偉大な人物となると、箔をつけるために余計な尾ひれがつきがち。
特に、将軍や王様、あるいは剣士・剣豪などのヒーロー的存在には、様々な伝説がついてまわるものです。
今回は、多くの武将と絡んでいた――とされる武芸者に注目。
元亀2年(1571年)2月11日は、剣豪として知られる塚原卜伝(つかはらぼくでん)の命日です。
いろいろな武将に剣を教えたとか。
勝負をしたとか。
様々な逸話がたくさんありますが、やはり、その全てが事実とは限らないようで……僭越ながら振り返ってみましょう。
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兵法三大源流の一つ・神道流を学んだ塚原卜伝
卜伝は延徳元年(1489年)、現在の茨城県鹿島市で代々剣術の先生をやっていた家に生まれました。
父は卜部覚賢。
幼少の頃からこの父に武術を教えられ、鹿島上古流(かしまじょうこりゅう)や鹿島中古流(かしまちゅうこりゅう)など、この地に伝わる著名な剣術を修めていき、後に、塚原土佐守安幹(つかはらとさのかみやすもと)の養子となりました。
同じ鹿島氏族で、塚原安幹もまた著名な剣術家です。
天真正伝香取神道流(てんしんしょうでんかとりしんとうりゅう)の創始者である飯篠家直(いいざさいえなお)の高弟でもあり、この安幹の子になることで、卜伝は【兵法三大源流】の一つに数えられる【神道流(鹿島・香取)】を学ぶのです。
兵法三大源流
◆念流……南北朝時代の禅僧であり剣術家でもある念阿弥慈恩(ねんあみじおん)が始めた流派
富田長家
鐘捲自斎
伊藤一刀斎
山岡鉄舟
◆神道流……香取と鹿島で受け継がれてきた流派
塚原卜伝
根岸兎角
諸岡一羽
近藤勇(天然理心流)
◆陰流……愛洲久忠(あいすひさただ)が始めた流派
上泉信綱
柳生石舟斎
丸目長恵
疋田景兼
真剣勝負19回 戦場参加37回
卜伝は才能と良い環境に恵まれ、十代後半の頃には既に剣豪として知られていたようです。
元服後に、塚原新右衛門高幹を名乗り、武者修行の旅へ。
その中で戦に参加したこともあれば、行く先々で教えを請われたこともあり、当時にしてはかなり広い範囲で逸話を残しています。
例えば17才のときには京都清水寺で真剣勝負を行い、対戦相手の武士を倒しています。
詳細は不明ながら、戦場に出ている本物の武士ですから腕には当然自信があったのでしょう。
それに勝つのですから、よほど卓越した技能・実力を有していないとそんな芸当はできないはず。
実際、この後も卜伝は放浪を続けて、恐ろしい戦績を残したとされます。
・真剣による勝負……19回
・戦場に参加……37回
・討った敵の数……212回
しかし……。
いかに伝説的剣豪と言えども、戦いの連続の日々にいつしか心労が重なり、二十代後半で地元の鹿島へ帰還。
その頃にはメンタル的にはボロボロだったようで。
卜伝は再び地元で剣術の修業を始めました。
義父・安幹の薦めで鹿島城の宿老・松本政信に「一つの太刀」を教わり、年月をかけ、ついに自身の「一之太刀」を完成。鹿島新當流を始めるのでした。
その後、卜伝は二度の武者修行の旅へ出ております。
と言っても以前のように真剣勝負の場を求めてというより、教えを請われて剣術を伝えた――という捉え方のようで。多くの著名なお弟子さんたちがおります。
あわせて見てみましょう。
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