1759年1月15日は、大英博物館が開館した日です。
歴史好きなら一生に一度は全てをじっくり見て回りたい施設の一つであり、グーグルマップでは2025年1月時点で実に15万件以上の評価をつけられている一大スポット。
しかし、帝国主義が当たり前だった時代に、他国から分捕ってきたものが多いため、レビュー欄ではその点を理由に酷評している方もいます。
確かに奪われたほうにしてみれば「一刻も早く返しやがれ!」というのが自然な感情でしょう。
一方で、魅力的な場所であることも否定できません。
なんせ大英博物館自体の開館が1759年のことですから、実に260年以上の歴史を有しているわけで、数多の遺物が展示されている館内へ、一度足を踏み入れる価値がある点は否定できないでしょう。
では一体そこはどんな場所なのか?
大英博物館の歴史と目玉展示物を見て参りましょう。
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大小100の部屋に各国の文物を掲載
大英博物館は、ハンス・スローンという医師の遺品であるコレクションから始まりました。
その数
・歴史的遺物 6万5352点
・手写本 4100点
・印刷された本 1000万点
だったというのですから、とんでもないにもほどがあります。
そこに他の貴族数名の蔵書等を合わせて、イギリス政府が博物館を作ろうと動き始め、1759年に一般公開されました。
収蔵品はその後も増え続け、そのたびに増築していったため、現在では大小100近くの部屋に世界各国の文物が展示。
それでもスペースが足りず、自然史関連のものは自然史博物館、蔵書については大英図書館として独立したほどです。
由緒ある所蔵品が文字通り山のようにあるわけで、以下に代表的なものをまとめてみました。
ロゼッタ・ストーン
ナポレオンのエジプト遠征時に発見され、フランスへ持ち帰られて象形文字の解読に使われた有名な石碑です。
元は紀元前196年に作られた石柱の一部ですが、他の部分は別の建物を作る時の建材として利用されてしまったらしく、見つかっていません。学術的にはもったいない話ですね。
ナポレオン戦争中にイギリスへ所有権が移り、大英博物館に収蔵されることになりました。
現在はエジプトが「ウチのもん返せよ!」(超訳)と返還を要求しています。そりゃそうだ。
エルギン・マーブル
ギリシャのパルテノン神殿にあった大理石の彫刻の一群です。
この名前は、当時調査をしていた(そして神殿からひっぺがした)第7代エルギン伯爵トマス・ブルースから名付けられた通称ですが、ギリシャ人からするとやっぱりいい気分はしないでしょうね。
当時のイギリス人からも批難されていますし、現在はギリシャから返還が求められています。
ちなみに、ブルースはこの彫刻の輸送費用で破産しかかったため、大英博物館へ寄贈することにしたそうです。本末転倒やがな。
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