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【河越城の戦い(河越夜戦)】
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山内家は衰退 謙信を頼る
いずれにせよ、この戦いの後当主を失った扇谷家はあっさり滅亡。
山内家も衰退して元は家臣筋であった長尾景虎(後の上杉謙信)を頼るハメになったことは事実です。
また、古河公方家についてはいろいろややこしい経緯があるのですが、端折っていうと最終的に「名門(笑)」的な扱いを受ける凋落ぶりでした。
こうして「室町幕府のお墨付きだから俺たちはエライんだ!」とほざいていた家は一気に姿を消し、代わって後北条氏などの戦国大名が表舞台に出てくるようになります。
同時に武田信玄や上杉謙信が登場するので、落ち着くのはやっぱり豊臣秀吉が【小田原征伐】を終える頃の話ですけども。
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小田原征伐で秀吉相手に退かず!北条家の小田原城はどんだけ強いのか
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気の緩みを利用して名門を打ち破った後北条氏が、自らもまた小田原城の堅牢さその他への慢心によって滅びたというのは、また因果な話ですね。
このくらいの機転を利かせていれば、もうちょっと粘れて面白いことになっていたでしょうに。
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長月七紀・記
【参考】
国史大辞典
齋藤慎一『戦国時代の終焉 - 「北条の夢」と秀吉の天下統一 (中公新書(1809))』(→amazon)
河越城の戦い/wikipedia