禁酒

毛利元就/wikipediaより引用

毛利家

戦国を生き抜いた秘訣は禁酒?中国覇者・毛利元就が75歳まで長生きできた理由

2025/01/15

広島出身の歴女医・馬渕まりです。

ワタシたちの地元武将代表といえば、やっぱり毛利元就さん。

三本の矢をイメージする方も多いと思いますし、古くは本人の名前をタイトルとした大河ドラマ(1997年)にもなりましたよね。

今回は、そんな元就、実は禁酒を己に課していたといいますが、一体なぜなのか。

毛利元就/wikipediaより引用

元就の生涯を健康面から考察してみましょう。

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身内が次々に酒毒で死~梅の毒ではありません

元就は明応6年(1497年)、毛利弘元の次男として生まれました。

3歳の時に、父・弘元は長男に家督を譲って隠居。

元就は父と共に支城に移り住むのですが、翌年には実母が亡くなり10歳時には父も『酒毒』が原因で死去します。

しかも悪い家臣が領地を横領し、元就を城から追い出してしまいます。

あまりに悲惨な境遇のため『乞食若殿』と呼ばれた元就でしたが、弘元の後添えがそんな元就を不憫に思い、再婚もせず養育します。捨てる神あれば拾う神ありですね。

後年、息子へ宛てた手紙の中で「養母は立派な人だった」と書いているので、血の繋がりはなくても良い母だったんでしょう。

さて、そんな元就ですが家督を継いだ兄がこれまた『酒毒』で死去。

毛利家を継いだ幼い甥の後見人となり、その甥も9歳で早逝すると今度は元就が毛利家の当主となります。

そこから数多の合戦に勝利したり、謀略を用いて勢力を拡大する話は割愛し、

毛利の本拠地として知られる吉田郡山城(日本100名城の一つに数えられる)

病気の話へ進めましょう。

一応、申しておきますと『酒毒』ですからね。

『梅』のほうの毒ではありませんよ。お酒が原因です。

 


酒の強さはアルデヒド脱水素酵素でキマる

父と兄を『酒毒』で亡くした元就は、もともと酒に弱いこともあり禁酒を誓ったそうです。

というか、元就のじーさまも酒で早死にしてましたね。

『酒毒』とは飲酒による害毒のこと。元就の父と兄は、おそらくアルコール性の肝障害で身体を壊して亡くなったのでしょう。

毛利興元の肖像画

毛利興元/wikipediaより引用

そもそもアルコールは肝臓で代謝され無毒化されます。

この際に生じたアセチルcoAから脂肪酸が合成されるのですが、アルコールを大量に飲むと分解が追いつかず、また肝細胞で作られた脂肪が肝臓に蓄積します。

これが肝細胞にダメージを与えてアルコール性肝障害を起こすのです。

ダメージには3つの段階があります。

最初はアルコール性脂肪肝で、この時点では症状もなく禁酒で容易に改善します。進行すると次にアルコール性肝炎になりますが、自覚症状はあまり出ません。

最後にアルコール性肝硬変まで進むと、肝臓の機能が保てなくなり(肝不全)、黄疸、腹水、低血糖、電解質異常、脳症などを発症、しばしば死に至ります。

アルコール性の肝障害は飲酒量が多い程、また飲酒期間が長いほど起こりやすくなります。

それに加えて遺伝的な素因も関係します。

『アルコールを無毒化する酵素(アルデヒド脱水素酵素)』の働きが不完全な人は、酒に酔いやすくアルコール性肝障害も起こしやすくなるのです。

ちなみに完全に酵素が働かない場合はアルコールが分解出来ず、酒が全く飲めません。

元就の家系は 祖父が33歳、父が41歳、兄が25歳という若さで死去しております。

そのためアルデヒド脱水素酵素の働きが中途半端で、アルコールが充分には処理出来ないタイプの遺伝(ALDH2*1/*2遺伝子型)だった可能性が高いでしょう。

ご自身には禁酒を課した毛利元就の判断は賢明すぎます。

 

『三矢の教え』はフィクションなれど

禁酒を敢行しただけでなく、元就は健康マニアで、医学知識も玄人はだしだったそうです。

そのかいあってか、当時としては長命な75歳まで生き、なんと71歳のときには子供も作っちゃってます。

死因については『食べ物がつっかえる』との記録があるため胃がん、食道がん、または老衰あたりでしょう。

ここで、冒頭にも出てきた『三矢の教え』についても触れておきたいと思います。

晩年の元就が病床に伏していたある日、隆元・元春・隆景の3人が枕許に呼び出された。

元就は、まず1本の矢を取って折って見せるが、続いて矢を3本を束ねて折ろうとするが、これは折る事ができなかった。

そして元就は、「1本の矢では簡単に折れるが、3本纏めると容易に折れないので、3人共々がよく結束して毛利家を守って欲しい」と告げた。

息子たちは、必ずこの教えに従う事を誓った(wikiより)

感動的なお話ですが、残念ながら後世に作られたフィクションです。

そもそも長男の毛利隆元は元就が死ぬ8年前に死んじゃってます……。

毛利隆元の肖像画

毛利隆元/wikipediaより引用

しかし、全くのフィクションかと言いますとそうではなく、元就が60歳の時、3人の息子(毛利隆元・吉川元春・小早川隆景)に送った『三子教訓状』が元ネタとなっています。

歴史好きには常識レベルな話題ですが、元就は次男を吉川家に、三男を小早川家に養子に出して、勢力を拡大。

3人の中で一番出来る子ちゃんだったのは三男の(小早川)隆景、毛利家を継いだ長男・隆元は割に草食系だった模様で『三子教訓状』もその辺りを考慮した内容となっております。

 

毛利を守るために両川はある

14条まであるのでまとめるのが大変ですが、内容をざっくり言いますと……。

・まず毛利を大切にしなさい。3人は仲良くしなさい。毛利は他家を滅ぼし恨まれているから皆で結束しないと3人(家)とも滅んでしまいますよ

・長男は、次男・三男を力として指図しなさい

・次男にせよ三男にせよ、毛利が強いから吉川と小早川をまとめられてるのであって、本隊が弱くなれば家臣を抑えられなくなるかもしれませんよ

吉川元春(右)小早川隆景の肖像画

毛利元就の息子である吉川元春(右)小早川隆景/wikipediaより引用

・長男は、次男・三男と意見が合わなくても暖かい親心で耐えなさい。意見が合わない場合、次男・三男は長男に従うのが物の道理ですよ

・2人は他家をついでいますが、本家にいたら長男の家臣で命令に従わなければいけない立場なのです

・この教えは子の代、孫の代まで守ってもらいたい。そうすれば三家の行く末は安泰でしょう

・そうは言っても未来のことはわからないので、少なくとも3人の代はこの教えを守らないとダメだよ

ここらあたり(1〜6条)が三矢の教えになったのかなと思います。

あと母の菩提を弔ってとか、嫁いだ姉妹をよろしくとか、他の弟もまぁできれば仲良く、お日様を拝めなどがツラツラと続きます。

まり先生の歴史診察室毛利元就

今回は病気の話が少なめでしたが、まぁ郷土の武将なんで許して下さいね。

最後に(結構有名な)豆知識を1つ。

Jリーグ『サンフレッチェ広島』のチーム名は、数字の「三」とイタリア語で矢を意味する「フレッチェ」を合わせたものです。

広島、ええとこじゃけぇ、遊びに来んさいね!

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【参考】
酒井シヅ『戦国武将の死亡診断書』(→amazon
山田風太郎『人間臨終図巻1<新装版> (徳間文庫)』(→amazon
毛利元就/wikipedia
武蔵野赤十字病院肝疾患相談センター(→link
アルコール性肝疾患/wikipedia
MSD(→link
e-ヘルスネット(→link
三子教訓状/wikipedia
毛利両川/wikipedia

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馬渕まり

総合内科専門医、糖尿病専門医、労働衛生コンサルタント。 現役の医師にして生粋の歴史愛好家で、武将ジャパンでは2014年より執筆。 連載『まり先生の歴史診察室』は2冊の書籍化を果たし、全国書店に並ぶ人気シリーズとなった。 現在は医療・歴史の両分野で活動の幅を広げ、WEBメディア寄稿や講演なども行っている。エックス(旧Twitter)では歴史大喜利でも注目を集める。 ◆主な著書 『まり先生の歴史診察室』GH・2015年 『戦国診察室2』ゼネラルヘルスケア・2022年 ◆2019年10月15日放送のTBS『クイズ!オンリー1』で準優勝(※優勝はれきしクン) ◆国立国会図書館データ https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/001235984

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