母里太兵衛

母里太兵衛(母里友信)/wikipediaより引用

黒田家

官兵衛の腹心・母里太兵衛は黒田家一の猛将!酒呑み勝負で名槍ゲット

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「ではいただきましょう。その代わり、この大きな杯を飲み干せたら、福島殿の家宝である”日本号”をくだされ」

日本号(にほんごう or ひのもとごう)とは、その美しさと大きさで天下三名槍のひとつに数えられた槍のことです。

元は御物(皇室の持ち物)でしたが、正親町天皇が室町幕府最後の将軍・足利義昭に賜り、その後、信長がぶんど……譲り受け、いつのまにか秀吉に渡って、このときは正則が持っていたのです。

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正則は「(どうせそんなに飲めないだろw)おうわかったわかった、持っていけ! 飲めたらな!」とこの挑戦を受けてしまいます。

立ったー! フラグが立ったー!

母里太兵衛は見事に酒を飲み干す――どころか、同じ杯で三杯も飲み、正々堂々と日本号をもらって黒田家へ帰っていきました。

長政も他の家臣たちもビックリしたでしょうね。いろんな意味で。

ちなみに翌日、酔いが覚めた正則は事の重大さに気付き、太兵衛に「日本号返してくれよ」と頼んだらしいのですが、当然突っぱねられました。あーあ。

母里太兵衛/Wikipediaより引用

 

酒は飲め飲め 飲むならば 日の本一の この槍を

この話は小気味良い武勇伝として語り継がれ、いつしか民謡になりました。

ついでに歌詞を全部載せておきましょう。

【黒田節】
酒は飲め飲め 飲むならば
日の本一の この槍を
飲みとるほどに 飲むならば
これぞ真の 黒田武士

峰の嵐か 松風か
訪ぬる人の 琴の音か
駒をひきとめ 立ち寄れば
爪音高き 想夫恋

花よりあかるく み吉野の
春の暁 見渡せば
もろこし人も 高麗人も
大和心となりぬべし

冒頭の勇ましさから一転、想夫恋という女性が男性を想う歌が出てきて、最後は「外国人とも一緒に桜を見て仲良くやろうぜ!」(超訳)と結ぶいい歌ですね。

日本舞踊の振りがついた動画も多々ありますので、歌詞と一緒に見るとより面白いかもしれません。

槍を持ったり、前後に違う歌詞がつくバージョンもあってなかなか興味深いですよ。

 

ゆるキャラも登場! その名は「もりりぃ」

それにしても「酒を飲めないと武士じゃない」という概念は、下戸の人にとってはかなりキツイですよね。

当時のお酒は今より純度が低かったですし、薄めて飲むことも多かったようなので、現代人より飲める人の割合が多かったかもしれませんが。

ついでに言えば、400年経っても酒の失敗を語り継がれる正則カワイソス(´・ω・`)

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まぁ、薙刀持った奥さんに追いかけられたことがあるくらいですから、それに比べればマシ……ですかね?

ちなみに黒田家の豪傑といえば後藤又兵衛もいます。

彼が長政と仲違いして出て行ったのに対し、太兵衛は一生黒田家に仕えました。

太兵衛も一度言ったことは曲げないという頑固なところはありましたが、イヤミなところはなかったのでこういう違いが出たようです。

人間素直が一番ということでしょうかね。

もともと反りが合わなかった又兵衛は、長政を挑発するなどしておりましたので……。

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ちなみに兵庫県では、彼にちなんだゆるキャラ「もりりぃ」が生み出されました。

テーマは「おじかわいい」だそうです(→link)。

日本号の逸話を知っていると、「コイツと飲み比べして負けたらなんか取られそう」って気になりますねw 兵庫県の方すいません。

そのうち日本酒のイベントか何かでもりりぃと飲み比べる機会もある……かも?

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【参考】
国史大辞典
峰岸純夫/片桐昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon
母里友信/Wikipedia
はりま酒文化ツーリズム(→link
民謡えほん(→link

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