年末年始の帰省時期――例えば宮城県のお土産といえば何を思い浮かべます?
「萩の月」や「笹かまぼこ」などと同時に「ずんだ」のお菓子を思い浮かべる方も多いでしょう。
枝豆をつぶした鮮やかな緑色は目にやさしく、大変美味ですが、傷みやすいという欠点もあり、以前は現地で食べるしかない貴重な味覚でした。
それが冷凍技術の発達等で全国的に広まるようになったのです。
人気の向上に比例して、メディアでも取り上げられるようになりました。
2013年の朝ドラ『あまちゃん』では宮城のご当地アイドルが「ずんだずんだ~」と唄い、大河ドラマ『真田丸』では伊達政宗が大勢にふるまう。
こうした状況も相まって、ずんだに関しては思わぬ風説がまことしやかに語られるようになっています。
それは
伊達政宗が開発した!(あるいは関わりがある)
という説です。
果たしてずんだは政宗由来のものなのか?
真相を追ってみましょう。
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大事な陣太刀で豆を潰すわけなかろう!
まずはWikipediaから、「ずんだ」の由来を見てみましょう。
1. 茹でた枝豆はそのまますれるほど柔らかくないため、まず初めにすりこぎで叩いたり押たりして潰す作業が必要であり、それが「豆を打つ」と解釈されて『豆打』(ずだ)となり、「豆ん打」に転訛したとする説
2. 「伊達政宗が、出陣の際に『陣太刀』で枝豆を砕いて食した」とのエピソードに由来するとする説。『陣太刀』(じんたち)は、東北方言では「じんだづ」「ずんだづ」などと発音されるが、これが「じんだ」または「ずんだ」に転訛した。
3. 甚太(じんた)という百姓が伊達政宗へ献上するために考えた餅が政宗に気に入られ「じんた餅」と言われたという説。
4. 古くはぬか味噌または五斗味噌のことを「糂汰(じんだ)」と言った が、枝豆をすりつぶした当料理にも名称を拡大適用したとする説。(ずんだ/wikipediaより引用)
伊達政宗が登場するのは2および3の説です。
それではまず、2から検討してみますと……これはどう考えても間違いです。
理由はシンプル。
「豆を潰すのに大切な陣太刀を使うわけがない! フツーに調理器具を使うだろう!」
ということです。
例えば、お手許の“最新型iPhone”で豆を潰す人がいるでしょうか?
陣太刀といえば高価で神聖な存在。
いくら手近にあったといえ、そんなもので豆を潰すとは考えられません。普通にすりこぎでも使えばいい。
そして1にも記載がありますように、そもそも「茹でた枝豆はそのまますれるほど柔らかくはない」という点。
茹でた枝豆の皮を取り除き、慎重に丁寧に潰さなければ「ずんだ」はできません。慎重さと根気が必要なのです。
陣太刀でガンガンとブッ叩けば作れるシロモノではありません。
領内視察のとき政宗は京都にいた
次に3を見てみましょう。
この献上した時というのは政宗が領内を視察した際ということになっています。
ところが史料を調べますと、政宗が領内視察をした年の夏、彼は京都にいました。
枝豆の旬は夏です。そのとき不在であるからには、この説も後世の創作となりましょう。
伊達政宗もずんだも、それだけで尊いものです。
無理に二つを結びつけずともよいではありませんか。どちらも宮城の誇りなのですから。
しかし、伊達政宗が有名なるがゆえに結びつけられた宮城の特産や行事は他にもあるようです。
提唱され始めたのは政宗の知名度があがってから。
具体的に言えばNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』以降ということが多い。
つまり、政宗のネームバリューで箔を付けようという創作でありますね。
伊達政宗は確かに偉大です。
だからといってありもしないものまで結びつけるのはいかがなものでしょう。
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