の“太郎太刀”は長さ2m超だったが

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今度は徳川の匂坂三兄弟と死闘

周囲の様子から敗勢を悟った直隆は、忠勝との決着を諦め、自ら殿(しんがり)を買って出ました。

殿とは、撤退する軍の最後尾で支えること。

危険かつ手練でなければ難しいとされる戦いです。

その途中、直隆は、徳川家の匂坂(さきさか)三兄弟とも再度死闘を演じたといわれています。

怪力ももちろんですが、スタミナがすごいですね。

※『明智軍記』では「身長196cm・体重252kg」という記述(ただし書物そのものの信ぴょう性が低いです)

とはいえ、やはり直隆も人間。

しばらくした後に疲れ果て、「今はこれまで、我が首を手柄にせよ」と自ら太郎太刀を投げ捨てると、匂坂三兄弟に首を差し出したといいます。

これまた潔いといいますか。

実に戦国武将らしい価値観ですね。

『信長公記』では他にも真柄直元や遠藤直経など、討ち取った複数の武将名を挙げ、さらには織田・徳川軍全体で取った首は1,100にのぼったとか。

 


浅井の重臣・磯野員昌を攻略だ

勢いに乗った織田・徳川軍は小谷城まで5.5kmほどのところまで追撃しました。

しかし、小谷城そのものは一朝一夕には落とせない堅城のため、追撃をいったん中止。

近隣の横山城(長浜市)を攻略して、城番に木下藤吉郎(豊臣秀吉)を入れます。

そして7月1日。

今度は佐和山城(彦根市)に籠もっていた浅井方の武将・磯野員昌(いそのかずまさ)を攻めました。

磯野員昌
近江を代表する戦国武将・磯野員昌~織田家vs浅井家の行方を左右する勇将だった

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ここも容易には落ちませんでした。

しかし、鹿垣(ししがき・獣に対する垣・囲いのこと)を設置するなどして包囲を続けた結果、翌元亀二年(1571年)2月に降伏させます。

こちらは丹羽長秀が城番を務めることになっていますので、包囲中の責任者も彼だったのでしょう。

磯野員昌は、姉川の戦いで、信長本陣めがけて「姉川十一段崩し」という猛攻をしたといわれる勇将です。

何か?というと、信長本陣の前に構えていた十三段の備えのうち十一段まで崩した――というものですね。

織田軍にとっては、首の皮一枚で繋がっているような状態に感じられたでしょう。

このときは美濃三人衆が信長救援に動き、さらには「徳川軍が織田軍側に進んできている」という知らせが入り、浅井軍も撤退しております。

前述、本多忠勝真柄直隆の一騎打ちを止めさせた、タイミングですね。

徳川軍が側面攻撃に成功して、朝倉軍を後退させていたのです。

 


ルートを確保すると早速京都へ

しかし、この磯野員昌の「十一段崩し」は、江戸時代の書物が初出なので、やはり創作の可能性は否めません。

員昌自身の武勇を誇張するためか。

あるいは家康やその家臣団の優秀さを強調するためか。

いずれかの狙いが含まれていそうですが、全く根拠のないものから創作するのも難しいですし、員昌が勇猛であったことは事実と見ても良さそうです。

こうして、岐阜と京都を行き来するルートはほぼ万全になった織田軍。

7月6日に信長は、御馬廻衆だけを連れて上洛し、将軍・足利義昭に状況を報告しています。

その後、上方での政務を片付け、7月8日に岐阜へ帰還しました。

信長の処理速度はいつも半端ないですが、それについていく御馬廻衆もなかなかのフットワークですね。

大勝を収めたものの、浅井・朝倉両氏との戦いはまだまだ続きます。

それ以外の大敵も迫っておりました。


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信長公記

長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
太田 牛一・中川 太古『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon
日本史史料研究会編『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon
谷口克広『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon
谷口克広『信長と消えた家臣たち』(→amazon
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(→amazon
峰岸 純夫・片桐 昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon

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