織田信長イラスト

信長甲冑イメージ/絵・富永商太

織田家 信長公記

兄の裏切り、瞬時に見抜いて|信長公記第26話

今回は、織田信長の生涯においては割とよくある【裏切られる話】です。

信長の庶兄・織田信広が、斎藤義龍に通じて謀反を計画。美濃勢と示し合わせて討ち取ろうとしました。

なぜ信広は謀反を企んだのか。

その理由について『信長公記』には記されておりませんので、人物像を推測しながら読み進めましょう。

📚 『信長公記』連載まとめ

📚 戦国時代|武将・合戦・FAQをまとめた総合ガイド

 


清州城を乗っ取り信長を挟撃しよう

織田信広は庶子(側室の子)ではありますが、まがりなりにも前当主・織田信秀の長子。

かつては最前線の城を任されておりました。

織田信秀
織田信秀(信長の父)の生涯|軍事以上に経済も重視した手腕巧みな戦国大名

続きを見る

それだけに信長が当主になってからは、

『この俺を差し置いて、なぜ家臣共に清洲や那古野の城を守らせているんだ!』

ぐらいのことは思っていたかもしれません。

他に「うつけ」と評判の弟だっただけに軽く見ていた可能性もありましょう。

斎藤義龍の美濃勢と手を組んだ信広は、次の内容のように示し合わせました。

「まずは美濃勢が川の近くまで出陣してくれ。

信長の出陣に合わせて私が兵を出すと、いつも清洲の町中を通る。

そのとき、清洲の留守を任されている佐脇藤右衛門という者が応対に出てくるので、彼が出てきたらその場で斬り、清州城を乗っ取ってしまおう。

うまく行ったら狼煙(のろし)を上げる。それを見たら美濃勢は直ちに川を渡ってほしい。

信長を挟み撃ちにして、始末をつけるのだ」

ナルホド、なかなか上手な作戦かもしれません。

しかし、こういう謀略には演技力も必要となります。

詳細は不明ながら、まず信長と対峙し、微妙な芝居を必要とされる美濃勢は殊の外ぎこちない動きとなってしまいました。

 


「城門を固く閉ざしてしまえ」

『何だアイツら? いつもより手ぬるいぞ……はは~ん、さてはウチの家中に内応者がいて、そいつが動くのを待っているのか?』

さすがと申しましょうか。

信長、敵の策略をアッサリ見抜きます。

そして以下のように家臣たちへ命じました。

「佐脇は今日は絶対に城を出るな。町人たちは城の外側を見回れ。

俺が出陣したら、城門を固く閉ざしてしまえ。俺が帰ってくるまで、誰も入れてはならない」

清州城

この時点で信長は「おそらく内応者は兄だろう」と思っていたんでしょう。

戦国時代だけに、日頃からその心構えは出来ていた可能性を感じます。

そうとは知らずに、信広は動員できる全ての兵を率いてやってきます。

しかし、いつもと違って頑なに入城を拒まれた上、佐脇すら出てこないので、謀反の失敗を悟ってそのまま引き返しました。

(´・ω・`)←こんな顔をしてたかも。

 


小競り合いの末、自ら降伏した

いつまでも狼煙が上がらないので、美濃勢も引き上げ、信長もまた帰還。

何も知らない兵たちからすれば「何をしてるんだこの人たちは」と思ったことでしょう。

信広はしばらく諦めきれなかったようで、信長と小競り合いを繰り返し、やがて自ら降伏しました。

信長も兄を許し、以降は一族の最年長者として信広は働くようになります。

後々お話しますが、信長の信広に対する評価は、

「外交を任せられる数少ない身内」

だったようです。

信長が京都入りを果たした後、信広は足利義昭をはじめとした室町幕府の人物との折衝を任されたり、公家の面々と親交を結んだりしていました。

「兄は話のできる奴」と思っていたからこそ、信長は許す気になったのかもしれませんね。

 

娘を養女にして家臣へ輿入れさせる

もちろん戦にも参加していて、元亀元年(1570年)の比叡山焼き討ちや、天正2年(1574年)の伊勢長島一向一揆との戦いには、信広の名が見えます。

生年は不明です。

天文17年(1548年)の小豆坂の戦いで先鋒を務めているため、1534年生まれの信長より8~10歳くらいは年上だったと思われます。だいたい、1520年代生まれと考えていいでしょう。

となると、当時の基準では老人の域に入っても、戦に出ていたことになりますね。

他には、信広の娘を信長の養女にして、丹羽長秀に嫁がせています。

長秀は信長が「友であり兄弟」とベタ褒めした家臣ですから、信広と互いに信頼し合うために、この縁組をしたのでしょうね。

しかし信長って、この頃から何度も身内に裏切られているんですよね。

人材不足のため一々斬り捨て出来ないにしても、残虐とか魔王とかのイメージとはまるで違いますね。

📚 『信長公記』連載まとめ

📚 戦国時代|武将・合戦・FAQをまとめた総合ガイド


あわせて読みたい関連記事

織田信長
織田信長の生涯|生誕から本能寺まで戦い続けた49年の史実を振り返る

続きを見る

柴田勝家
柴田勝家の生涯|織田家を支えた猛将「鬼柴田」はなぜ秀吉に敗れたか

続きを見る

丹羽長秀
丹羽長秀の生涯|織田家に欠かせない重臣は「米五郎左」と呼ばれ安土城も普請

続きを見る

参考文献

TOPページへ


リンクフリー 本サイトはリンク報告不要で大歓迎です。
記事やイラストの無断転載は固くお断りいたします。
引用・転載をご希望の際は お問い合わせ よりご一報ください。
  • この記事を書いた人
  • 最新記事

長月七紀

2013年から歴史ライターとして活動中。 好きな時代は平安~江戸。 「とりあえずざっくりから始めよう」がモットーのゆるライターです。 武将ジャパンでは『その日、歴史が動いた』『日本史オモシロ参考書』『信長公記』などを担当。 最近は「地味な歴史人ほど現代人の参考になるのでは?」と思いながらネタを発掘しています。

-織田家, 信長公記