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【塚原卜伝】
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新選組の天然理心流も卜伝の一派になる!?
弟子たちは大きく二つのグループに分かれます。
といっても弟子同士の面識があったのはごく一部でしょう。
まず一つは、後に自らもまた剣術の流派を興した人々です。
例えば、戦国時代の剣豪・諸岡一羽(もろおかいっぱ)が一羽流を興し、さらにその弟子がまた新たな流派を創設していったりしています。
卜伝が「剣聖」と呼ばれるのは、後世に語り伝えられた実力や人格などに加えて、「師匠の師匠の師匠(ry)なんだからエライ人に決まってんだろ!」といった遠い存在に対する尊崇の念からというのもあるんでしょうね。
ちなみに、新撰組局長・近藤勇が会得したと言われている”天然理心流”も卜伝の流派・鹿島神道流や一羽流の流れを汲むとされています。
卜伝の孫弟子の孫弟子みたいな見方ができるかもしれません。
ややこしいな。
将軍様や名門武家など名だたる武将たち
そして弟子グループのもう一つは、戦国武将たちです。
「剣豪将軍」こと足利義輝。
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はたまた北畠具教など、錚々たるメンバーが名を連ねています。
武家の名門ばかりですね。
どちらもはっきりした記録がなく「ホントに弟子?(´・ω・`)」という人もいるのですが、まあそれだけ尊敬されていたということですね。
足利義輝や北畠具教は上泉信綱から教わったかも――なんて話もあるので、贅沢やなぁと……。
個人的には、義輝がああいう死に方をしているので、これを聞いたお師匠様の卜伝が何を思ったかとかものすごく興味があります。小説とかでありそうですね。
また、剣の道を極めた人にはままあることですが、卜伝は「戦わずして勝つ」ことも重視していました。
「被害を最小限にして勝つ」ともいえますかね。
これを示す有名なエピソードとして、象徴的なものがあります。それは……。
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