伊達秀宗

伊達政宗(左)と伊達忠宗/wikipediaより引用

伊達家

政宗長男・伊達秀宗の切なくてイイ話~もう一つの伊達家が四国に誕生した理由

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カリスマ父から離れて自由になったのにウザイお目付け役が

普通こういう時って後継者問題から発展することが多いんですが、このときは【家臣vs家臣】の対立で、主君の家に火がつくという誰得な展開でした。

なんと、父親が付けたお目付け役の重臣が殺されてしまったのです。

しかも大名になったばかりの秀宗。

【報告・連絡・相談】のいわゆる【ほうれんそう】があまりよくわかっていなかったのか無視したのか、死人が出てるのに幕府にも父親にもこれを知らせませんでした。

当然、政宗はブチキレて

「あいつもう勘当しますんで、領地を取り上げていただいて結構です!!」

と幕府に申し入れてしまいます。

まぁ、ちょっと落ち着こーぜ、トーチャン。

ここで運よく仲裁が入りました。

ときの老中・土井利勝です。

土井利勝
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「まあまあ二人とも落ち着きなさいよ。言いたいこと溜まってるからこうなったんでしょ? 一回顔を合わせて話せばわかるって」(※イメージです)

そう諭された親子は頭を冷やし、助言通りに直接話し合うことにしました。

 

息子の怒り爆発! それを受け止める父・政宗 エエ話や

秀宗は、これまで父に抱いていた不満を全部ぶちまけます。

ずっと人質生活に耐えてきたのに家督を継がせてもらえなかったこと。

独立したのに家臣の一部が政宗の言いなりで秀宗にケチをつけてくることなど。

「はっきり言って恨んでます」と伝えたのです。

ドラマだったらここで刃傷沙汰になってもおかしくなさそうな展開ですが、そこは秀吉や家康の嫌がらせをやり過ごしてきた(たまに悪戯もした)政宗ですから、子供に不満をぶつけられたからといってキレることはありません。

「そりゃそうだよな。トーチャンも悪かったよ(´・ω・`)」(※イメージです)

ということで、この親子ゲンカは無事丸く収まります。

その後スッキリした秀宗は藩政に力を注ぎ、名君と称えられるようになりました。

幕末の宇和島藩主(伊達宗城・むねなり)がより有能だったため、

伊達宗城
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どうしてもそっちの方が目立ってしまいますが、政宗譲りの肝の据わりようや、年貢制度の整備などの働き振りが伝えられています。

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