我々のアタマでは到底理解できないことだけでなく、当時の人ですら「???」となる妙な現象がありました。
その一例が東北における血縁関係です。
「奥羽の大名って、さすがに親戚が多すぎないか?」
「しかもやたらと親戚同士で合戦をするんだよ……」
「わざわざ婚姻関係を結んでおいて、何がしたいんだ?」
豊臣政権において、実際に、伊達政宗や最上義光が突っ込まれた話ですが……特に南奥羽の伊達および最上領は、親戚のくせにやたらと戦ってばかり――そんな風に思われたのです。
むろん東北には東北なりの合戦作法がありました。
しかし、小田原征伐を終えて豊臣秀吉がやってくると、そう呑気なことも言ってられません。
いわゆる【奥州仕置】で勢力地図をならされるのですが……やがて江戸時代を迎えると、かつてのゴタゴタが週刊誌記事のゴシップネタのように取り扱われるようになったのです。
現代風に描くとこんな感じしょうか。
「伊達家、親子騒乱の陰に居直る父の存在か?」
「またも親子喧嘩! 伊達家に他大名も呆れ顔」
「伊達家、毒親の逃走か? それとも暴虐息子に耐え兼ねた母の悲劇か?」
なんで伊達家ばっかり?
そう思われるかもしれませんが……東北で血縁入り乱れる複雑な権力闘争になった理由は、おおよそ伊達家にたどり着くというのもあり、他にも政宗さんの存在自体が際立っているなど、とにかく話題に尽きないからでした。
本稿では、その実態を見て参りましょう。
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【とにかく親戚多い】それが伊達家だったから
ひとたび親子喧嘩が起きれば南奥羽全体に戦火が飛び火する――そんな状況になったのも、実は単純な話であります。
伊達家が子沢山だったのです。
子どもたちを近隣諸国へ送り込み、次から次へと姻戚関係を結んだ。
戦国大名にとって婚姻政策は、非常に重要な交渉手段でしたが、それにしても伊達家の多産と安産は圧倒的でした。
当時の医学を考えると奇跡のような現象が、数代にわたって続くのですから、これはもう幸運としか言いようがありません。
例えばヨーロッパでは、ハプスブルク家やヴィクトリア女王の血筋でもあったことです。
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実は伊達家の家紋も一つではなく複数あります。
伊達政宗あたりがゴネて強奪したわけでもなく、姻戚関係の証拠でもあったんですね。
【花嫁強奪】伊達家、美女に弱すぎないか問題
政宗の祖母である久保姫、別名・笑窪御前には美女伝説があります。
「岩城重隆の娘って、笑窪がかわいい美少女らしい! 奥州一なんだぜ!」
そんな噂話を聞いた伊達晴宗が、婚礼行列に乱入して奪ったというものです。
後に二人は六男五女に恵まれたため、ヤンチャないい話に扱われたりすることもあるのですが……いやいや、おかしいでしょ。
突っ込みどころ多すぎませんか? 晴宗、変質者かよ!
運良く久保姫が多産安産体質だっただけ。下手すりゃ誘拐された挙句、初産で亡くなってもおかしくありません。
いったい伊達家は何なのか。
そう突っ込みどころがありすぎる話だと思えるのですが、実際のところは「江戸時代の作家が加筆した結果」でしょう。
こういう伝説は、話半分でよい。いくら奥州一の美女だろうと、そのへんの百姓娘ならばこういう話にはなりません。
要は、周辺地域とのゴタゴタがあり「政治的動機で花嫁を強奪した」なんてド直球で書くとドス黒さが満ちてきますので、そこは美女強奪にしてボヤかしたかったんだろうな……と思えるのです。
にしても伊達家は政宗だけじゃないことがよくわかるエピソードですよね。
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