東本願寺

東本願寺

寺社・一揆

東本願寺と西本願寺が二つに分裂しているのは信長・秀吉・家康のせい?

こちらは3ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
東本願寺と西本願寺
をクリックお願いします。

 

家康「ぐふふ、ワシがさらに混乱させてやろう」

しかし、教如は天から完全に見放されはしませんでした。

時が流れ、秀吉も亡くなった関が原直前、教如に寺を寄進しようという人物が現れました。

時期的に何となく予想がつくかもしれませんが、徳川家康です。

徳川家康(松平元康)が直面した3度の絶体絶命!75年の生涯まとめ【年表付】

続きを見る

本願寺→浄土真宗=一向宗徒の力を削ぐべくわざと教如に寄進したとか、いやいやその前から分裂してたんだから対して変わらんだろとかいろいろ言われていますが、例によって家康の真意がどこにあったかはわかりません。

このとき教如に寄進されたお寺は、准如の継いだお寺の東側にあったため、後々東本願寺と呼ばれるようになり、教如と准如兄弟はそれぞれ12代目となりました。

そしてそのまま統合せず現代に至っているというわけです。お兄さんのほうが「大谷派」、弟さんのほうが「本願寺派」となっています。

京都へ旅行に出かけると、多くの方が『どうして東と西に分かれているんだろう?』という疑問を抱き、そして曖昧なまま別のお寺なんかに足を運んでしまいがち。

そんなときは信長・秀吉・家康との駆け引きがあったことを教えてあげると喜ばれるかもしれません。

ただし、あまり語り過ぎると引かれる可能性もありますのでご注意を。

 

みんなが読んでる関連記事

織田信長
織田信長 史実の人物像に迫る!生誕から本能寺まで49年の生涯まとめ年表付

続きを見る

織田信勝(織田信行) 信長に謀殺された弟は当主の器だったか?

続きを見る

加賀一向一揆(北陸の戦国騒乱)は織田家の鬼柴田が平定!なぜ100年も続いた?

続きを見る

三河一向一揆(戦国時代)で一体何が起きたのか 鉄の結束・徳川家臣団が分裂?

続きを見る

荒木村重
信長を裏切り、妻子を捨てて逃亡した荒木村重~道糞と蔑まれた武将の生涯52年

続きを見る

信長考案の鉄甲船! 鉄に覆われた巨大船が毛利・村上水軍を破った!?

続きを見る

豊臣秀吉
豊臣秀吉 数々の伝説はドコまで本当か? 62年の生涯まとめ【年表付き】

続きを見る

徳川家康(松平元康)が直面した3度の絶体絶命!75年の生涯まとめ【年表付】

続きを見る

南北朝時代がスッキリわかる! 鎌倉時代に始まる両統迭立ややこし物語

続きを見る

長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
『戦国僧侶列伝(星海社新書)』(→amazon
東本願寺/Wikipedia
西本願寺/Wikipedia

TOPページへ

 



-寺社・一揆
-,

© 2021 BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)