合戦・軍事

戦国時代のミリメシ事情 兵士たちは何を食ってた?ご馳走は「縄」です

2021/05/15

「ミリメシ」って聞いたことありますか?

「ミリタリー飯」……すなわち軍隊が野戦などで食べる食事のこと。

自衛隊でも「戦闘糧食」といって缶詰やレトルトパウチ製のものなどが支給されるそうです。

当然ながら複雑な調理ができない戦地において迅速かつ簡便に摂取でき、なおかつ十分なカロリーを満たすことのできるものが条件となりますが……。

戦争が常態化していたともいえる戦国時代はどうだったのでしょうか

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そもそもが食うため奪うため

当時は日本中が飢餓の時代でした。

戦場に雑兵たちが集まる多くの理由は「ご飯」が食べられるからにほかなりません。

「頼むから、子連れはやめるように」と大名たちが命令を出した例もあります。

子供にメシを食わせるため「この子はいずれいい戦闘員になりますんで見学です」という理由で従軍する親子が相次いでいたからです。

メシを食うだけではありません。

敵地に入ったら、集落で人さらいをしたり、家財道具やお宝を強奪したり。

要は、生きるためですね。

それゆえ戦争に強い領主は尊敬されたりもしました。

※ただし乱暴狼藉を働く者たちは武士の間では軽蔑もされたりしたそうですから、その辺、ややこしいところです

戦闘時には、以下のような非常食を食べますが、戦(いくさ)といっても日本の場合は、戦闘そのものよりも、陣地の構築などの土木作業の時間もかなり多かったことをあらかじめ申し上げておきます。

まずは標準的な食事の様子を見てみましょう。

 


一日三食の起源は戦国時代だった

この頃の一般庶民は、朝と夕の2回の食事が一般的でした。

が、重労働の兵士たちは3回となります。

兵士たちの食事が江戸時代になって武士の食生活に取り入れられ、今の日本の「一日3食」という生活に繋がっていくという説もあります。

まず戦場で支給される米は「一升=10合」が基準という記録があります。

地域や時期によってバラつきがあり、実際は「5~6合」ぐらいが平均だったと思われ、他に塩や味噌も適量を配給。

仮に10合が支給された場合、一例として以下のようなスケジュールで食べたりしました。

【戦場ごはんの時間】

・朝に5合炊いて朝ごはん2合半食べる

・残った2合半を昼に食べる

・昼には新たに2合半炊いておく

・昼に炊いた2合半を夕方に食べる

・夜も2合半炊いておき夜戦に備える

あくまで戦場での話であり、日常生活では朝と夕方の2食だったと考えられています。

「10合も支給されるなんて随分と贅沢じゃない?」と思われるかもしれませんが、雑兵たちにはそれだけの重労働が課されており、まさに「腹が減っては戦はできぬ」状態なのでした。

例えば【長篠の戦い】なんて事前の陣構築(土木工事)が織田徳川勝利の要因と考えられますし、

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【鳥取の渇え殺し】、【備中高松城の戦い】なんて、それこそ周囲に砦を設置する土木工事がほぼメインですよね。

それこそ雑兵たちの出番であり、一日中、工事現場にいたら、それはお腹も空くことでしょう。

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なお、「一日のご飯を一度に炊いておけばラクでは?」とも思われるかもしれませんが、炊いたままのご飯を放置しておくのは食中毒の原因ともなり、わざわざ分けて炊かねばならなかったのです。

※戦国期の陣笠は皮製・紙製のものが多く、江戸期になるにしたがい金属製の陣笠が用いられるようになりました(そのため戦国期は鍋を持ち込んでいたと考えられています)

もう少し具体的に見ていきましょう。

 

炒米・干飯

もっともイメージしやすい糧食のひとつでしょう。

主食となる穀物を加熱した後で乾燥させるという、保存性・携帯性に優れた戦国のミリメシです。

そのままポリポリかじるもよし。

お湯で戻して柔らかくするもよし。

実際にはお湯と一緒に口に含んで咀嚼したことが多かったともいいます。

干飯は現代の「アルファ化米」に通じるものでもありますね。

次は「味噌」に注目してみましょう。

 


焼味噌

発酵食品であり、調味料としても使える味噌は戦国時代にも重宝されたようです。

米と塩とともに陣中の兵粮として欠かせないものでした。

そのままでは腐ったりカビが生えたりするので焼いて味噌玉にして携帯したようです。

もちろんお湯に溶かせば味噌汁になり、おかず代わりにかじったりもしたそうです。

味噌は中国伝来の「醤(ひしお)」が日本に導入され、その後、独自に発展していったとものとされますが、正倉院文書(奈良時代)にも税金の一種として物納されていたようですから、戦国時代には各地それぞれの味噌があったことでしょう。

例えば、全国から兵士が集結した関ヶ原の合戦では、

「お、お前の味噌旨そうだな」

「いやいや、あなたこそ、なかなかのもので」

「変わった色をしておるな」

なんて、全国味噌自慢があったのかもしれません。

 

梅干し

保存食の王様、梅干しを戦国の男たちがほっとくはずはありませんね。

戦闘では大量に汗をかき、なおかつ激しい心身の疲労が蓄積されることは想像に難くありません。

梅干しに含まれる塩分やクエン酸は、戦に疲れた男たちの体力を回復させるのに力を発揮したことでしょう。

種をとって糸をつけるなど携行に工夫がなされたそうです。

梅干しはわが国最古の医学書『医心方』(10世紀)にも載っていることからその起源はすくなくとも奈良時代にまでさかのぼり、平安時代後半には普通の食卓にのぼっていたと言われています。

それと、のどが渇いたときには「梅干しを見て唾を出せ」という”知恵”が『雑兵物語』に記されています。

足軽たちの生活などが描かれていたもので、非常にリアルな情報ですね。

 

芋茎縄・ズイキ(いもがらなわ)

戦国ミリメシの白眉がこれ。

サトイモの茎である「ズイキ」を味噌汁で煮しめたものを乾燥させ、縄にしたものです。

まさに「食べられるロープ」!

腰に荒縄のようにくくりつけ、そのままかじったり、お湯で戻すと味噌汁にもなるという優れ物!

一度食べてみたいですね。

例えば、いざ籠城という危機に備え、熊本城の畳なんかにも使われていたという話もあります。

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「ズイキ」という謎めいた名称は、有名な禅僧・夢窓疎石の歌から出た名だと伝わります。

「いもの葉に置く白随喜露のたまらぬはこれや随喜の涙なるらん」

「随喜」というのは大喜びという意味です。

夢窓疎石/wikipediaより引用

このように、戦国のミリメシは主に「乾燥品」と「塩蔵品」がその主役を務めたと考えられています。

軽くて持ち運びやすく、保存性が高くてなおかつ栄1養もある――現代のニーズと何ら変わりありません。

ですが願わくば、平和に食卓でいただきたいものですね。

今は、お米も色んな種類があってイイ時代になりました。

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【参考】
『雑兵足軽たちのの戦い』講談社(→amazon
『現代語訳 雑兵物語 (ちくま文庫)』(→amazon
『図解 食の歴史 F‐Files』(→amazon

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