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【塚原卜伝】
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将軍様や名門武家など名だたる武将たち
そして弟子グループのもう一つは、戦国武将たちです。
「剣豪将軍」こと足利義輝。
![](https://storage.bushoojapan.com/wp-content/uploads/2018/08/aabfbd51feac510c7e486bc9b748019c.jpg)
剣豪将軍と呼ばれた足利義輝/wikipediaより引用
大河ドラマ『麒麟がくる』でも剣術の見せ場があった細川藤孝(細川幽斎)。
![](https://storage.bushoojapan.com/wp-content/uploads/2024/12/Hosokawa_Yusai.jpg)
細川藤孝/wikipediaより引用
家が滅びても妻LOVEで生き残った今川氏真。
はたまた北畠具教など、錚々たるメンバーが名を連ねています。
![](https://storage.bushoojapan.com/wp-content/uploads/2019/08/cb1fecc38dba708c1fef419302c6a1e0.jpg)
北畠具教/wikipediaより引用
武家の名門ばかりですね。
どちらもはっきりした記録がなく「ホントに弟子?(´・ω・`)」という人もいるのですが、まあそれだけ尊敬されていたということですね。
足利義輝や北畠具教は上泉信綱から教わったかも……なんて話もあります。
個人的には、義輝がああいう死に方をしているので、これを聞いたお師匠様の卜伝が何を思ったかとかものすごく興味があります。小説とかでありそうですね。
また、剣の道を極めた人にはままあることですが、卜伝は「戦わずして勝つ」ことも重視していました。
「被害を最小限にして勝つ」ともいえますかね。
これを示す有名なエピソードとして、象徴的なものがあります。
これが無手勝流だ! ハーッハッハッハッハ!!
あるとき塚原卜伝が琵琶湖を渡る船に乗り、相客と話していたところ勝負を持ちかけられました。
卜伝は面倒だったのか早く目的地に行きたかったのか、なかなか受けようとはしません。
しかし相手がしつこいので彼も折れ、「そこまで言うなら一本だけ」ということで別の船に移って近くの小島に向かいました。
相手はあの塚原卜伝と勝負ができるということでwktkdkdk足がつくところまで来たと見るや否や、さっそく降り立ちました。
と、卜伝はここで予想だにしない行動に出ます。
なんと、相手を一人残してそのまま船を再び漕ぎ出していったのです。
呆然とする相手を尻目に、彼は「これが無手勝流(むてかつりゅう)だ! ハーッハッハッハッハ!!」(意訳)と呵呵大笑して去っていったとか。確かにその通りだけど……。
相手はその後誰かに助けてもらえたんですかね。
鍋蓋対決:武蔵は卜伝の死後に生まれている
また、塚原卜伝と勝負というと宮本武蔵との逸話も有名ですね。
「武蔵が卜伝の食事中に乱入して切りかかったが、卜伝は鍋の蓋で防御して応じた」というものですが、そもそもこの話には重大なミスがあります。
卜伝は元亀二年(1571年)2月11日に亡くなっています。
しかし、武蔵は天正十二年(1584年)頃、戦国史で言えば【本能寺の変】後に生まれたとされ、二人が会える可能性はゼロ。
まぁこの話自体が江戸時代あたりに出てきたものらしいので、当時の剣術ファンが
「卜伝と武蔵だったらこういうことできんじゃね!?」
「なにそれかっこいい!!」
「さすが剣聖!俺達にできないことを(ry」
みたいな感じで盛り上がって大ウケした結果、現代まで知られるようになったんでしょう。
話に尾ひれがつくというのは今も江戸時代も変わらないんですね。
卜伝の最期は、剣豪ということで物騒な話かと思われがちですが、意外にもそうではありません。
晩年は塚原城の近くに草庵を建て、そこで悠々自適な生活を送られたそうです。
そして前述の通り元亀2年(1571年)2月11日に83才で死去。
鹿嶋市に墓所があり、今なお現地を訪れる人が絶えず、ネット上にも訪問者の写真や声が掲載されています。
以下に地図もございますので、皆さんも命日のこの季節にひとつ墓参でもいかがでしょうか。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
歴史群像編集部『日本剣豪100人伝』(→amazon)
塚原卜伝/Wikipedia