絵・富永商太

織田家 信長公記 斎藤家

信秀vs道三、再び~戦国初心者にも超わかる信長公記6話

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信長公記』首巻・6節は、
織田信秀vs斎藤道三
の戦の話、再びです。

間に違う話が入りましたので、これまでの経緯をもう一度簡単に確認するところから始めましょう。

斎藤道三/wikipediaより引用

 

北は朝倉氏 南は織田氏を迎え撃つ

天文十一年(1542年)斎藤道三が美濃の守護土岐頼芸(とき よりあき)と息子の土岐頼次(とき よりつぐ)を追い出して下剋上を確立

土岐親子は近所の織田信秀を頼る

信秀、正当な美濃の主を神輿に担ぎ上げて美濃へ攻め入ろうと考える

昔、土岐氏で起きていたお家騒動で越前へ逃げていた土岐頼純&朝倉孝景が信秀に呼応

【信秀vs道三】
【孝景vs道三】
という構図ができる

信秀と道三の争いは、地理的に美濃(南)と尾張の国境となります。
一方、朝倉氏と道三の戦いは、美濃(北)と越前の国境付近が舞台となり、度々戦が起きるようになりました。

この第6節には、その中の戦で、
・大垣城(岐阜県大垣市)
に関する戦いの話が書かれています。

江戸時代辺りまではこの地を「大柿」とも表記していたため、信長公記でもこちらが使われているのですが……ここでは現代用いられている「大垣」のほうで統一します。

 

信秀が美濃深くまで攻め込むも本拠地を襲われて

当時、大垣城は織田氏の一員・織田信辰が守っていました。
そこに道三が攻めてきたので、信秀自ら救援に向かった、というのが戦の始まりです。

北と南を同時に戦う道三って、やっぱり傑物なんですよね。

実際、天文十三年(1544年)の「加納口の戦い」で織田家は一杯食わされていますので、信秀も道三と真正面から戦おうとはしませんでした。

斎藤軍の背後を突くため、遠回りして木曽川・飛騨川を渡っています。
大軍での渡河はそれだけで危険なものですが、このときは成功しました。

そして織田軍は竹ガ鼻(岐阜県羽島市)を焼き討ちし、茜部(岐阜市)まで進軍。
このタイミングで道三が稲葉山城へ撤退したため、このときは織田形方の勝利に見えました。

織田信秀/絵・富永商太

しかし、この間に信秀の本拠・古渡城(名古屋市中区)が清洲城(清須市)の主・織田信友に襲われてしまいます。

信友は尾張半国の守護代・織田達勝の息子で、信秀にとっては主筋。
しかし、この当時は信秀の実力が高まっていたことなどから、対立していました。

そんなときに、信秀がいかにも長引きそうな戦に出かけてくれたので、信友にとっては絶好の機会だったというわけです。

あまりにもタイミングが噛み合っているため、道三と信友が手を組んでいた可能性もありますが……その辺は定かではありません。
まぁ、後世に残るような話は陰謀じゃないですよね。

 

ジィの詩

以降、信秀は、信友らの「清洲衆」ともしばらく戦うことになります。
平手政秀が信友方のお偉いさんに停戦をもちかけていたのですが、なかなか交渉がうまく行かず、長引きました。

やっと和平が成立したのは、天文十七年(1548年)のこと。
直接担当してきた政秀は、このとき紀貫之の歌になぞらえて、和平を喜ぶ手紙を清洲方へ出したといわれています。

その歌は
「袖ひぢて 結びし水の こぼれるを 春立つけふの 風や解くらん」
というものでした。

歌の意味としては、
「夏に袖を濡らしてすくった水が、冬になって凍ってしまった。しかし、春めいた風がそれをまた溶かしてくれた」
というところで、季節の移り変わりを詠んだものです。

政秀はこの【水→氷→水】という流れを、信秀と信友の関係になぞらえたのではないでしょうか。

「一度は氷のように冷たい関係になってしまった私達ですが、温かい春風がそれを溶かしてくれたのです。これからは仲良くやっていきましょう」

太田牛一は、こういった点を指して「平手政秀という人は、ちょっとしたことにも風流な心配りをする素晴らしい人だった」と称えました。
牛一が織田家に仕え始めたとき、政秀が存命していたかどうかが定かではないのですが、いずれにせよ政秀の評判が高かったことがうかがえます。

次の首巻7節には、その政秀を悩ませた信長の諸々が書かれています。

ある意味、信長公記で最も有名な部分です。

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【参考】
国史大辞典
『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon link
『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon link
織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon link
『信長と消えた家臣たち』(→amazon link
『織田信長家臣人名辞典』(→amazon link
『戦国武将合戦事典』(→amazon link

 



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