ワタシたちの地元武将代表といえば、やっぱり毛利元就さん。
毛利元就が安芸の小勢力から中国地方8カ国の大大名に!その戦略戦術は神業なり
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三本の矢をイメージする方も多いと思いますし、古くは本人の名前をタイトルとした大河ドラマ(1997年)にもなりましたよね。
今回は、そんな元就、実は禁酒を己に課していたといいますが、一体なぜなのか。
元就の生涯を健康面から考察してみましょう。
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身内が次々に酒毒で死~梅の毒ではありません
元就は明応6年(1497年)、毛利弘元の次男として生まれました。
3歳の時に、父・弘元は長男に家督を譲って隠居。
元就は父と共に支城に移り住むのですが、翌年には実母が亡くなり10歳時には父も『酒毒』が原因で死去します。
しかも悪い家臣が領地を横領し、元就を城から追い出してしまいます。
あまりに悲惨な境遇のため『乞食若殿』と呼ばれた元就でしたが、弘元の後添えがそんな元就を不憫に思い、再婚もせず養育します。捨てる神あれば拾う神ありですね。
後年、息子へ宛てた手紙の中で「養母は立派な人だった」と書いているので、血の繋がりはなくても良い母だったんでしょう。
さて、そんな元就ですが家督を継いだ兄がこれまた『酒毒』で死去。
毛利家を継いだ幼い甥の後見人となり、その甥も9歳で早逝すると今度は元就が毛利家の当主となります。
そこから合戦で活躍したり、謀略を用いて勢力を拡大する話は割愛し、病気の話へ進めましょう。
一応、申しておきますと『酒毒』ですからね。『梅』の方の毒ではありませんよ。お酒が原因です。
酒の強さはアルデヒド脱水素酵素でキマる
父と兄を『酒毒』で亡くした元就は、もともと酒に弱いこともあり禁酒を誓ったそうです。あっ、そういえば元就のじーさまも酒で早死にしてますね。
『酒毒』とは飲酒による害毒のことです。おそらくですが元就の父と兄はアルコール性の肝障害で身体を壊して亡くなったのでしょう。
そもそもアルコールは肝臓で代謝され無毒化されます。
この際に生じたアセチルcoAから脂肪酸が合成されるのですが、アルコールを大量に飲むと分解が追いつかず、また肝細胞で作られた脂肪が肝臓に蓄積します。
これが肝細胞にダメージを与えてアルコール性肝障害を起こすのです。
ダメージには3つの段階があります。
最初はアルコール性脂肪肝で、この時点では症状もなく禁酒で容易に改善します。進行すると次にアルコール性肝炎になりますが、自覚症状はあまり出ません。
最後にアルコール性肝硬変まで進むと、肝臓の機能が保てなくなり(肝不全)、黄疸、腹水、低血糖、電解質異常、脳症などを発症、しばしば死に至ります。
アルコール性の肝障害は飲酒量が多い程、また飲酒期間が長いほど起こりやすくなります。
それに加えて遺伝的な素因も関係します。
『アルコールを無毒化する酵素(アルデヒド脱水素酵素)』の働きが不完全な人は、酒に酔いやすくアルコール性肝障害も起こしやすくなるのです。
ちなみに完全に酵素が働かない場合はアルコールが分解出来ず、酒が全く飲めません。
元就の家系は 祖父が33歳、父が41歳、兄が25歳という若さで死去しております。
そのためアルデヒド脱水素酵素の働きが中途半端で、アルコールが充分には処理出来ないタイプの遺伝(ALDH2*1/*2遺伝子型)だった可能性が高いでしょう。
禁酒した元就の判断は賢明です。
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