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【戦国時代の百姓】
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百姓を軽んじる大名に生きる資格ナシ
百姓が領主をも巻き込んだ戦国時代。
彼等は一方的に収奪されていただけではありません。
戦国の百姓たちは、しばしば「世直し」を求めました。
背景には、古代・中世にあった「天道思想」があります。「天道」にかなう者こそが世を統治する、というものです。
天変地異や災害が続発するということは、為政者が「天道」に背いているということ。
そうしたことが起こったら、改元する、主君を変更して「天道」にかなう者に交替せねばならない、という思想です。
怖いものなしであるかのように思える戦国大名も、領内で深刻な飢饉が起こり、その対策が不十分だと、百姓たちは世直しを求めます。
その声は時に世論となり、政権交代を後押しするのです。
その一例が、武田晴信(信玄)が父・武田信虎を追放したクーデターです。
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妊婦の腹を裂いた等、信虎の悪行の数々は脚色されて伝わっていますが、実際のところ彼は飢饉に際して適切な処理を行えませんでした。
そのため信虎への厳しい世論は高まっており、晴信はそれに乗じてクーデターを成し遂げたわけです。
百姓の期待を背景にした政権交代劇は、子が親を追い落とす悪事としてではなく、若い当主による世直しとして、領国の百姓から歓迎されたのでした。
一揆、そして逃散
もっと直接的な手段で不満を訴えることもできます。
一揆、そして逃散です。
不作の場合、百姓は年貢の減免を要求しました。それが通らないと、「逃散」、つまりは山に逃げ込み、年貢納入や農地を放棄してしまうわけです。
厳しい飢饉と戦乱の中、日本中どこの国でも耕す者のいない荒れ果てた地がありました。
こうした土地を眠らせておくと、そこから収穫できるはずの農作物も手に入らず、年貢もおさめられない。結果的に大名にとっては損となるわけです。
「逃散」とはそれを見越した百姓側のストライキでした。
タフでなければ生きていけない。
単なる可哀想な存在でもない。
戦国時代の百姓たちは、知恵をしぼり、時に領主にも渡り合いながら、厳しい時代を生き抜いていたのです。
戦国大名だけでなく、彼らから学べることも多い気がしてなりません。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
黒田基樹『百姓から見た戦国大名 (ちくま新書)』(→amazon)