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おつやの方(信長の叔母)は絶世の美女にして四度結婚~岩村城の女城主

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覚悟を決めた人生

1573年2月に岩村城は開城します。

おつやの方は、武田方に転じたのです。

しかし、1573年と言えば……そうです、武田信玄が亡くなった年です。

武田勝頼に代替わりを果たし、それでも領土を拡大する勢いの武田でしたが、それも2年後、1575年5月までのことでした。

長篠の戦い】で武田が織田徳川連合軍に大敗を喫したのです。

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虎繁とおつやの方は共に力を合わせて岩村を守り、城の普請を進め、織田軍の侵攻に備えました。

織田軍は長篠の戦いで勝利した後、いよいよ「裏切り者」の岩村城攻撃を始めます。

二人は6ヶ月に及ぶ籠城の末、11月23日に開城。

長篠合戦で名将をことごとく失い、もはや援軍は見込めない――という状況からの決死の覚悟です。

虎繁は、命を差し出すのは自分一人で十分だろう、君は信長の元に戻るのだ、と諭したようですが、最後まで虎繁と運命を共にしたいと懇願したのはおつやの方だったようです。

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二人は信長に処刑され、その生涯に終止符を打ちました。

 

新説・女城主と秋山信友に六太夫という嫡男が生まれていた!

おつやの方と虎繁。

実は2人の間には「六太夫」という嫡男がいたという話があります。

これまでどの資料にも、この件については書かれていませんでした。

おつやの方が、三度の結婚の間で子どもを生んだという記録はありません。

しかし、虎繁との間には六太夫が生まれ、落城前、反織田であった小早川隆景の元へ落ち延びさせたというのです。

2009年、六太夫の子孫である「馬場静枝」さんのご著書『馬場六太夫―口伝が明かす波乱の生涯(文芸社)』(→amazon)を読み、馬場さんご本人にお会いして確認しました。

岩村城の女城主6

馬場さんによると、六太夫は1575年、村上水軍の力を借り伊豆を経由して安芸の竹原へ。

元服までは小早川隆景の元で育ち、豊臣秀吉の下で朝鮮出兵すると、最後は1600年【関ヶ原の戦い】に28歳で命を落としているそうです。

岩村を旅立ったのは、1歳半くらいであろうと言われています。

当時、伊那地方は徳川に寝返っていたため、遠回りで伊那谷から天竜川沿いに高遠に抜け、甲斐国に行き、駿河国から伊豆に入ったのではないか――馬場さんは著書の中でそう推測されています。

安芸の竹原までは、村上水軍・秋山良久の手配した船で向かったのではないか?とも。

馬場家では、先祖のために多くの犠牲者を出したことに対し、今も11月を忌み月として祈りを捧げているそうです。

六太夫の墓は、竹原の鎮海山にあります。

私も一度ここを訪ねましたが、村上元吉と並んで山の斜面で海を眺める良き場所に眠っていらっしゃいました。

このとき村上水軍博物館の学芸員さんを訪ね、六太夫にまつわる資料がないか探したのですが、残念ながら見つからず。

馬場さんによると馬場六太夫という名は伏せ、曽根兵庫という名前の人物になって過ごしていたのではないかということでした。

そんな馬場さんのご自宅には、30センチほどの観音様があります。

おつやの方が六太夫に持たせ、落延びさせたのではないかと言われています。私も拝ませて頂きましたが、実に優しい母のような笑みを浮かべた美しい観音様でした。

岩村城の女城主8

 

女城主の息子の物語を映画化

馬場さんは、現在東京にいらっしゃいます。

80才を過ぎても矍鑠とした大変知的な女性です。

私は馬場さんに初めてお会いした時から、馬場さんや馬場家の岩村への想いや女城主の想いに心を揺さぶられました。

「みつけもの」という映画を自主制作し、岩村をはじめ各地の人々に女城主のことを知ってもらい、六太夫についての情報を探しています。

観音像を岩村にお祀りしたいという馬場さんの願い、命を賭けて五坊丸や六太夫、そして領民を守ったおつやの方の生き様を現代に伝えたいというのが、私の切なる願いです。

冒頭の問いについて、みなさんはどうお考えですか。

私は、景任が亡くなった際に、もう二度と信長の元には戻らないと決意し、虎繁との結婚を決めた際にすでにその覚悟は出来ていたのではないかと思います。

彼女の人生を辿るに連れ、その強さや覚悟に心から感動しました。

戦国時代という厳しい時代に溢れるばかりの愛情と心の強さを持って生き抜いた女性。

そして自分の選んだ道に覚悟と責任を持って立ち向かった女性。

現代に生きる女性としても尊敬の念を持たずにいられません。

文・石丸みどり

映画による地域デザインをテーマに、地域の物語を映画化し地域活性化を提案するコミュニケーション・デザイナー。
岐阜県恵那市岩村町の「みつけもの」他、愛知県高浜市の「タカハマ物語」、愛知県長久手市の「未来(100年後)へのとびら」、愛知県西尾市の「オシニ」の脚本、監督を務める。愛知淑徳大学常勤講師。
「みつけもの」は、2011年「地方の時代」映像祭で市民/学生部門 奨励賞を受賞。
脚本とディレクションに着手する際に、徹底したリサーチを行うことから、地域独自のストーリーを生み出す。岩村ではこのリサーチによって、女城主の子孫を発見した。

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