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【戦国時代のミリメシ事情】
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焼味噌
発酵食品であり、調味料としても使える味噌は戦国時代にも重宝されたようです。
米と塩とともに陣中の兵粮として欠かせないものでした。
そのままでは腐ったりカビが生えたりするので焼いて味噌玉にして携帯したようです。
もちろんお湯に溶かせば味噌汁になり、おかず代わりにかじったりもしたそうです。
味噌は中国伝来の「醤(ひしお)」が日本に導入され、その後、独自に発展していったとものとされますが、正倉院文書(奈良時代)にも税金の一種として物納されていたようですから、戦国時代には各地それぞれの味噌があったことでしょう。
例えば、全国から兵士が集結した関ヶ原の合戦では、
「お、お前の味噌旨そうだな」
「いやいや、あなたこそ、なかなかのもので」
「変わった色をしておるな」
なんて、全国味噌自慢があったのかもしれません。
梅干し
保存食の王様、梅干しを戦国の男たちがほっとくはずはありませんね。
戦闘では大量に汗をかき、なおかつ激しい心身の疲労が蓄積されることは想像に難くありません。
梅干しに含まれる塩分やクエン酸は、戦に疲れた男たちの体力を回復させるのに力を発揮したことでしょう。
種をとって糸をつけるなど携行に工夫がなされたそうです。
梅干しはわが国最古の医学書『医心方』(10世紀)にも載っていることからその起源はすくなくとも奈良時代にまでさかのぼり、平安時代後半には普通の食卓にのぼっていたと言われています。
それと、のどが渇いたときには「梅干しを見て唾を出せ」という”知恵”が『雑兵物語』に記されています。
足軽たちの生活などが描かれていたもので、非常にリアルな情報ですね。
芋茎縄・ズイキ(いもがらなわ)
戦国ミリメシの白眉がこれ。
サトイモの茎である「ズイキ」を味噌汁で煮しめたものを乾燥させ、縄にしたものです。
まさに「食べられるロープ」!
腰に荒縄のようにくくりつけ、そのままかじったり、お湯で戻すと味噌汁にもなるという優れ物!
一度食べてみたいですね。
例えば、いざ籠城という危機に備え、熊本城の畳なんかにも使われていたという話もあります。
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「ズイキ」という謎めいた名称は、有名な禅僧・夢窓疎石の歌から出た名だと伝わります。
「いもの葉に置く白随喜露のたまらぬはこれや随喜の涙なるらん」
「随喜」というのは大喜びという意味です。
このように、戦国のミリメシは主に「乾燥品」と「塩蔵品」がその主役を務めたと考えられています。
軽くて持ち運びやすく、保存性が高くてなおかつ栄1養もある――現代のニーズと何ら変わりありません。
ですが願わくば、平和に食卓でいただきたいものですね。
今は、お米も色んな種類があってイイ時代になりました。
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帯刀コロク・記
富永商太・画
【参考】
『雑兵足軽たちのの戦い』講談社(→amazon)
『現代語訳 雑兵物語 (ちくま文庫)』(→amazon)
『図解 食の歴史 F‐Files』(→amazon)